7月 26, 2018 22:00 Asia/Tokyo
  • タブリーズ(5)
    タブリーズ(5)

今回は、世界の旅行家の一部から見たタブリーズについてお話することにいたしましょう。

イラン北西部・東アーザルバーイジャーン州の中心都市タブリーズは今年、イランの観光モデル都市、さらにはイスラム圏の観光モデル都市に選ばれています。この町は、長い歴史を通して近隣諸国に文化を伝播する架け橋、さらには世界各地からやってくる旅人や観光客が行き交う要衝となってきました。タブリーズを訪れた名高い旅行家たちは、自らの綴った旅行記において、タブリーズの素晴らしさについて述べています。

旅行記を綴る事は実際、異郷の地に関心を持つ旅人が自ら訪れた地域や都市の状況について見聞きしたものを説明する事になります。読者は、そうした旅行記を読むことで、見知らぬ土地の史跡やモスク、図書館、市場、地理的条件や気候風土、地元民の言語や宗教、風俗習慣に関する情報を得る事になります。

実際、旅行記は様々な時代における人々の社会、政治、経済状況をうかがい知る事のできる詳しい百科事典のようなものだといえるでしょう。

 

過去において、一部の人々が旅行記の執筆を思い立ったきっかけの1つに、現在のような便利な交通手段がなかった事が挙げられます。さらに、やはり現在のような便利な連絡・通信手段がなかったことから、地理的に離れた所に住む人々同士は相互のやり取りができず、遠い国の文化や風俗習慣について知ることは難しく、それらは謎に包まれていました。先人たちの旅行記を紐解くと、世界におけるどの都市が繁栄し、文明開化を成し遂げ、隆盛を極めていたのか、さらにはどの地域が人類文明により大きな影響を与えたのかが見て取れます。

イランとその広大で繁栄した文化圏は、歴史を通して世界の多くの地域の旅行家や探検家に注目され、彼らの残した旅行記では、イランの諸都市や文明・文化的な特徴について言及されています。麗しの町タブリーズに関する記述も、決してその例外ではなく、私たちがこの名高い古代都市の歴史を知る上での大きな助けとなりえます。それでは、ここからは世界の一部の旅行記を紐解き、それらにおいてタブリーズがどのように説明されているかについてみていくことにいたしましょう。

 

イランの著名な旅行家の1人に、ナーセル・ホスローがいます。哲学者、詩人でもあったこの人物は、1004年から1088年までの生涯において、7年間にわたり世界各地を旅し、3回にわたりメッカのカアバ神殿にも巡礼のために足を運んでいます。

 

 

ナーセル・ホスローは、自らの旅行記において次のように述べています。

「私は、西暦1017年に当たるイスラム暦438年サファル月20日に、タブリーズに到着した。この町は、アーザルバーイジャーン地方の大都市であり、非常に栄えている。この町の全長と幅を、自分の足で歩いて計測したところ、それぞれ1400歩であった。また、私の聞いたところでは、1013年にこの町に大きな地震が発生したということである。これに関して、タブリーズには天文学者のアブーターヘルシーラーズィーが暮らしており、ある日の夜にこの町は地震により破壊されると予言していたとのことである。そこで、この町の住民に被害が及ばないよう、彼らを町の外にある砂漠に避難させるよう、タブリーズの為政者によって命令が出されたということである。かの天文学者の予言は、見事に的中した。その夜、タブリーズは大地震により完全に崩壊し、この際に4万人以上の人々が命を失っている。この地域の為政者アミール・ヴァフスーダーンは、1014年に新規まき直しを行っており、いまやタブリーズは繁栄した大都市となっている」

ナーセル・ホスローが、長編の旅行記に自らの体験を綴り始めたときから、すでに1000年以上が経過しています。しかし、彼のほかにも、旅行記の執筆に情熱をかけていた旅行家が存在しています。

 

そうした旅行家の1人に、12世紀にアナトリア地方に生まれ、13世紀にかけて活躍し、地理学者でもあったヤーグート・ハマウィーがいます。彼は若年時代に商業目的での旅に出る決意を固めており、現在のイラン南部・ペルシャ湾に浮かぶキーシュ島やオマーン、現在のシリアにあたるシャームなど、アジア各地を旅しました。また、1213年にはタブリーズを訪れており、この町について自らの旅行記に次のように記しています。

「タブリーズは、アーザルバーイジャーン地方で最もよく知られ、繁栄した麗しい町である。ここは、レンガと石膏でできた、砦のような堅固な壁に囲まれており、その間には多くの小川が流れている。さらに、この町のいたるところに庭園があり、果物の価格は非常に安い。私は、タブリーズでとれる杏ほど素晴らしい果物を見た事はない」

地理学者でもあったヤーグート・ハマウィーは、さらに次のように述べています。

「タブリーズの町の建物は、赤レンガもしくは石膏でできており、非常に堅固にできている。また、この町は数多くの学者を輩出している」

 

ここからは、イラン北西部の町タブリーズを訪れたヨーロッパ人の旅行家たちの残した旅行記を紐解いてみることにいたしましょう。

 

ヤーグート・ハマウィー

 

