庭園とイランの様々な芸術の結びつき(最終回)
今回は、庭園とイランの様々な芸術の結びつきについて、お話しすることにいたしましょう。
創造世界や自然、その魅力に対するイランの人々の考え方は、常に、芸術に関する彼らの考え方の基盤になってきました。イランの人々の理想的な世界に対する特別な考え方は、芸術のあらゆる分野に浸透しています。イラン式庭園は、あらゆる考え方を最高の形で表現した芸術です。そのため、イランの自然や庭園は、他の芸術に大きな影響を与え、常に、庭園とその他の芸術の間に結びつきが見られます。イランの最も美しい芸術作品は、庭園の図柄によって装飾されています。イラン式庭園の図柄は、絵画、石工、じゅうたん織り、タイル細工、陶器作り、象眼細工、金属細工、書籍の装丁、布地などの芸術に使われています。さらに、イラン式庭園は、詩人や雄弁家たちにも影響を与えており、多くの詩の中で、直喩、隠喩、文学的な表現、詩的な空想を示すための主なテーマに庭園が使われています。ここからは、芸術の中で庭園が使われている例を具体的に見ていきましょう。
イランのじゅうたんは、特にこの数百年、庭園や花、杉の木や鳥が、じゅうたんの最も重要なデザインとなっていました。じゅうたんと庭園は、似通った点があり、アケメネス朝時代のじゅうたんに残っているデザインから、それらの結びつきは非常に古い時代に探ることができます。専門家によれば、歴史的な言い伝えから、サーサーン朝のホスロー1世の宮殿の一部・ホスローのイーヴァーンにあるバーハーレスターンじゅうたんは、最も美しい庭園をモチーフにしているとされています。イラン・イスラム建築の研究者であったドナルド・ウィルバーは、「トゥーラーンとイランのテイムール建築」という本の中で、次のように記しています。
「イランの人々は、庭園をデザインにしたじゅうたんをチャハールバーグ、即ち4つの庭園と呼んでいた。これらのじゅうたんで最も古いものは、インドのジャイプール博物館に保管されている。このじゅうたんは、非常に大きな庭園を示しており、その4つの部分のそれぞれは、小川によってさらに幾つかに分割されている。これらの川には数匹の魚が泳いでおり、鳥たちが木の枝に巣を作ったり、飛んでいたりしている。この庭園のそれぞれの部分に様々な種類の木や花が見られる。庭園の中央にある大きな池には建物があり、その建物の壮麗なドームは、青い色のタイルで覆われている」
花の模様や狩猟の場面がデザインされたじゅうたんでは、木の葉や枝、花などが特に重視されており、それは活力を物語るものです。一部のじゅうたんでは、ふちに小さな潅木がいくつも繰り返して描かれ、様々な色や形の花が咲き乱れた丘がデザインされたものがあります。そのようなデザインは、実際の庭園にも見られ、庭園の一部分が、花畑の丘になっているものです。ここ数百年のじゅうたんのデザインは、花、潅木、木、動物などが、庭園の中に描かれています。その例として、ケルマーン、カーシャーン、タブリーズの各都市の絨毯、またアフシャール、ガシュガーイー族などのじゅうたんを挙げることができます。
石工細工、絵画、その他の芸術には、庭園の影響が強く見られます。その最も美しい魅力が、イラン南部・シーラーズの郊外にあるタフテ・ジャムシードのものです。タフテジャムシードの石工細工では、美の象徴である背の高い美しい杉の木、常に緑豊かなイランの庭園、ハスの花が見られます。漆喰細工においても、イランの庭園は、芸術家たちのモデルとなっており、イスラム期の傑作や壁の模様の他、イラン西部にあるサーサーン朝時代の遺跡、ターゲボスターンや王の宮殿の漆喰細工に、その美しい例を見ることができます。
イランの絵画もまた、イランの庭園や自然を非常に美しく描き出している芸術です。イランの芸術家たちは、噴水や池、建物や宮殿、植物、木や緑を注意深く描き出してていました。こうした絵画の一部は、現在は存在しない庭園を目にするための唯一の資料となっています。絵画は、イラン式の庭園を描き出す、最も重要な手段だったと言えるでしょう。一部のミニアチュールと呼ばれる細密画でも、建物の空間など、現在は残っていないイランの庭園の一部の要素が注目されています。一方で、絵画においては、自然の要素、庭園に集まる人々、イラン建築の装飾、文化的な要素と景観の融合を伴った庭園の魅力が、最も美しい形で示されています。
タイル細工、木工細工、陶器作りと言った芸術にも、庭園の影響が見られます。チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、イラン南部・シューシュのアケメネス朝文明、タフテジャムシードでは、ハスの花や木が描かれ、理想的な庭園の象徴を示しています。イラン中部・カーシャーンのシアルク、東部ダームガーンのへサール、南東部ザーボル、西部ハメダーンのヘクマターネ、シーラーズのタフテジャムシードやシューシュの古代の丘で発見された陶器は、庭園や庭園を形作る要素でデザインされています。サーサーン朝時代、特にアケメネス朝から現代にいたるまでの花のデザインは、イランの布や衣服の色やデザインにおける庭園の影響を示しています。これらの布地は、絹や金銀の糸で織られており、それが庭園の美しさを倍増させています。布地を染める色素も植物からとられており、その色や輝きも、庭園と自然を表すものとなっています。この他、書籍の装丁や金属細工、象嵌細工といった芸術においても、最も美しい庭園のデザインを見ることができます。
ペルシャ語の詩も、庭園に関する非常に広いテーマを含んでいます。ペルシャ語の詩や文学においても、楽園や花、、永遠の住みか、穏やかな楽園、生命としての水、愛と永遠性、その他、数多くの美しい表現が、美しい庭園をさす言葉となり、自然の庭園、そして楽園という美しい名前と融合しています。庭園は、配色と花、香りを合わせた魅力により、詩人にとって、最も魅力的な具現となる可能性があります。10世紀から11世紀の詩人の考え方の中では、杉の木と花は、最も典型的な楽園の恩恵とみなされてきました。ペルシャ詩人の中でも、11世紀のマヌーチェフルリー・ダームガーニーは、他のどの詩人たちよりも、庭園の魅力と自然を詩の中で表現しています。
ハムセと呼ばれる五部作で有名な12世紀の詩人、ニザーミー・ギャンジャヴィーも、庭園の美しい姿を描いた詩人たちの一人です。13世紀と14世紀には、モウラヴィーやハーフェズといった詩人たちが、庭園とその要素をより奥深い視点でとらえていました。彼らは庭園を、見るべきものとしていました。なぜなら、それは真理の作品の1つであり、真の庭園とは、神秘主義者の心の中にあり、それを見ることは、神の栄光を映す鏡を見ることだと考えていたからです。
詩人たちは、庭園の影響を受けたことで、自らの作品をバラ園や庭園になぞらえていました。サアディも、自身の著作ゴレスターン・バラ園を庭園とみなしています。多くの詩人たちが、作品の中で、庭園という言葉を使っています。また、自身の詩集に、庭園にまつわる名前を用いている人もたくさんいます。イラン式庭園をそぞろ歩きすることと、知らず知らずのうちにペルシャの詩人たちの詩が思い浮かぶことは、決して無関係ではないのです。