イランにおける結婚
今回も、夫婦であることや結婚、そしてイランにおける結婚の成立までのしきたりの一部などについてお話することにいたしましょう。
夫婦である事、雌雄一対であることは、すべての生物における1つの一般的な原則です。すなわち、雌雄一対の原則は、すべての存在物に共通する法則であり、これには人間も含まれます。これについて、神はコーラン第51章、ザーリヤート章、「まき散らすもの」第49節において、次のように述べています。
“また、我らは全てのものを対とした。おそらく、あなた方は訓戒を受け入れるであろう”
さらに、コーラン第42章、シュウラー章「相談」、第11節には次のように述べられています。
”彼は、あなた方のためにあなた方の間から夫婦を、また家畜にも雌雄を創られた。このようにして、あなた方を繁殖させる”
コーランは、このようにして夫婦の原則の存在を提起しており、結婚と男女の結びつきを、人間が持つ自然的なニーズを満たすものであるとし、さらにその理由について第30章、ルーム章、「ローマ」第21節において次のように述べています。
“また、あなた方が彼女たちによって安らぎを得られるよう、彼があなた方自身からあなた方のために配偶者を創られたのは、彼のしるしの1つである。それは、あなた方の間に愛と慈しみの念を起こさせる。誠に、その中には知識ある人々への徴がある”
それでは、ここからはイランにおける結婚式の前祝として行われる一連の儀式についてご紹介することにいたしましょう。
世界各国における結婚式には、それぞれ独自の慣習やしきたりがあります。それらは、一部の宗教的な信条に基づくものであったり、もしくは1つの国民が持つ文化に根ざしたものである場合もあります。これが極めて重要であることから、日々婚礼のしきたりについて様々な事柄が語られているものの、見落とされている部分が存在します。結婚のしきたりは、単に盛大な式を挙げて終わりではありません。社会学者の視点から見て、ある社会に普及しているしきたりや慣習は、その社会の文化や文明のシンボルとされています。
幸せな結婚をするためには、当事者である男女の双方が、互いに相手についてよく認識する必要があります。
イランでは、結婚に際して、適齢期にある男性の母親や姉妹が、適切な女性を候補に選び、それから男性本人に紹介し、彼自身の意見を聞き、彼の同意を得た上で、その女性の自宅に結婚の申し込みに赴く、という習慣があります。このときの話し合いの場では、男性側の親族の女性数人が、相手の女性にじかに面会するのが普通です。
また、このときの話し合いの席では、結婚を申し込まれている女性が、相手側の男性の家族にお茶を出すなどして接待し、相手側からの質問に答えます。このプロセスの後に、男性側の家族が候補者の女性を気に入った場合、話し合いは本題に入ります。もし、そうでないと判断された場合には、少々会話を交わした後、話し合いを終えることになっています。
双方が相手を気に入った場合、今度は当事者の男性も同席した上で、次の段階の話し合いの場が設けられます。この段階では、当事者の男性と女性が、より深く相手について知るため、実際に会って話し合います。このときの話し合いを終えるにあたって、双方が互いを気に入った場合、女性には小さなプレゼントが渡されます。
当事者の男性と女性が数回にわたって話し合い、その結果互いを気に入った場合、バレボルーンと呼ばれる婚約内定式の準備が整えられます。この儀式では、双方の親族の中の年長者が集まり、男性から女性に渡す、メフリーイェと呼ばれる婚資金の額や、結婚に当たっての一連の条件の設定に向けた最終的な話し合いが行われます。
女性側に対しては、男性側の家族から指輪や、チャードルと呼ばれる、頭からすっぽりとかぶる女性用の覆いを縫うための布地、パーティー用の服、スカーフあるいはショールなどが、花束やお菓子とともに贈呈されます。さらに、話し合いの内容や、そこで取り決められた約束事が紙面に記録され、署名されます。それから、双方の家族は正式な婚約式の準備を開始し、他の人々とともに喜びを分かち合います。
今日では、一部の家庭が伝統的な方式から距離を置き、現代的な方式に傾倒していることから、人々の間には現代的な結婚の申し込みの方法も広まっています。このような場合、当事者の家族の役割は薄くなり、話し合いの場などには形式的に顔を出す程度にとどまります。それは、こうした話し合いの場を設けて双方の家族が互いに面識を深める以前に、当事者の男性と女性が職場などですでに知り合い、家庭外の場で数回にわたって話し合い、互いについてほぼすべてを把握しているからです。その結果、家族は子供の将来の配偶者選びにはほとんど関与しないことになります。
