預言者アーダムとハッワーの結婚
今回はまず、イスラムの預言者が残した名言からご紹介することにいたしましょう。預言者ムハンマドは、次のように述べています。 “結婚により繁栄している家ほど、神に好まれるものはない”
皆様もきっと、これまでに「自分の生活の内部事情を、他人の生活の目に見える部分と比較してはならない」という言葉を聞いた事があるのではないでしょうか。自分のところに来客の予定がある場合、きっと家の中をきちんと片付けるのではないでしょうか。そうすることで、自分のプライベートな生活や、他人との交友関係も、きちんとした好ましいものとして提示されることになりますが、その背後に隠れている現実とは別のものです。ですから、他人の生活に目を引かれたり、自分の配偶者と他人とを比べるのではなく、自分の選んだ人に敬意を払い、大切な人として扱い、愛するべきなのです。
結婚という問題において、他人と比べることは非常に有害な行為であり、夫の力強さや妻の優しさの双方を挫いてしまいます。ですから、夫が自分の妻をほかの女性と比べる事は、自分の妻の愛情を壊す事になり、また妻が自分の夫を他の男性と比べるなら、夫の持つ力を萎えさせてしまうことになります。
ここで、もう1つの例をあげてみましょう。自分の指先に注目してみてください。世界に存在するほかの数十億人もの人々の中にも、決して自分の指先と同じものはなく、自分の持つ指紋とまったく同じ指紋を持つ人はいません。この違いを受け入れることができるなら、自分の配偶者と他人の配偶者との間の違いも受け入れられるはずです。また、自然界に咲く花々を例に取ってみても、その色や香りがそれぞれ違うことはよく知られています。さらに、食料品にも様々な種類があり、その風味も千差万別です。こうして考えてみると、存在物が多種多様で違いがあるからこそ、世界がより素晴らしいものとなっていることがわかります。
人間世界や人間関係という話題が出てきた場合、私たちが受け入れるべきもっとも重要なことは、相互間の本質的な違いです。自分自身を、同じ年齢の同性の人々と比べた場合、生活様式や興味関心の対象、さらには習癖などに大きな違いがあるように、自分の配偶者にもまったく同じ事がいえます。
自分の配偶者と他人を比べるという行為が第1にもたらすメッセージは、あなたの配偶者が「自分は相手に大切にされていない、自分は相手の期待を実現できていない、相手は自分に満足していない」と感じるというものです。このことは、1人の人間が崩壊し、また家庭崩壊の元になります。
それではここで、イラン人家庭のそのほかの特徴に関する、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師の話をお届けすることにいたしましょう。
「有難いことに、わが国、そしてイスラム社会をはじめとする、アジア諸国の多くの社会においては、今なお家族の絆が維持されている。こうした家族の絆は、誠に有難いものであり、まさに親密感や心地よさ、情愛に他ならない。妻は、夫の事を思うことで心がときめき、また夫婦は互いに心の奥底から愛し合っている。わが国イランでは、こうした愛情が強いが、他の多くの場所では少ない」
前回は、イラン人家庭の重要な特徴の1つとして、彼らが宗教を持つ事についてお話しました。一部の社会学者の間では、家庭というこの聖なる場所のそのほかの特徴として、それが歴史的なものであることが指摘されています。神は、人類創造に当たって、預言者アーダムとその妻ハッワー(エバ)を創造することにより、実際に家庭生活を生み出したことになります。ある伝承には、次のように述べられています。
「神は、預言者アーダムを創造した後に、新たに配偶者としてハッワーを創造した。預言者アーダムは、彼女が創造主なる神によって創造されたと知ったとき、自分と近しくなり、その眼差しによって親密さを感じるようになったこの人は誰か、と尋ねた。
神は、次のように仰った。 “それは、ハッワーである、あなたは、彼女があなたとともにあり、あなたと近しくなり、言葉を交わし、また彼女があなたに従う事を希望するか”
これに対し、預言者アーダムは、創造主なる神よ、もちろんです、私は生きている限りあなたに感謝する必要があります、と答えた。
神は次のように告げた。“我に対し、彼女との結婚を求めるがよい。なぜなら、その女はお前の配偶者となる資格があるからだ”
そこで、預言者アーダムが、自分はその女との結婚を求めます、あなたが満足するものは何でしょうか、と述べると、神はまた次のように告げた。
“我が満足する事は、我の崇高なる宗教を、その者に教えることである”」
