意思決定
前回は、私たちの意識的な選択により、人生の全体的な方向性を定め、自身の人格やアイデンティティを形成していくことについてお話しました。今回は、魂の健康にプラスに働く要素の1つとしての動機付け、そして純粋な意思決定についてお話することにいたしましょう。
意思決定とは、何かの行為を行おうとする意思であり、心の底から沸き起こるものです。行動の質は、意思決定により決まり、それに様々な側面が加わります。心の底からわき起こるこの要素は、魂の健康において、特別な位置づけにあります。人間は誰でも、日常生活での普通の行動において意思決定をより大切にしており、正しい意思決定を背景とする行動を重視しています。
それではここで、あなたの友人があなたの近況を尋ねてくる際に、「久しぶりです」、「最近どうしてる?」、「しばらくね」といった表現を使ってきた場面を想像してみてください。もし、こうした言葉が相手の優しさや親近感によるものだと解釈できるなら、その人によるそうした真心はこちらにとって価値あるものとなり、相手側に対するこちら側の思い入れも増します。ですが、そうした表現が相手側の目的のためであったり、こちらを悪用するための策略的なものであると感じれば、そうした言葉は何の価値もなく、繰り返されるたびにその人に対するこちらの嫌悪感が募るはずです。表面的には、これらの2つの行為は同じですが、それらを明白に区別するのは、その言葉の奥に隠された真意なのです。
前回お話したように、魂の健康の主要な基準は神に近づく事であり、人間の洞察力や趣向、行動はすべて、神のためという方向性を持ったときに、その人の本当の意味での成長に寄与しうるものとなります。人間は、善意による意思を持ち、宗教的な行為やそのほかの行為のすべてを、神に近づくために行った場合、その人の全人生も神にまみえる、という基本的な目的のための方向性を持つことになります。
このため、イスラムの教えでは、意思は行動や心の持ち方の基盤や支柱であるとされており、人間は清らかで健康な意思の後ろ盾により正しい道を歩む事ができる、と考えられています。もし、心の底にある動機付けや意思が私利私欲や悪意で穢れている場合、それは確実に悪影響をもたらし、その人を正しい道筋から脱線させ、邪道に陥れることは間違いありません。それは、そのような人は力強い後ろ盾がないために、いざという時の避難場所がなく、平坦な道でも容易に進めなくなるからです。
イスラムの聖典コーランは、非常に興味深い具体的な例により、純粋な真心とその対極にある偽善を区別しており、第2章、アル・バガラ章、「雌牛」第265節において、次のように述べています。
“神の喜びを求め、また自分の魂を強めるために、その財産を施す人々は、丘の上にある果樹園のような存在である。そこでは、大雨が降り注げばその収穫は倍増し、また大雨がなくとも少しの湿りで足りる”
これに対し、264節では、悪意や偽善に穢れた心や行動を、土をかぶった滑らかな岩に例えています。すなわち、そうした岩に雨が降ると、かぶっていた土や、そこに撒かれていた種が洗い流されてしまい、そこには何も残りません。このように、神は真心による善意ある意思に沿った行動のみが、成果に結びつくとしています。
意思決定について存在するポイントのうちで注目すべき事は、人間が何かの行為を行うにあたっては時間や場所の面での制約が存在しており、一部の事柄については実行できないということです。例えば、イスラムの信徒たちの多くは、自分たちが生きている間に神の預言者にそばについていてもらうという恩恵は得ていませんでしたが、その願望を抱いています。これらの人々は、自らの善意での意思決定により、神の預言者の存在によるご利益を自らにもたらすことができるのです。
実際に、人間はどのような行動を起こすにしても、何らかの制限に遭遇する事になりますが、意思決定に関しては、そうした制限は存在しません。このことから、人間の意思決定や動機付けは、あらゆる場面に存在し、善良な行為のすべてを実行し、その成果の恩恵にあずかるというレベルまで発展する事が可能です。現実には不可能とは思われるものの、神の恩恵や考慮により、意思決定や思考においては、こうした成長発展が可能となっています。
それではここで、預言者一門の1人である、シーア派初代イマーム・アリーにまつわる逸話をお届けしましょう。
イマーム・アリーが行った戦争の1つが終わってから、その戦争に参加していた彼の教友の1人が、イマーム・アリーのところにやってきて次のように述べました。
「私は、今回の戦争に私の兄弟も参加して、あなたの勝利を目の当たりにし、この戦争に参加した報償を受け、あなたに加わる事を望んでおりましたが、残念ながらそれはかないませんでした」
すると、イマーム・アリーは次のように告げました。
“果たして、あなたの兄弟の心や意思は、我々とともにあっただろうか?”
教友がこれに対し、もちろんですと答えると、イマーム・アリーは次のように告げました。
“それならば、彼もこの戦いに我々とともに参加していた事になる。これからやってくるであろう人々、そして、この戦争に関する我々の意思決定において、我々と同じような考えを持つ人は、我々とともにあるに等しい”
この逸話が示しているように、清らかで正しい意思決定はこのように価値があり、運命を決定付けるものです。そして、輝かしい結果や恩恵の源となり、まさにそのもっとも重要なものの1つが、魂の健康の増進なのです。