6月 10, 2020 15:52 Asia/Tokyo
  • タギーオッディーン・オウハディー・バルヤーニーの作品
    タギーオッディーン・オウハディー・バルヤーニーの作品

今夜も前回に続いて、16世紀から17世紀にかけてのイランの著述家オウハディー・バルヤーニーについてお話します。

前回お話したように、タギーオッディーン・オウハディー・バルヤーニーは、モイーノッディーン・ムハンマド・バルヤーニーの息子として、1556年ごろイラン中部イスファハーンで生まれました。バルヤーニーの一族は神秘主義において有名な家系でした。彼は、アラビア語の文法や論理学、数学、コーランを12歳までに習得し、その後、哲学や倫理学を学びました。

オウハディーは、若いころ、イラン中部のヤズドや南部のシーラーズにて、学問の大家の下で当時の学問を学びました。そのころ、神秘主義への傾向も見られるようになりました。また、彼はサファヴィー朝のアッバース1世の戦勝記念の祝祭で四行詩を読み、「王に気に入られたもの」と呼ばれました。

オウハディーは1606年、インドに向かいました。この中で、シーラーズ、ケルマーン、現在のアフガニスタンのカンダハール、パキスタンのラホールを訪れました。彼がいつどこでなくなったかは分かっていませんが、1630年ごろまでは存命だったことのみがわかっています。

オウハディーの覚書に、ペルシャ語詩の書記からオウハディーの同時代までの詩人の人物史を記した大作があり、これは量の点、内容の点から、ペルシャ語詩に関する最も重要な覚書とされています。この作品の記述形式は一様ではなく、部分ごとに多くの違いが伺えます。彼の散文は雄弁であり、詩人について描写するときの散文は、韻が踏まれています。

オウハディーのもうひとつの著述作品に、貴重な辞書があります。この辞書は17世紀当時に広く使われていたペルシャ語の散文形式によって記されています。この種の作品は、11世紀以降、必要に応じて出現し、常に広まっていました、実際、11世紀、イランの西部や、アーザルバイジャーン地方の詩人や文学者や、この時代以降の、ペルシャ語を母語としない文学者は、辞書の必要性を感じていました。

インドは、16世紀から17世紀以降、ペルシャ語文学が生まれる場所のひとつとみなされていました。多くの詩人や著述家が、さまざまな宮廷に集まり、歴史書を書いたり、詩を詠んだり、さまざまな学問について執筆していました。多くの文学愛好家が、本の中や詩の中に出てくる言葉、専門用語を知らないため、この必要性を満たす本の存在が必要不可欠となりました。おそらく、17世紀は、このニーズがピークに達していました。

この時代、言葉の技術に関する多くの本が、イランでも、インドでも執筆されました。この中でもっとも有名なものは、ジャハーンギーリーの辞書、ラシーディーの辞書、ジャアファリーの辞書、そして、オウハディーによる辞書でしたが、この中でもっとも有名なものは、イブンハラフ・タブリーズィーという人物が17世紀に記した辞書でした。

辞書の重要なジャンルの中に、ペルシャ語・ペルシャ語辞典があり、これは、2ヶ国語などの複数の言語の辞書に比肩しています。この作品の共通の特徴とは、言葉を伝える上で多くの間違いがあることですが、これは、その辞書の信用性を下げるものではありません。

辞書を記すにあたって、各時代の著者は、11世紀の辞書である、アサディの辞書を模倣して、次の世代の文学者に伝えていました。この辞書の誤りは繰り返して記されていました。

イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送よりお届けしています。今夜は、16世紀から17世紀にかけての著述家、オウハディーの辞書についてお話しています。

時代が経ることで、語彙数が増えるとともに、一般的に、辞書は2つの重要なグループに分かれていました。そのうちのひとつは、詩の中での用例が記され、もうひとつは、さまざまな意味を持つ単語について記されていました。この中で、1つ目の辞書は、より信用ある、豊かなものでした。ジャハーンギーリーの辞書や、ラシーディーの辞書は、詩の中での用例が記載されています。

2つ目の辞書では、用例がないものです。ジャアファリーの辞書や、オウハディーの辞書などがこの辞書に分類されるとされています。用例のない辞書は、詩における用例が記載されている辞書よりも、校正が困難になります。この種の辞書においては、根拠のない表現や誤った言葉の校正という作業に直面することになります。この校正は、そのすべてについて知らなければならず、読者にそれを示し、先人の韻文作品、散文作品からの用例を可能な限り記憶しなければならない作業です。

オウハディーは、この辞書を、16世紀末・17世紀初頭に記しました。彼はこの辞書の序文で、言葉について包括的に扱ったさまざまな本が記された後、難しい、慣用的でないペルシャ語の単語が記された本を書こうと決意した記しています。

この辞書は、用例がなく、単語の説明とその意味のみが記されています。この辞書は、32文字のペルシャ語のアルファベット順に並んでおり、この辞書の中で説明されている単語の数は5850個です。これらの単語は、初期のペルシャ語文学作品で使われていた慣用的でない、忘れ去られた言葉も含まれています。

また、一部の人物の名前や、場所、山や川、都市、植物などや、専門用語についても含まれています。著者は、すべての単語で多様な意味があることを示し、また、同義語についても記しています。

この辞書では、ペルシャ語以外にも、アラビア語、ヒンディー語、トルコ語、古代ギリシャ語、わずかの不明な言葉についても記しており、オウハディーはこれらはすべてペルシャ語だと考えていました。この辞書は、17世紀中ごろタブリーズィーが価値ある辞書を執筆する際に参照されたもののひとつとされています。

 

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