1月 06, 2021 15:30 Asia/Tokyo

コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第69節~第73節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第69節

「信仰を寄せた人々よ、ムーサーを苦しめた人々のようになってはならない。そこで、神は彼らが主張することからムーサーを守り、神の御前で名誉ある存在とした」33:69

  (69) یَا أَیُّهَا الَّذِینَ آمَنُوا لا تَکُونُوا کَالَّذِینَ آذَوْا مُوسَى فَبَرَّأَهُ اللَّهُ مِمَّا قَالُوا وَکَانَ عِنْدَ اللَّهِ وَجِیهًا

 

アル・アハザーブ章部族同盟の第57節では、イスラムの預言者ムハンマドに対する偽善者たちの嫌がらせについて述べられていました。ユダヤ教徒がメディナで暮らし、イスラム教徒と交流があったため、預言者ムーサーの時代に、ガールーンやフィルアウン、その他の反対者が行っていた誹謗中傷や侮辱が、イスラム教徒の耳に届くようになっていました。

 

この節は、信仰を寄せた人々に次のように語りかけています。「ユダヤ教徒から預言者ムーサーに関して聞いた事柄を、他の人たちに語り、噂を煽ってはならない。神は預言者の清らかさと正しさを証言している。神の御前で栄誉をさずかっている人に対して、不名誉な事柄を関連づけるべきではない」

 

第69節の教え

  • 敵の陰謀のひとつは、噂をばらまくことによって、宗教の指導者の立場を弱め、彼らに誹謗中傷を浴びせ、彼らの肉体的、精神的な健全性に疑問を呈することです。
  • 神への信仰に必要なのは、神の預言者たちとその清らかさを信じ、彼らへの誹謗中傷や侮辱をやめることです。
  • 神は敵の中傷や侮辱から清らかな人間を守り、彼らを賞賛します。私たちもまた、そのように行動しましょう。

 

第70節

「信仰を寄せた人々よ、敬虔さを保ち、正しく確かな言葉で話なさい。」33:70

 (70) یَا أَیُّهَا الَّذِینَ آمَنُوا اتَّقُوا اللَّهَ وَقُولُوا قَوْلا سَدِیدًا 

 

第71節 

「そうすれば、神はあなた方のために、あなた方の行いを改められ、あなた方の罪を赦してくださる。誰でも、神とその預言者に従う者は、間違いなく、大きな救済を得ている」33:71

(71) یُصْلِحْ لَکُمْ أَعْمَالَکُمْ وَیَغْفِرْ لَکُمْ ذُنُوبَکُمْ وَمَنْ یُطِعِ اللَّهَ وَرَسُولَهُ فَقَدْ فَازَ فَوْزًا عَظِیمًا 

 

敬虔な人々に向かって、預言者を苦しめるような言葉を広めてはならないと忠告した前の節に続き、この節は次のように語っています。「慎重に行動し、真偽が明らかになっていないことを話してはならない。真理と現実に沿ったことを話すべきであって、他人を傷つけるようなことを言ってはならない。家庭や社会に問題を生み出す言葉ではなく、堅固な砦のように確かな言葉を言うべきである」

 

当然のことながら、もし信仰を寄せた人々のすべてが、言葉を発する際に、このような原則を守り、根拠のない憶測や誤解によって他人に関して判断を下すことがなかったら、社会は改革されます。過去の問題が次々と解決され、また未来に問題が起こる可能性も防がれるのです。

 

神は、不当な言葉を発しないようにする人々の過去の罪を赦し、彼らの行いを改めてくださいます。実際、敬虔さの結果のひとつは、不当な言葉からはなれ、真理の言葉、正しいことを口にすることです。これにより、行動が改められ、罪が赦されることになるのです。

 

シーア派4代目イマーム、サッジャードは、次のように語っています。「口は毎朝、体の他の器官に状態を尋ね、それらは皆、それにこう答える。『私たちは元気です。あなたが許してくれるのであれば』」

 

