光の彼方への旅立ち、アル・ゲサス章(4)
コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第14節~第17節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第14節
「また、ムーサーが[肉体的、理性的な]成長に達したとき、我々は彼に英知と知識を授けた。我々はこのようにして善を行う者たちに報奨を与える」 (28:14)
وَ لَمَّا بَلَغَ أَشُدَّهُ وَ اسْتَوَى آتَيْنَاهُ حُکْماً وَ عِلْماً وَ کَذٰلِکَ نَجْزِي الْمُحْسِنِينَ (14)
これらの節は、預言者ムーサーの人生の物語に触れ、次のように語っています。「ムーサーが若年期に達したとき、神は、彼の思考や理性の力を強化し、彼に知識と洞察力を与え、それによってムーサーが真理を理解し、真理と偽り、正義と悪を正しく判断できるようにした」
若年期は、人生において、人間が最も力強く生き生きとする時期です。預言者ムーサーへの神の恩恵は、彼が、そのような恩恵に授かるふさわしさと清らかさを備えていたがゆえのものでした。この節によれば、誰でも善を行う者に、神は恩恵を与えてくださいます。とはいえ、ここで指摘されているのは、後にムーサーに与えられた使命と啓示とはまた別の事柄です。
第14節の教え
• 若年期は、人生において最高の時期です。なぜならこの時期、肉体と共に、理性も成長を遂げ、人間の完成の土台が整うからです。
• 他者への善行は、神の特別な恩恵に授かるための土台となります。
第15節
「またムーサーは、そこの住民が誰も知らないうちに町に入った。彼はそこで2人の男性が争っているのを見た。一人はムーサーの信者であり、もう一人は敵であった。その後、信者のほうが敵に対抗する上でムーサーに助けを求めた。そのためムーサーは彼をこぶしで殴り、殺してしまった。[ムーサーは]言った。『これは悪魔の仕業である。まことに彼は、人々を迷わせる明らかな敵である』」 (28:15)
وَ دَخَلَ الْمَدِينَةَ عَلَى حِينِ غَفْلَةٍ مِنْ أَهْلِهَا فَوَجَدَ فِيهَا رَجُلَيْنِ يَقْتَتِلاَنِ هٰذَا مِنْ شِيعَتِهِ وَ هٰذَا مِنْ عَدُوِّهِ فَاسْتَغَاثَهُ الَّذِي مِنْ شِيعَتِهِ عَلَى الَّذِي مِنْ عَدُوِّهِ فَوَکَزَهُ مُوسَى فَقَضَى عَلَيْهِ قَالَ هٰذَا مِنْ عَمَلِ الشَّيْطَانِ إِنَّهُ عَدُوٌّ مُضِلٌّ مُبِينٌ (15)
預言者ムーサーは、青年になるまでフィルアウンの宮殿で暮らし、宮殿の他の人々と同じように、恵まれた環境の中で暮らし、戦い方の訓練を受けていました。ある日、ムーサーが宮殿を出て町に向かい、路地を歩いていると、2人の人間が互いに争い、激しく殴り合っているのに出くわしました。一人はイスラエルの民で、もう一人はエジプトのコプト人でした。ムーサーと同じイスラエルの民は、彼がムーサーだと分かると、彼に助けを求めました。ムーサーはこのイスラエルの民が虐げられているのだと考え、彼を助けることにしました。そしてコプト人をこぶしで殴り、殺してしまいました。
ムーサー自身も、自分のこぶしが、一発で敵を倒してしまうほどの威力を持つものだとは考えていませんでした。ムーサーはその人物を殺してしまおうとは思っておらず、虐げられている人間を助けるために、そのような行いに出ただけでした。しかし、コプト人は命を落としてしまいました。ここでムーサーは、この争いの原因に注目し、言いました。「これら多くの争いや憎しみのそもそもの原因は悪魔である。悪魔は人間の間に争いを作り出す。実際、悪魔は人間の敵であり、人間を迷わせることで互いに戦わせる」
第15節の教え
• ムーサーはフィルアウンの宮殿で育てられましたが、圧制者ではなく、虐げられた人間の味方でした。フィルアウンの妻も宮殿で暮らしていましたが、ムーサーに信仰を寄せ、その道において自らの命を捧げました。
• 神の預言者たちは、虐げられた人々には優しく寛容に、そして圧制者には厳しく勇敢に対応する人々であり、虐げられた人々を守るために圧制者に立ち向かいました。
• 人々の間に衝突を引き起こすのは悪魔の仕業です。そのため、怒りを抑え、悪魔に支配されるのを許してはなりません。
第16節
「ムーサーは言った。『神よ、私は自分自身に圧制を行いました。私を赦してください』 それから神は彼を赦した。本当に神は寛容で慈悲深い方であられる。」 (28 :16)
قَالَ رَبِّ إِنِّي ظَلَمْتُ نَفْسِي فَاغْفِرْ لِي فَغَفَرَ لَهُ إِنَّهُ هُوَ الْغَفُورُ الرَّحِيمُ (16)
第17節
「ムーサーは言った。『神よ、私に授けてくださった恩恵により、今後は決して、罪を犯す人間の支援者にはならないでしょう』」 (28:17)
قَالَ رَبِّ بِمَا أَنْعَمْتَ عَلَيَّ فَلَنْ أَکُونَ ظَهِيراً لِلْمُجْرِمِينَ (17)
コプト人が亡くなったため、当然のことながら、コプト人たちはその殺人犯を突き止め、その人物を捕まえて報復を与えようとしました。ムーサーは、コプト人を一発殴ったことによって、自分自身に圧制を加えました。なぜなら、それによって自分の命が危険に晒されてしまったからです。この出来事で、預言者ムーサーは、罪を犯したことにはなりません。しかし、次の段階で窮地に陥る可能性がありました。そのため、ムーサーは神に対し、義務の遂行を怠ったのであればそれを赦し、その行いの結果を退け、フィルアウンの悪から救ってほしいと求めたのです。これに対し、神もまたそれらをかなえ、それによってムーサーは、コプト人の手に落ちることはありませんでした。そうして、預言者ムーサーは、敵の手に陥るのを妨げた神の恩恵に感謝し、死ぬまで罪を犯した人を支援したり、圧制者の仲間になったりしないと神に約束しました。そのため、フィルアウンの宮殿には帰らず、彼らとの関係を絶つことにしたのです。
第16節~ 第17節の教え
• 敬虔な人間を圧制者から救う際には、可能な限り、好ましくない結果が起きて危険に晒されることがないよう、慎重に行動する必要があります。
• 誤った行いや罪は、意図的なものではなかったとしても、当然の結果がもたらされる他、それを行った人の状態にも影響を及ぼします。
• 健全な肉体に感謝をしたければ、圧制者や罪を犯した人への協力を回避し、虐げられた人を助けることです。