イランの名声、世界的な栄誉
アリー・ブン・ホジュヴィーリー(3)
今回も、イランの中世の神秘主義思想家、ホジュヴィーリーについてお話しすることにしましょう。
ホジュヴィーリーは神秘主義思想の分野で、イランとインドで多くの支持者を得ています。彼はインドではダーター・ガンジバフシュとして知られており、現在のパキスタン・ラホールにある彼の廟は巡礼地となっています。
これまでの番組では、ホジュヴィーリーの生涯についてお話して来ました。ホジュヴィーリーは10世紀の終わりごろから11世紀の思想家で、現在のアフガニスタンにあるガズナ近郊で生まれました。かれは多くの当時の学問や、文化的中心地で提起されていた問題を学び、それらによく精通するようになりました。
ホジュヴィーリーはラホールで多くの貢献を行い、多くの弟子を抱えました。インドの歴史家らも、ホジュヴィーリーは特にイスラムの拡大に貢献したとしています。彼の著作『隠されたるものの開示』を見ると、ホジュヴィーリーはそのほか9つの作品を記したことがわかりますが、今日、そのどれも散逸しています。
ホジュヴィーリーの『隠されたるものの開示』は、神秘主義思想に関する本です。この本も当時の重要な社会的、歴史的、地理的情報が含まれており、神秘主義の宗派やその信者、ペルシャ語の古い単語や古い文体、文法の構造などに関する情報が含まれていることから、ペルシャ語の散文の基盤となった作品とみなされています。ホジュヴィーリーはこの包括的な作品を、同郷の友人の質問に回答するような形で記しています。
ホジュヴィーリーの『隠されたるものの開示』は、英語やウルドゥー語、アラビア語、トルコ語、パンジャブ語に訳されています。この作品には、数十の手稿が存在し、現代ペルシャ語文学研究者のタスビーヒー氏が、手稿のリストを活用し、およそ60の手稿を紹介しました。この貴重な本は、これまで繰り返し、テヘラン、ラホール、サマルカンド、タシケント、モスクワで印刷されています。
ロシアの東洋学者ジョコフスキーは、初めて『隠されたるものの開示』の校正版の出版を1914年に行いました。彼の死後、弟子の一人が、一部のリストなどを追加し、1926年にもこの本の改訂版を出版しました。この本は数回にわたりイランで重版されています。
この『隠されたるものの開示』はシーア派、神秘主義、真理と英知に関する著作であり、この本にも、神秘主義の専門用語に関する解説があり、また、神秘主義の偉人の教えが記されています。批評家によれば、この本はどのような知的レベルの読み手であっても、有用であり、学問の扉を開いてくれる本だということです。ホジュヴィーリーはこの本の序文で、この本のタイトルをこのようにつけた理由について説明しています。それは、本は真理の道を説明するもので、人類にとって隠されたものを明らかにし、人類がこの道にたどり着くためだということです。
イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送ラジオ日本語からお送りしています。今夜の番組では、イラン中世の神秘主義哲学者のホジュヴィーリーについてお話しています。
あらゆる時代における神秘主義思想の偉人たちは、ホジュヴィーリーの『隠されたるものの開示』を賞賛し、それを神秘主義の修行者にとっての指導書としました。あたかもそれは、完璧な師が真理の道の修行者を導くようなものでした。この書は、神秘主義の著名な、信用ある本とされています。
12世紀から13世紀にかけての神秘主義詩人、ファリードウッディーン・アッタールは、『神秘主義聖者列伝』で、初期の時代の神秘主義者やその言葉を、この『隠されたるものの開示』から引用しています。実際、ジョコフスキーは、アッタールがこの『神秘主義聖者列伝』で『隠されたるものの開示』を使って、多くの事柄について、言及することなく引用し、そのほとんどは、言い伝えだとしていると述べています。
ホジュヴィーリーは自身の著作の序文で、当時の悪い状況と、ガズナで本が利用できないことに対する不満を述べていますが、この貴重な作品を記すために、当時の信用ある資料を十分に使うことができたとしています。ジョコフスキーは、この『隠されたるものの開示』を詳細に研究した後、その引用資料を調べています。
10世紀から11世紀にかけてのイランのイスラム学者、ゴシャエリーの『ゴシャエリーの書』と『隠されたるものの開示』が同時代の本だったことから、一部の研究者は、ゴシャエリーとホジュヴィーリーが親しかったことを考え、ホジュヴィーリーは『ゴシャエリーの書』をもとに『隠されたるものの開示』を記したと考えていますが、この見解は確認されていません。
ホジュヴィーリーはゴシャエリーと会っており、ゴシャエリーの偉大さは、『隠されたるものの開示』のなかでも認められています。ホジュヴィーリーが『隠されたるものの開示』の執筆を開始したとき、ホジュヴィーリーは『ゴシャエリーの書』を持っていました。この2つの著作は、確かに、同時代の人間が同じ事柄について書いていますが、明確な違いが見られます。『ゴシャエリーの書』をウルドゥー語に翻訳し、注釈を記した人物は、ホジュヴィーリーは確かに『ゴシャエリーの書』を活用したものの、この書では扱われていない事柄について記述しているとしています。
ジョコフスキーは、ゴシャエリーはホジュヴィーリーがその言葉を活用した偉人の一人だとしています。しかし、ホジュヴィーリーがこの『ゴシャエリーの書』を利用したことを認めていません。ジョコフスキーはこう述べています。
「いずれの本も、よく引用される神秘主義書であり、またおよそ11世紀半ばに記されている。そして、テーマが完全に一致しているのにもかかわらず、質、量の点からも、提示された解釈にも、まったく共通性は見られない。ただ、一部の専門用語については、2つの著作の中に類似性が見られる」
インドの研究者のダルヤーバーディー氏は、このように記しています。
「この2つの作品について、テーマは一致しているものの、この2つには文体において大きな相違があり、ゴシャエリーはほとんど先人の言葉を伝えているにとどまっているが、一方でホジュヴィーリーは研究者のように、個人的な経験などをも内容に含めている。ホジュヴィーリーは行動様式や性質について、どのようなテーマについても拒否することなく書いている。つまり、ホジュヴィーリーの作品は、言い伝えの集合体にとどまらず、研究者が記した著作となっている。」
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