こういう場合、当事者の男性と女性はまだ若く、このような重大な決定に当たって十分な経験がないまま、感情にまかせて決断してしまうこともあり、後になって失敗という結果に至ることも少なくありません。
これについて、現代イランの著名なイスラム学者・モタッハリー師は、熟考に値する大切な点を指摘し、次のように述べています。
「かつては、男性たちが相手の女性の下に赴き、結婚を申し込んでいたことは、女性に敬意を払い、女性の尊厳を維持する最大の要素であった。大自然は、愛情を希求する存在として男性を、そして愛情を求められる存在として女性を創造している。創造の哲学に定められた絶妙な哲学の1つは、男性には相手に求めるという本能が存在するのに対し、女性の本能には愛情を示し、愛するという側面が存在する。1人の女性に結婚を申し込んで断られ、最終的に誰かに配偶者となってもらえるまで、別の女性に結婚を申し込んでは断られるというプロセスを繰り返す事は、男性にとって非常に考えさせられる問題である。だが、女性は男性に注目され、愛され、男性の心のうちを読み取り、男性を自分のものにしたいと考えており、ある男性を自分の配偶者になるよう求めたり、時として1人の男性に断られたからといって別の男性を求めることは、女性の本能にそぐわない」
このようなことから、結婚の申し込みは常に男性の側からするのが望ましいとされています。
夫婦関係においては、議論や批評の焦点となる点が存在しています。それではここからは、この問題の中でも特に考えるべき点についてみていくことにしましょう。
イスラムには、家庭内に一連の大きな力がある事を裏付ける資料が存在します。コーラン第4章、アン・ニサーア章、「婦人」第34節では、男性が女性を保護し、監督する存在である事が述べられており、またその理由として男女の本質的、後天的な違いについて、次のように述べられています。
“男性は、女性の擁護者である。それは、神が一方を他よりも強くなされ、彼らが自分の財産から扶養する費用を出すためである”
このことに照らし、男性は家族の一般的なニーズを満たし、生活費を確保するため、より多く努力することが義務付けられています。倫理的な事柄の遵守に注目し、数多くの伝承においては、この責務の実施が頻繁に言及されています。その例として、生活費の額はその女性にふさわしく、彼女のニーズにかなったものであるべきこと、女性が夫の家において、不自由さや失望感を抱くようであってはならないこと、彼女たちが生き生きと、そして安心して家事などを行えるようにすべきことが指摘されています。
さらに、コーランの多くの節においては男性に対し、しかるべき原則を守り、善良さをもって、女性の生活上のニーズを満たすよう求めています。実際に、これらの事柄を守る事は、男性側から恩を売られたり感謝を強制されることなく、奉仕の精神をもって、夫婦生活や生活面でのニーズが確保されることを意味します。
ですが、男性が家庭の監督としての役割を担っているということは決して、女性が家庭における責務がないという意味にはなりません。イスラムの預言者が述べているように、女性は家庭、自分の子供や家族を支え見守る責任者とされています。
宗教学の専門家の見解では、共同生活の目的を推進する上で、こうした役割の違いは非常に効果があり、夫婦がより成長し、家庭内の温もりの維持につながるとされています。それは、男性の本質的な特徴により、男性に課されている家族の監督の責務は、女性がこの男性の役割を受け入れ、実生活を送る上で男性に従い、支援して初めて、成功します。
過去の経験からも、男性の考えが通った場合、男性は家族に全力で、愛情や優しさを注ぎ込む事が証明されています、このことは、家庭の絆を深め、家庭内や社会での好ましくない事象から家族を守ることになります。
このため、一家の長としての立場は男性であるという原則が受け入れられてはいますが、それは家族に関する問題のみに限られ、男性は女性の支配者ではありません。男性が一家の運営や監督における長とされているのは、男性の方が通常は身体的、経済的な能力の面でより優れていることによるものです。しかし、これも絶対的なものではなく、男性は、決してほかの家族を一方的に支配してはならないのです。
イスラムの預言者ムハンマドは、男性が女性より優れていることについて質問された際、次のように述べています。
“女性に対する男性の地位は、大地に対する水のようなものである。大地は、水があってこそ存続できるのであり、また一方で女性の生活も、男性の存在により喜びや新しい生命の創造を伴ったものになるのである”
次回もどうぞ、お楽しみに。
ラジオ日本語のフェイスブックもご覧ください。