1月 23, 2019 19:32 Asia/Tokyo

コーラン 第30章 ルーム章 ローマ 第9節~第13節


慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第9節

「彼らは地上を旅し、彼ら以前にいた人々の結末がどのようなものであったかを見なかったのか? 昔の人々は、彼らよりも力強く、大地を耕し、彼らが繁栄させた以上にそれを繁栄させた。その人々の預言者は、明確なしるしを持って彼らのもとにやって来た。[だが彼らは預言者を否定したために滅びた。]だから、神が彼らに圧制を加えたのではない。彼らが自分自身に圧制を加えていたのだ。」(30:9)

(9)أَوَلَمْ يَسِيرُوا فِي الْأَرْضِ فَيَنْظُرُوا كَيْفَ كَانَ عَاقِبَةُ الَّذِينَ مِنْ قَبْلِهِمْ كَانُوا أَشَدَّ مِنْهُمْ قُوَّةً وَأَثَارُوا الْأَرْضَ وَعَمَرُوهَا أَكْثَرَ مِمَّا عَمَرُوهَا وَجَاءَتْهُمْ رُسُلُهُمْ بِالْبَيِّنَاتِ فَمَا كَانَ اللَّهُ لِيَظْلِمَهُمْ وَلَكِنْ كَانُوا أَنْفُسَهُمْ يَظْلِمُونَ

 

第10節

「そこで、醜い行いをした人々の結末は、最悪のものであった。彼らは神の節を否定し、それらを嘲笑していた」(30:10)

(10)ثُمَّ كَانَ عَاقِبَةَ الَّذِينَ أَسَاءُوا السُّوأَى أَنْ كَذَّبُوا بِآيَاتِ اللَّهِ وَكَانُوا بِهَا يَسْتَهْزِئُونَ

 

前回の番組でお話したように、神は、天と地の創造について考えることのない人々を批判し、彼らに対し、創造世界について考え、それが目的に基づいていることを悟ると共に、この秩序は真理に基づいて創造されたことを知るよう求めています。この2つの節は次のように語っています。
「なぜ先人たちの歴史から学ばないのか?なぜ世界の各地を旅するとき、過去の民たちから残っている廃墟を見て、そこから教訓を得ないのか?彼らは、繁栄した土地を持ち、多くの収穫物があり、非常に多くの富を持っていたが、真理を否定し、醜い行いに走ったために滅亡した。彼らからは、廃墟が残るのみであった。この滅亡は、彼らが自分たちに行った圧制の結果である。イスラムでは、他者への圧制も、自分自身への圧制もどちらも好ましくないとされている」

「人間は、他者に迷惑をかけないかぎり、どんなことをしてもよい」とする人間主義の思想に反し、イスラムでは、人間は他人だけでなく、自分自身にも危害を及ぼしてはいけない、とされています。とはいえ、自分自身に対する最大の損害は、良心や理性を踏みにじり、それらによって手に入る真理を否定することです。

第9節と10節の教え
●    先人たちの歴史を研究し、彼らの運命から教訓を得るために古代の場所を訪れることは、聖典コーランで強調されている事柄です。
●    歴史的な出来事は、決まった原則に基づいており、それを未来のための教訓とすることができます。
●    人々の幸福は、表面的な発展、繁栄、権力によってかなえられるものではありません。真の幸福の基盤は、神への信仰と神の預言者たちへの服従にあります。
●    罪に執着し、それを繰り返し続ければ、人間には悪い結果がつきまとい、真理を否定したり、嘲笑したりするようになります。

 

第11節

「神は創造を始め、それからそれを戻す。そのとき、あなた方は神へと帰される。」(30:11)

(11)اللَّهُ يَبْدَأُ الْخَلْقَ ثُمَّ يُعِيدُهُ ثُمَّ إِلَيْهِ تُرْجَعُونَ

 

第12節

「また、最後の審判の日、罪を犯した人達は絶望する。」(30:12)

(12)وَيَوْمَ تَقُومُ السَّاعَةُ يُبْلِسُ الْمُجْرِمُونَ

 

第13節 


「彼らには、神と共に崇拝の対象としたものたちからの調停はなく、こうして彼らはこれらのものを否定する」(30:13)

(13)وَلَمْ يَكُنْ لَهُمْ مِنْ شُرَكَائِهِمْ شُفَعَاءُ وَكَانُوا بِشُرَكَائِهِمْ كَافِرِينَ

 

コーランの節によれば、死は、この世界における人間の人生の終わりであり、墓場は、別の世界への入り口です。同じように、母親の出産は、人間が胎内での生活を終え、この世界に入るためのきっかけです。この2つの節は次のように語っています。「現世でのあなたたちの創造と死は、あなたたちに決められることではない。あなたたちは、神の望みによってこの世に現われ、神の望みによってこの世界から去る。最後の審判であなたたちが再び蘇るのも、意志による事柄ではない。あなたたちは、望もうと望むまいと、そこに立つことになる。だから、そこで何も持つものがなく、過去の行いを後悔したりすることがないようにすべきである。現世に属するものや人に、過度に執着してはならない。最後の審判では、何も、また誰も、あなたたちの役に立つものはない。今、最後の審判であなたたちを調停できると考えるものについて、あなたたちはそのとき、それらが何の役にも立たないことを知り、それらには、あなたたちを救うことなどできないことを悟るだろう」

そう、偶像を最後の審判での自分たちの調停者と考えていた多神教徒たちは、そこで、魂を持たないこれらの物質は、世界の管理において何の役割も担っておらず、価値のないものであったことを悟ります。そして、それらの調停に失望し、悲しみに陥ると共に、神の慈悲や恩恵への希望も失います。なぜなら、現世で、神の預言者たちに強く反対したため、来世で神の慈悲を受け取ることを望むなど、到底できないからです。

第11節から13節の教え
●    世界の創造は神から始まり、神へと帰ります。言い換えれば、始まりと終わりは神です。それを忘れてしまえば、人間は将来、失望と後悔に陥ります。
●    現世で罪を犯した人が喜んでいても、私たちはその影響を受けてはなりません。なぜなら最後の審判で、彼らは非常に悲しい運命をたどることになるからです。
●    最後の審判では、現世のはかない偽りの関心や愛情が、憎しみや嫌悪に変わり、空想上の調停者が否定されます。