光の彼方への旅立ち、アル・ゲサス章(18)
コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第76節~第78節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第76節
「まことにカールーンはムーサーの民の一人であり、彼らに対して圧制を加えた。我々は彼に、力強い人々の集団であってもその鍵を運ぶのが困難なほどの財宝を与えた。[思い起こすがよい。]その民が彼にこう言ったときのことを。『[横柄になって]喜んではならない。神は[思い上がって]喜ぶ者を愛されない』」 (28 : 76)
إِنَّ هَذَا الْقُرْآَنَ يَقُصُّ عَلَى بَنِي إِسْرَائِيلَ أَكْثَرَ الَّذِي هُمْ فِيهِ يَخْتَلِفُونَ (76)
以前にこの章の節の中で、預言者ムーサーとフィルアウンの物語についてお話ししましたが、この節は、カールーンの運命に触れています。カールーンは、ムーサーの時代の非常に裕福な人物でした。歴史的な書物にもあるように、カールーンはムーサーに近い人物の一人で、初めはムーサーに信仰を寄せていました。しかし、富によって高慢になり、預言者ムーサーに反抗するようになったのです。
フィルアウンは、反逆の力の象徴であり、人々を圧制下におき、真理に抵抗しましたが、カールーンは、人々に対して高慢になり、神の教えに背いた裕福な人間の象徴です。またサーメリーは、人々を真理の道から外れさせ、多神教信仰と迷いに陥らせた芸術家の象徴です。
この節は続けて、カールーンの反抗は、高慢さと自尊心に根差したものであり、富が増えれば増えるほど、神から離れ、金銀財宝を蓄えることだけを考えるようになったとしています。しかし、富は人々に奉仕し、社会の経済を活性化させるために費やされるべきであって、一部の裕福な人々が、自分の利益のために蓄えるためのものではありません。
第76節の教え
• 富を保有し、それを増やすために努力することは悪いことではありません。しかし、富によって高慢になり、神と預言者、人々に反抗するのは醜い誤った行いです。
• 有頂天になって酔いしれるのは、酒を飲んだときだけではありません。時に、節度を知らない人間は、富を手にすることで、高慢になって酔いしれ、全てのことを忘れてしまいます。このような人々は、自分の権力と富に寄りかかり、他人の権利を侵害し、有頂天になるのです。
第77節
「神があなたに与えたものの中に、来世の住まいを求め、現世のあなたの配分を忘れてはならない。神があなたに善くしてくださったように、あなたも[人々に]善を施しなさい。地上で堕落に走ってはならない。明らかに、神は堕落した者たちを愛されない」 (28 : 77)
وَإِنَّهُ لَهُدًى وَرَحْمَةٌ لِلْمُؤْمِنِينَ (77)
前の節で触れたように、現実的で理解力のある預言者ムーサーの信者たちは、自分たちを取るに足りない存在、カールーンを偉大な人物と捉えるのではなく、「富によって高慢になれば、人々が高慢な富裕者を嫌うのと同じように、神からも愛されなくなる」とカールーンに忠告していました。この節は前の節に続けて、そのような先のことを考える敬虔な人々の言葉で、4つの忠告について述べています。
その中でも最も重要なのは、現世は来世の畑、耕作地だというものです。もしここに何も植えなければ、最後の審判で何も収穫できません。そのような多くの富や財産は、大地に植えられ、そこから収穫されるべき種です。種をいくら集めて蓄えたとしても、何も収穫できません。2つ目の忠告は、現世の財産から、来世のために植えなさいというのは、現世の生活を忘れ、全ての財産を神の道のために費やすべきだということを意味してはいないということです。それどころか、それらを自分と家族の現世の平穏と福祉のために利用すべきです。現世と来世のどちらも大切にし、それぞれのために、あなたにふさわしい配分を利用すべきだと忠告しています。
3つ目の忠告は、あなたが持っているものは、自分のものではなく、それらの財産全ては神のものであり、神があなたに善を施し、あなたに与えてくださったものだとしています。自分がそれらの所有者だと考えはならず、預かり物だと考えるべきであり、だからあなたも神と同じように、恵まれない人々に善を行いなさいと忠告しています。信仰を持つ人々のカールーンへの4つ目の忠告とは、それらの忠告を無視し、実行しなければ、あなたの富は自分と社会の堕落の源になるというものです。あなたの財産や富が、社会の改革のためのものになる代わりに、社会の格差を広げ、人々の間にあなたへの嫌悪と憎しみを増す原因になるとしています。現在、資本主義社会では、少数の人々が社会の資本や銀行をその手に握り、大多数の人々が、裕福な人々がますます裕福になるように、奴隷のように働いています。
第77節の教えを
• あらゆる経済活動における人間の目的は、最後の審判で神の満足を得るためのものでなければなりません。
• 来世の自分の運命にも注目するのと同時に、現世の恩恵も利用すべきです。言い換えれば、自然なニーズや要求から自分の配分を考え、残りを来世のために費やしましょう。
• 富や財産を、来世のために、他人への善行に費やすことは悪いことではなく、むしろ、人間の永遠の幸福の土台となりえます。
第78節
「[カールーンは]言った。『本当にこれ[富]は、私が持つ知識によって私に与えられたものだ』 彼は、神が彼以前に、彼よりもずっと多くの富と力を持っていた数多くの民を滅ぼしたのを知らなかったのか?罪を犯した人々は、[責め苦が下るとき、]彼らの罪について尋ねられない」(28 :78)
إِنَّ رَبَّكَ يَقْضِي بَيْنَهُمْ بِحُكْمِهِ وَهُوَ الْعَزِيزُ الْعَلِيمُ (78)
この節では、信仰を持つ人々の忠告に対するカールーンの答えについて、カールーンは彼らの忠告を聞き入れる代わりに、高慢になり、次のように語ったと述べられています。「この富は、自分の努力と知識の結果である。それを保有するのは私であって、あなたたちではないのだから、私に何をすべきで何をしてはならない、などと言うべきではない。どこで費やし、どこで蓄えるべきかは自分でわかっている。神がこの富を私に与えてくださったのは、私の知識と努力を目にし、私をふさわしい者だと見なしたからである」
コーランは、このような高慢な富裕者の誤った論理に答え、次のように語っています。「彼は歴史を学び、彼よりもずっと力が強く、富も持っていた人々が、真理に背いたために、現世で自分の財産と共に滅ぼされたのを知らないのか?」
第78節の教え
• 富は、人間の努力や知識の結果であったとしても、それによって高慢や怠惰に陥るべきではなく、神からの善として捉えなければなりません。
• 自分の権力や富、知識に高慢になれば、人間は現世で滅びることになります。