光の彼方への旅立ち、アル・アハザーブ章(11)
コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第43節~第48節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第43節
「彼こそは、あなた方に平安を送る方である。彼の天使たちも[あなた方に平安を送る]、あなた方を暗闇から光へと連れ出すためである。彼は敬虔な人々に優しい。」(33:43)
(43)هُوَ الَّذِی یُصَلِّی عَلَیْکُمْ وَمَلائِکَتُهُ لِیُخْرِجَکُمْ مِنَ الظُّلُمَاتِ إِلَى النُّورِ وَکَانَ بِالْمُؤْمِنِینَ رَحِیمًا
第44節
「彼らが神と面会する日の挨拶は、『平安あれ』である。神は彼らにすばらしい報奨を準備されている」(33:44)
(44)تَحِیَّتُهُمْ یَوْمَ یَلْقَوْنَهُ سَلامٌ وَأَعَدَّ لَهُمْ أَجْرًا کَرِیمًا
前回の番組で、聖典コーランは敬虔な人々に、どのような状態にあっても神の名を唱え、神のことを思い起こすよう勧めていました。今回の第43節と44節は次のように語っています。「いつでもあなた方が神のことを思い起こすたびに、神もまた、あなた方のことを考え、あなた方に慈悲を下してくださることを覚えておくがよい」
天使たちも、信仰を持つ人々のために慈悲と恩恵を求めます。この神の慈悲と恩恵は、人間が罪や圧制という闇から、清らかさや光へと抜け出すきっかけとなります。実際、常に神のことを思い起こすことにより、神の恩恵と慈悲も途切れることがなくなり、その人は神の特別な導きを得ることになります。その導きは、人間の人生の行き詰まりを打開し、恐ろしく厳しい嵐の中で、人間が滅びてしまうのを防ぎます。最後の審判でも、このような人々には神の天使の特別な平安が送られ、平安と安寧の中に置かれるのです。
第43節~第44節の教え
- 人生の闇から解放されるためには、人間の知識や理性だけでは十分ではありません。神の助けが必要です。そして、神の名を唱えることで、その土台が整えられます。
- 真の信仰は、神の慈悲を受け取る上での鍵となります。その慈悲は、人間に導きの光をもたらします。
- 天国の人々が互いに挨拶をする際に交わすのは、「平安あれ」という言葉です。現世でも、敬虔な人々が互いに会った際には、この美しい言葉を使うことが勧められています。
第45節
「預言者よ、まことに我々は汝を証人とし、吉報を伝え、警告を与える者として遣わした。」(33:45)
(45)یَا أَیُّهَا النَّبِیُّ إِنَّا أَرْسَلْنَاکَ شَاهِدًا وَمُبَشِّرًا وَنَذِیرًا ﴿٤٥﴾ وَدَاعِیًا إِلَى اللَّهِ بِإِذْنِهِ وَسِرَاجًا مُنِیرًا
第46節
「また、神の命に従って神へと導く者、輝く光とした」(33:46)
(46) وَدَاعِیًا إِلَى اللَّهِ بِإِذْنِهِ وَسِرَاجًا مُنِیرًا
この章の第40節では、イスラムの預言者ムハンマドの使命と、彼が最後の預言者であることについて語っていました。この第45節と46節は、預言者に次のように語りかけています。「我々の預言者よ、汝は人々の間で暮らす包括的かつ完全な模範であり、人々は汝を自分たちの監視者と考えている。その導きの方法は、吉報を伝えることと警告を与えることの2つに基づいている」
預言者は人々に、唯一の神を崇拝するよう呼びかけているのであって、自分にひれ伏すように言っているのではありません。神の預言者たちは基本的に、人間に神以外のものを崇拝させないようにするために遣わされました。そのため、預言者たちは人々に自分への服従を呼びかけたりはしていません。そうではなく、理不尽な権力者や圧制者への服従から人々を解放し、全ての人に、唯一の神に従うよう呼びかけているのです。
人々の間における預言者の存在は、光り輝く太陽のように無知と圧制の闇を照らし、人々を光や公正へと導き、人々の信仰が、無知や迷信ではなく、知識に基づいて築かれるようにするものです。
第45節~46節の教え
- 神の預言者たちは、言葉だけでなく、行動でも、人々を神へといざなっています。そのため、人々にとって最も適した行動の模範です。
- イスラムの預言者ムハンマドは、自分の共同体の行動を監視しています。そのため、行いに気をつけるようにしましょう。
- 人間を教育する際には、吉報と忠告が隣り合わせになることが必須です。どちらかが欠ければ、人間が高慢になったり、希望を失ったりします。
第47節
「また、敬虔な人々に吉報を与えなさい。彼らには神から大きな恩寵があると。」(33:47)
(47)وَبَشِّرِ الْمُؤْمِنِینَ بِأَنَّ لَهُمْ مِنَ اللَّهِ فَضْلا کَبِیرًا
第48節
「また、不信心者や偽善者に従ってはならない。彼らの嫌がらせを見過ごし、神に頼りなさい。神は保護者として十分であられる」(33:48)
(48) وَلا تُطِعِ الْکَافِرِینَ وَالْمُنَافِقِینَ وَدَعْ أَذَاهُمْ وَتَوَکَّلْ عَلَى اللَّهِ وَکَفَى بِاللَّهِ وَکِیلا
前の節で、吉報と警告が、預言者の教育方法として紹介されていました。この2つの節は続けて、それぞれにあてはまる例を挙げています。吉報は、神の命に従って行動し、禁じられた事柄を行わず、義務を遂行してきた敬虔な人々へのものです。彼らは神の特別な恩寵に授かその人の行動よりも価値のある非常に大きな報奨を受け取ることになります。
しかし、警告は、偽善者や不信心者へのものであり、彼ら自身が懲罰を受けるだけでなく、彼らに従い、彼らの満足を得ようとする人々にも懲罰が下ります。そのため神は、預言者に語りかけながら、実際はすべての敬虔な人々に向けて次のように語っています。「言動による彼らの嫌がらせに耐えなさい。だが、決して彼らに従ってはならない。また、彼らの要求に抗ったために苦難を強いられた際には神を頼りにしなさい。覚えておくがよい。そうすれば、神はあなた方にとって十分であろう」
第47節~48節の教え
- イスラム社会の指導者は、社会の善良で清らかな人々に神の慈悲や恩恵への希望を抱かせ、イスラムの敵と妥協することへの危険について警告を与えなければなりません。
- 不信心者や偽善者の誤った要求に抵抗することができるのは、神を頼りにする人です。
- 偽善者はイスラム社会で暮らし、表面的にはイスラム教徒であることを装っていますが、実際は不信心者であり、彼らと同じ考え方を持っています。そのため、このような人たちをよく知り、彼らの陰謀に警戒しましょう。