ネザーミー・ギャンジャヴィー(1)
今回は、12世紀のイランの詩人ネザーミー・ギャンジャヴィーをご紹介することにいたしましょう。
それではまず、ネザーミー・ギャンジャヴィーの詩作の1つをご紹介したいと思います。
私が、どんな状態にあると思うか?わが心は、痛みにあふれている
聞くところによれば、あなたは愛する人々に情けをかけるとのこと
わが友よ、私は愛する人間の1人ではないとでも言うのか?
私が落ちたら、私の手を取って助けてくれると言ったではないか
今よりももっと落ちないと、私の手をとってはくれないのか?
ネザーミ・ギャンジャヴィーの生い立ちと生涯について
ネザーミー・ギャンジャヴィーは、12世紀のイランの著名な詩人です。彼が生誕した年については、正確な資料が残っていませんが、歴史家は現存する彼の作品を典拠とし、この詩人が生誕した年を西暦1135年から1145年の間ごろと推測しています。
ネザーミーは、当時は広大なイランの領土の一部で、現在はアゼルバイジャン共和国領となっている町ギャンジェにて生まれ育ちました。当時、この町はイラン北部を流れるギャンジェ川の両岸にまたがっており、ペルシャ文学や詩文の主要な中心地とされていたのです。この地域に存在していたハーガーニー、ファラキーシェルワーニー、アボルアラー・ギャンジャヴィーといった偉大な詩人たちの存在により、詩作や詩人という立場は繁栄した華やかなものでした。マフサティーやネザーミーといった偉大な詩人たちは、自らの作品により、ギャンジェの町をペルシャ語の詩の重要な一大拠点として誇示していたのです。
ネザーミーは、およそ70年間にわたってギャンジェの町に住み、1209年ごろにこの町で没しました。その後、彼の墓地にはその周囲を覆う柵がつけられ、この詩人のファンにとっての巡礼地となっています。古いギャンジェの傍らに新しいギャンジェが造られたとき、古いギャンジェは壊され、彼の棺は新しい町の郊外に移されました。現在、そこには建築の傑作とされる建物が造られています。
ネザーミーについては近年、イランや外国の研究者らにより、様々な研究が行われ、その結果が発表されていますが、それでもこの詩人の生涯の大部分はまだ謎に包まれたままとなっています。ネザーミーの思想や生涯について知るには、伝記の執筆家の残したものや、ネザーミー自身が作品の中で、自分の思想や生涯について散発的に触れているわずかな記述、さらにはこれまでの研究者により発表されたネザーミーに関する研究を典拠にするしか、方法は残されていません。
ネザーミーは、自らの作品において、しばしば自分の出自について語っています。それによると、父親は、ザキーモヴァイイェドの息子のユースフ、そして母親はクルド族の女性でライーサと呼ばれる人物であったということです。彼はまた、母親が常に父親を賞賛していたと語っており、さらに自分の作品の中で自分の妻や子供についても吟じています。
現存する資料によれば、ネザーミーは裕福で高貴な家庭に生まれ、精神的に安定した状態で子供時代の多くを勉学と議論に費やし、当時の一般的な学問に触れたということです。また、ネザーミーの作品に述べられている記録によれば、彼はペルシャ語やアラビア語の詩や散文に親しんでいたのみならず、天文学や錬金術、哲学や神学においても十分な知識を持ち、彼の青少年期の大部分は、当時の著名な巨匠のもとでの一般的な学問の習得と、当時の教育機関での勉学に当てられたということです。
これまでにお話したように、ネザーミーの生まれた家庭はギャンジェの町でも最も裕福な部類に属し、このことから彼は特定の専門職に就く必要がありませんでした。このため、彼は青少年期の当初から1人で自由に過ごす時間に恵まれ、勉学に励みました。多くの研究者の間では、ネザーミーの作品の多くは、こうした1人で過ごしたことによる多大な影響を受けており、そのため40歳にも満たないうちに、彼の言動はいかにも偉人らしい様相を帯びていたとされています。
ネザーミーの作風と作品について
ネザーミーは、当時の傑出した詩人の1人であり、非常に斬新で高潔な作風を有していましたが、詩文の創作を職業としていた当時の詩人たちとは異なり、王侯貴族を賞賛する内容を吟じることはありませんでした。ですが、ネザーミーがマスナヴィー形式と呼ばれる、著名な五部作のほかにも、抒情詩や賞賛的な内容の詩を吟じたことは、疑いのない事実です。この点について、ネザーミー自身は次のように述べています。
「私の抒情詩も、竪琴の調べとともに吟じられ、私の賞賛的な内容の詩や抒情詩の数々は、当時の詩人の模範となった」。
ネザーミーの詩集のうち、断片的に残っている作品以外では、『5つの宝物』としても知られるマズナヴィー形式による五部作・ハムセが彼の名声の全てを博しています。ここで注目すべきことは、ネザーミーがこれらの作品の全てを物語という形で、しかも韻文で著しており、物語の執筆に新たな作風をもたらしたということです。この五部作は、『神秘の宝庫』、『レイラとマジヌーン』、『ホスローとシーリーン』、『七王妃物語』、『アレクサンドロス3世の書』の5編で構成されています。この名作の詳しい説明については、また別の機会に譲りたいと思います。
ネザーミーは、作風や修辞学的な流麗さから、ペルシャ語による詩の柱と言っても過言ではありません。このため、この偉大な詩人は常にその後の詩人や文筆家、研究者から賞賛されています。
ネザーミーが後世の詩人に与えた影響
ネザーミーの作風は、その後の時代において多くの傑出したペルシャ詩人の注目を集め、その結果多くの人々がネザーミーのようなマスナヴィー形式の詩を詠むことに努めました。そうした詩人にはジャーミー、アミールホスロー・デフラヴィー、ハージューイェ・ケルマーニー、ヴァフシー・バーフギー、そしてオルフィー・シーラーズィーを挙げることができます。
現代イランの作家で研究者でもあった、今は亡きモジタバー・ミノヴィー博士は、ネザーミーの位置づけと、この偉大な詩人がその後の詩人に与えた影響について、次のように述べています。
「明らかに、ネザーミーの元で学んだ門下生の数は、彼の師匠の数よりも多かった。なぜなら、詩を読む才能があり、韻文形式の物語を執筆した人は誰でも、ネザーミーの五部作を自らの手本に据えていたからである。かの名高い抒情詩人ハーフェズでさえも、一部の作品においてはネザーミーに従い、『酌人の書』や、『音楽師の書』といった作品を、酌人や楽師に呼びかける形で吟じている。ちなみに、これらはネザーミーが『幸福の書』と『栄誉の書』のそれぞれの章の初めにおいて詠んでいるものである」
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