イラン人の風俗習慣 (建築)
ギーラーン州の風俗習慣(5)
今回はまず初めにギーラーンの建築についてお話しすることにいたしましょう。
ギーラーンの建築は村の建築と町の建築の二つに分かれます。村の建築には、その地域の独自の資材が使われ、これは、さまざまな理由から町の建築にはほとんど見られない特徴となっています。カスピ海沿岸のギーラーンとマーザンダラーンは湿度が高く、雨が多いことから、この地域の建物の建築には他の地域のそれにはない特徴が見られます。ギーラーンの村の重要な点の一つに、地域の風に対して建物をどう建てるかという問題があります。ギーラーンの建物は風や雨のために西向きに建てられ、天井に覆われています。建物の南は、太陽を利用するために高いテラスが設けられており、東と北、南は内部に適切な空気の流れが作り出されるようオープンになっており、その結果湿気の影響をほとんど受けないようになっています。
ギーラーン独自の建築は、比較的簡素で軽い資材で建てられています。この地域では、木材が建物の基本的な資材の一つとなっています。建物に地域で手に入る資材を使用するのは当然のことです。ギーラーンの人々も地域の可能性や特徴に合わせた、安価な資材を使っています。これにより、ギーラーンの町や村の建築には類似性が見られるのです。
ギーラーンの地元の建築の大きな特徴の一つは、地面よりも高いところに家を建てていることです。地域では湿度が高いことから建物は地面から距離をとって建てられています。実際、建物の下の空間は空いています。この空間は様々な用途で使用されています。例えば、鳥類の飼育やパーキングとして使用されています。
この他、建物の特徴としては、乾燥させた稲などの藁を使っていることです。イランの中部と南部の一部の地域では、建物に小麦や大麦の藁、水、土が使われています。イラン北部では稲作が盛んに行われていることから、その加工品が使用されており、土、水、稲でできた泥土が作られています。この泥土は、ギーラーンの村の建築の基本的な資材の一つで、壁などを覆うのに使われています。この泥土の効用の一つは絶縁性があることで、防音作用があったり気温の影響を受けることがありません。また耐久性も強く、安価で、簡単に準備することができます。
建物の屋根もイラン北部の建築において重要性を有しています。多くの家の屋根は、傾斜になっており、瓦や木材など、様々な資材で覆われています。敷地を隔てるための壁の代わりに垣根を用いることも、イラン北部で広まっています。イランの多くの地域では家の敷地は、レンガや石で作られた壁で仕切られています。現在、ギーラーンの村には家の境に垣根が作られています。この木製の背の低い垣根の重要性は、家が小さくても窮屈さを感じさせないところで、小さな家の住民でも大きな家の住民と同じように美しい自然の景観を楽しむことが出来ることにあります。
昔のギーラーンの都市の建築がどのようなものだったかは私たちにはわかりません。なぜなら、降雨量が大きく湿気が多い気候であるため、昔の建物は破壊され、残っていないからです。歴史的資料でも、これに関する外国人の旅行記には曖昧な指摘しか残っていません。ギーラーンを訪れた旅行家は多くがラシュトの町について記しています。
1717年、ギーラーン州の州都ラシュトを訪れたジョン・ベルという人物はこの町を森に囲まれた町だとし、瓦で覆われた高い屋根の家が散在しているとしています。それから28年後の1745年にギーラーンを訪れたヨハン・ヤコブ・レルヒは、ラシュトの家について、家の前に屋根つきのテラスを持った平屋だと説明しています。彼はさらに、家の内部が漆喰などで装飾されており、家の中には鏡細工が施されていたとしています。
ギーラーンの村や町では自然環境が一様であり、村が町に変化したことで、町と村の建築は一部において共通しており、互いによく似ています。同時にギーラーンの町の建築はイランの他の町の建築と同じように地元の村の建築とは異なる特徴を有しています。
それではここからは、ギーラーンの音楽についてお話しすることいたしましょう。ギーラーン州は音楽文化の豊かな宝庫の一つであり、各地に手付かずの自然からインスピレーションを受けた曲が存在します。この番組では、ギーラーンの音楽全般ではなく、この地方の民謡についてのみお話しすることにいたしましょう。
ギーラーンの民謡は、幾つかのカテゴリーに分けることができます。英雄物語を歌ったもの、農作業の歌、祝祭の歌、自然を称える歌、愛の歌、わらべ歌、宗教歌、新年の歌などです。
英雄物語を歌った民謡は、地域の社会的、歴史的な出来事に端を発しています。例として、ミールザー・クーチャクハーンの蜂起について作られた歌があります。この民謡はシンプルで大衆のくだけた言葉で歌われていることから、ギーラーンの人々がイランの自由と独立のために命を捧げたミールザー・クーチャクハーンに深い敬意と親愛の情を抱いていることをうかがい知ることができます。この他の英雄物語を歌った民謡には、およそ1307年に行われたモンゴル人によるギーラーン襲撃の時代に作られた歌が残っています。(カット)
ギーラーンの民謡は主に、村人の生計を立てるための努力と結びついています。とくに昔から稲作はギーラーンの農民の主要な活動と見なされてきました。このため、畜産業や農作業の際に歌う多くの民謡がギーラーンには残されています。
森林や川、泉、大地などの自然を称える歌は、この地域の民族音楽の中に含まれています。というのも、ギーラーンの自然は美しさに溢れ、自然と人間の生活空間の密接な結びつきが見られるからです。宗教歌や新年の歌は、新年を迎える前に歌われるものです、新年の歌は、預言者の一門や子どもたちに関する内容となっています。
ラジオ日本語のユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。
https://twitter.com/parstodayj