ここで分かる事は、預言者アーダムとハッワーが互いに近しくなる第1の要素が、預言者アーダムがハッワーに近づき、彼女に視線を向けたことであり、それによって彼女の優しさに惹かれたということです。また。神もこの原則を彼らの間の関係構築の基盤にすえています。この人間的な親密さは、性的な欲求という本能が現れる前に存在しており、この点からイスラムでは、家庭を形成することは性的な欲求や傾向を超えたものとして、夫婦が安らぎを得ることにつながるとみなされています。
預言者アーダムは、結婚した後、ハッワーに対し次のように告げました。
”私のほうに来て、私のほうを向いてほしい” これに対し、ハッワーが預言者アーダムに対し、自分のほうを向いてほしい、と告げると、神は預言者アーダムに、立ち上がってハッワーの許に行くよう命じました。この行為が、男性が女性に対し結婚を申し入れる習慣のもとになったとされています。
神は、男性と女性のありのままの存在を、1つの宝物とみなしており、彼らの創造の源の点において、彼らの間に優劣は存在しません。
これについて、コーラン第7章、アル・アアラーフ章、「高壁」第189節には、次のように述べられています。
”彼こそは、1つの塊から、あなた方全員をお造りになられ、また互いに安らぎを得るために、その配偶者を造られた神であられる”
預言者アーダムと妻ハッワーの生活は、よい出来事と悪い出来事の源となりました。この2人は、悪魔の誘惑により、エデンの園において禁断の木の実を食べてしまったことから現世での生活に入る事になります。人類の創造の原則は、預言者アーダムと妻ハッワーの家庭生活がベースになって形成されました。この夫婦の間に子供たちが生まれてから、家庭内での根強い社会問題が発生し、それはカインとアベルの確執といった、家庭外の問題にまで発展します。最終的に、この戦いと平和の流れは継続され、人類の歴史が形成されることになります。
この問題におけるもう1つのポイントは、夫婦の間に生まれた子供たちが家族に加わっていることです。その後、全ての人々は家庭で生まれ、その生命の始まりの第一歩は家庭や家族にありました。イランの社会学者アルマキー博士は、この物語から次のような結論を得ています。それは、家庭という存在が、人類が生まれた当初から人類とともにあったことから、歴史的な現象であると同時に、歴史を生み出すものであり、数多くの変容の源であるということです。
イラン人の家庭において、非常に基本的な事柄とされているのは、宗教を持つ事や、イラン人としてのアイデンティティを形成する上での歴史を有していることです。人間のアイデンティティは、その人の属する家庭や親族のアイデンティティに起因しており、イラン人の名前や個々人の関係は、その人が属する親族にルーツを有しています。
イラン人家庭が辿ったプロセスは、家族のメンバーが集団生活をするという形で、部族・一族の体制を拡大させ、過去と現在のイランの変貌に影響を及ぼしました。イランにおける家族制度は、確かに現在化し、その機能は過去よりは幾分少なくなったものの、イラン人は家族の存続やその絆の強化に向けて努力しており、これを自らの宗教的、倫理的な責務の一部とみなしています。
夫婦関係には、微妙なポイントが隠れており、これに注目する事で、結婚が長続きするものとなります。その例として、夫婦がその日の用務が終わった際に、あるいは日中に互いに顔を合わせる際には、互いに対し、喜びにあふれ、はつらつとしていて生活ができる、また疲れの癒される環境ができている事を期待するものです。これに関して、夫婦の努力と実践的な行動により、生活をより充実した素晴らしいものにすることができるといえます。
長い間の生活において、多少の意見の対立やもつれが生じる事は避けられません。夫は、確執やトラブルの多い中で、生活を継続するためには安らぎのひと時が必要です。そうした安らぎのひと時とは、まさに自分の家庭という情愛や優しさにあふれた環境にいる時であり、妻の傍らに寄り添い、妻に愛情を寄せ、共感を感じるときだといえます。
一方で、妻も家庭内外の様々な活動の場において、家事労働あるいは職務中に女性ならではの問題を抱え、何かと気苦労の耐えない状況や危機、波風に遭遇します。彼女も、様々な実生活の場で直面する出来事の狭間で、より多くの安らぎや、より所として信用の出来る1人の人物の存在を必要としています。このより所としての存在が、まさに配偶者なのです。
家庭環境は安らぎの場であり、これをもたらすものは夫婦の間に存在する愛情にほかなりません。配偶者の存在は、安らぎをもたらし、それによって夫婦が生活上のトラブルや危機を乗り越えられることになります。そして、そのためには家庭内の環境にストレスや不快感などがなく、夫婦間の要求に関して寛大さが存在する必要があるのです。
次回もどうぞ、お楽しみに。