 皆様にとりまして、イタリアの旅行家マルコ・ポーロとその旅行記はよく知られている存在かと思われます。マルコ・ポーロは、イタリア・ヴェネチア生まれの商人かつ旅行家で、13世紀末に小アジアから中国に至るまでの広範な地域を自ら訪れました。この大旅行について彼が語った内容を筆録したものが、有名な旅行記「東方見聞録」であり、この旅行記は後になって、人々の間にイラン、中国をはじめとするアジア文明への認知度を高める上で、大きな役割を果たしました。

マルコ・ポーロは1295年、タブリーズを訪れた感想を次のように語っています。

「タブリーズは、非常に大きな町であり、この上なく壮観で麗しく、これまでに私が見てきたどの都市よりも美しく富裕である。この地域には、数多くの町や城砦がある。タブリーズはこの地域のいずれの町よりも人口が多く、高い権威を誇っている。タブリーズの住民はもともと、絹織物や錦織の生産に携わっており、タブリーズで生産された絹製の布地の多くは錦織で非常に美しく、また値段も相当なものである。また、タブリーズはその地理的な立地条件からして商いに好都合であり、インドやイラク・バグダッド、さらにはヨーロッパ全域やその周辺地域からも、商人たちがこの町にやってきては、様々な品物を売買している」

 

 

 イタリア人であったマルコ・ポーロに加えて、フランス人の旅行家たちも、その旅行記の中でタブリーズについて述べています。17世紀の旅行家ジャン・シャルダンは、フランス人として初めてイランに関する自らの旅行記において、イランの英雄叙事詩人フェルドウスィーとその大傑作『王書』、そしてイランの文化や芸術について語っています。こうした分野に関するジャン・シャルダンの情報量はごくわずかではあったものの、イランの芸術や文化に対するフランス人の芸術愛好家の注目をかき立てることとなりました。

ジャン・シャルダンは、1673年にタブリーズを訪れており、この町について次のように語っています。

「タブリーズは、その規模の大きさや人口、さらに経済力や商業の面でも、この国随一の町である。この町は、9つの街区に分かれており、1万5000軒の家屋とさらに同数の店舗がある。建造物自体はそれほどでもないが、市場はほかのどの国よりも繁盛しており、天井はより高くなっている。タブリーズが繁栄を極めている理由は、これらの市場における人々の往来や品揃えの多さにある。タブリーズの最高の市場は、宝石商人たちの場であり、大市場を意味するゲイサリーエという名で呼ばれている。また、この町には300もの隊商宿が設けられており、その中で最も規模の小さいものでさえ、300人もの旅人を収容できる。町中のいたるところに、絹織物や錦織の手工芸があふれ、イランで最高とされるこの種の製品は、タブリーズで生産されている。また、この町には生活のための必需品も豊富に存在し、人々はごく少ない費用で最も安らぎのある生活を送る事ができる。さらに、タブリーズにある果樹園では60種類に上るブドウが栽培されていることも、よく知られている」

 

ジャン・シャルダン

 

 

常に注目を集めていたタブリーズの特徴の1つとして、この町の快適な気候と自然の美しさが挙げられます。17世紀のドイツの地理学者アダム・オレアリウスは、イランを訪問した際に自ら目にしたものについて、2つの著作を著しています。彼は、ロシアとカスピ海を経由してイランを訪れており、その旅行記の中で、タブリーズについて次のように述べています。

「タブリーズは、非常に空気のよい町であり、この町では誰かが病気や不快感などについて話しているのは、まず聞いたことがない。病気にかかっている人は、この町では薬を服用しなくとも回復する。イランには、あらゆる種類のぶどうが存在しているが、その中で最も品質がよく、甘みが強いのは南部の町シーラーズ、そしてタブリーズで採れたものである。この町を含むアーザルバーイジャーン地方では、良質の綿花が生産される。タブリーズは、常にイランの歴代の国王たちの本拠地とされ、トーレスという名で呼ばれるとともに、古代イランで最も人口の多い町であった」

 

アダム・オレアリウス

 

 

さらに、複数の旅行記を著した偉大な旅行家として、イブン・バトゥータを忘れてはなりません。彼は、1304年にモロッコで生まれ、若年期にイスラムの総本山であるメッカを訪れました。ほかにもエジプト、シリア、パレスチナ、イラン、中央アジアのトルコ系民族が住む地域・トルキスタン、インド、中国、東ヨーロッパ、東アフリカを訪問しており、最終的にモロッコに帰国しています。

イブン・バトゥータは、マルコ・ポーロとほぼ同時代の人物ですが、イブン・バトゥータが旅した道のりは、マルコ・ポーロの3倍にも及んでおり、実質的に彼は人類史上最も偉大な旅行家であるといっても過言ではありません。この偉大な旅行家は、タブリーズを訪れた感想を、次のように語っています。

「私は、イラク・バグダードからタブリーズの町にやってきた。この町で、私は大きな市場・グランド・バザールに出くわした。この市場は、私がこれまでに世界の諸都市で目にしてきたどの市場よりも優れたものである。ここでは、それぞれの職人が個別に自らのテリトリーを有しており、他者とは厳格に区別されている。そして私は、宝石商が集まっている市場に向かったが、ここで、私は自分が目にした各種の宝石に目を奪われた。豪華な服を身に着けて絹の布地を腰に巻いた奉公人たちが、商人たちの傍らに立ち、女性たちに宝石を売りさばいていたのである。これらの客たちは先を争って宝石を買い求めていた」

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

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