第70節と71節の教え

  • 信仰に必要なのは、敬虔さを保つことであり、敬虔さに必要なのは、確かな真理の言葉を述べることです。
  • 言葉や表現が美しいだけでは十分ではありません。その言葉の内容もまた、事実に即した確かなものでなければなりません。
  • 人間ができるだけ敬虔さを保つように努めれば、神はその人の過ちを赦し、その道を改めてくださいます。

 

第72節

「我々は[神の]預かり物を天と大地、山々に託した。だがそれらはそれを担うことを拒み、それを恐れた。だが人間はそれを担った。明らかに、人間は[預かり物に対する責任を果たさないため、]非常に愚かな圧制者である。」33:72

 (72) إِنَّا عَرَضْنَا الأمَانَةَ عَلَى السَّمَاوَاتِ وَالأرْضِ وَالْجِبَالِ فَأَبَیْنَ أَنْ یَحْمِلْنَهَا وَأَشْفَقْنَ مِنْهَا وَحَمَلَهَا الإنْسَانُ إِنَّهُ کَانَ ظَلُومًا جَهُولا

 

第73節 

「神は偽善者である男女、多神教を信仰する男女に責め苦を下し、敬虔な男女の罪の悔悟を受け入れられる。神は常に慈悲深く寛容な方であられる」33:73

(73) لِیُعَذِّبَ اللَّهُ الْمُنَافِقِینَ وَالْمُنَافِقَاتِ وَالْمُشْرِکِینَ وَالْمُشْرِکَاتِ وَیَتُوبَ اللَّهُ عَلَى الْمُؤْمِنِینَ وَالْمُؤْمِنَاتِ وَکَانَ اللَّهُ غَفُورًا رَحِیمًا 

 

アルアハザーブ章の最後の節となるこの2つの節は、重要な問題に言及しています。人間が、他の存在物よりも優れているという重要な特典が、預かり物と表現されています。その預かり物は、他の存在物には、受け取ったり、利用したりする力がありません。そして、人間という名の存在物のみが、神の恩恵にさずかり、それを享受することができるのです。

 

明らかに、神の預かり物という言葉が指しているのは、神が人間に与えた魂のことで、それが人間を他の存在物よりも優れたものにしています。その魂は、人間の理性や知性の源であり、人間の選択権や自由な意志です。人間の優れた点のすべては、それによって得られます。

 

人間以外の、動物や植物、無生物などの存在物は、この大きな神の恩恵を受け取る力がありません。しかし人間は、神の大きな慈悲により、それを受け取ることができます。とはいえ、他の恩恵と同じように、この恩恵もまた、神からの預かり物であり、人類がその創造者や所有者となるわけではありません。そのため、人間が好きなようにそれを利用できるわけではないのです。

 

神は、この恩恵を人類に預けた上で、人間に対し、それを正しい道に、自分と社会の幸福のために利用するよう求めています。しかし残念ながら、多くの人間が、不信心や偽善に走り、誤った行動によって、この神からの預かり物に対する責任を果たしません。

 

この預かり物に対して責任を果たそうとする敬虔な人々も、多くの場合に過ちを犯し、その持ち主である神の望みに反した形でそれを支配します。その結果、一部の人々は無知により、また一部の人は圧制や不公正により、神からの預かり物を誤った道において利用します。また中には、意図的に預かり物への責任を果たそうとしない人もいます。当然のことながら、圧制者たちは預かり物に裏切りを働いた懲罰を受けることになりますが、罪を悔い改める人々は、再び神からの慈悲をさずかることになります。

 

第72節と73節の教え

  • 人間は創造世界において神から信頼された存在です。神は人類に特別な特典を与えました。それは人間以外のいかなる存在物にも与えられなかったものです。この特典とは、神からの預かり物であり、それを正しい形で利用しなければなりません。
  • イスラムにおいて、圧制とは他人に対する圧制だけを指す言葉ではありません。人間の成長の源である神の恩恵を誤った道において利用すれば、それは自分自身に対する最大の圧制となります。
  • 神からの預かり物には責任が発生します。誰でも預かり物に対する責任を果たさなければ、当然、神の怒りを買うことになります。
  • 成長するか、それとも堕落するかについて、男女の間に違いはありません。人間という点から、男女の間に違いは全くないのです。

 

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