光の彼方への旅立ち、サバア章(5)
コーラン第34章サバア章サバア、第18節~第21節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第18節
「また、彼らと我々が恩恵を授けた地区の間に明らかな村落を設け、その間の旅を適した形で定めた。その地区で夜も昼も安全に旅をするがよい。すると彼らは言った。『主よ、私たちの旅の間に間隔をあけてください』34:18
وَجَعَلْنَا بَيْنَهُمْ وَبَيْنَ الْقُرَى الَّتِي بَارَكْنَا فِيهَا قُرًى ظَاهِرَةً وَقَدَّرْنَا فِيهَا السَّيْرَ سِيرُوا فِيهَا لَيَالِيَ وَأَيَّامًا آمِنِينَ
第19節
「彼らは自分に圧制を行った。そこで我々は彼らを[他人の教訓となるような]物語の中に置き、彼らを完全に散り散りにした。まことにこの中には、感謝をする忍耐強い者たちへのしるしがある」
فَقَالُوا رَبَّنَا بَاعِدْ بَيْنَ أَسْفَارِنَا وَظَلَمُوا أَنْفُسَهُمْ فَجَعَلْنَاهُمْ أَحَادِيثَ وَمَزَّقْنَاهُمْ كُلَّ مُمَزَّقٍ إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآيَاتٍ لِكُلِّ صَبَّارٍ شَكُورٍ
前回の番組では、イエメンに暮らしていたサバアの民の運命についてお話しました。この2つの節は、まず、次のように語っています。「神は彼らのために多くの恩恵を用意し、その広大な地域全体には、わずかな間隔をあけて、繁栄した村が見られた。大地は緑が豊かで花や植物、木々や畑に覆われており、道が短縮され、村と村の間は互いに近くなった。多くの恩恵だけでなく、この地域には安全も広がっており、概して、穏やかな暮らしに最適の環境が整えられていた。全ての人が活動に勤しみ、豊かな恩恵を享受していた」
しかし、このような状況が続くことはありませんでした。怠慢や享楽によって多くの人が神のことを忘れてしまいました。彼らは高慢になり、享楽にふけって、これほどの福祉と恩恵に疲弊し、「状況が変わって、これほど近くなく、私たちの距離が遠く離れていればよかったのに」と言っていました。このような恩恵への不遜により、その地域の繁栄と発展の要因であった大きな障壁が崩されてしまったのです。
さまざまな理由により、この土の壁は内側から弱まり、大きな洪水によって崩れ落ちました。この出来事により、緑豊かな地域であったサバアの文明は、壊れた家と泥に覆われた地域になりました。彼らがたどった運命は、その後、何年も人々の間で語り継がれることになりました。あれほど緑に覆われた繁栄した地域が、どのようにして荒廃し、乾いた土地に変わってしまったかということを。
第18節と19節の教え
- 恩恵への感謝を忘れることは、それを失うきっかけになります。あるいは、恩恵が災難や問題の原因となることもあります。
- 感謝を忘れることなど、一部の罪に対する懲罰は、現世で人間に下され、その人の個人、家庭、社会における生活に影響を及ぼします。
- コーランが、過去の民がたどった運命について調査し、よく考えるよう勧めているのは、現在の生活に活かすためです。
第20節
「また、イブリースは彼らに関する自分の考え方が当てはまっていたことを悟った。わずかな数の敬虔な人々の集団を除き、皆、彼に従った。」
وَلَقَدْ صَدَّقَ عَلَيْهِمْ إِبْلِيسُ ظَنَّهُ فَاتَّبَعُوهُ إِلَّا فَرِيقًا مِنَ الْمُؤْمِنِينَ
第21節
「とはいえ、イブリースが彼らを支配することはなかった。ただ、我々は来世を信じる人と、それに疑いを抱く人を識別しただけだった。汝の主は、すべてのことを見守っておられる」
وَمَا كَانَ لَهُ عَلَيْهِمْ مِنْ سُلْطَانٍ إِلَّا لِنَعْلَمَ مَنْ يُؤْمِنُ بِالْآخِرَةِ مِمَّنْ هُوَ مِنْهَا فِي شَكٍّ وَرَبُّكَ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ حَفِيظٌ
悪魔のイブリースは、アーダムとハワーを道に迷わせた後、神の御前を追われました。イブリースは、アーダムの子孫も道に迷わせると誓い、それに成功すると信じていました。この2つの節は次のように語っています。「悪魔のイブリースはサバアの民について、自分の望みをかなえられると思っていた。多くの人が彼の望み通りに実行し、彼の要求に従おうとしなかったのは、信仰を持つ少数の人に過ぎなかった」
神は続けて、次のように語っています。「悪魔が人々を支配し、彼らに罪や反逆を強いたと考えるべきではない。そのようなことはなく、悪魔はただ、誘惑しただけである。神が、悪魔に自由に行動させ、そのような行いを許したのは、人々の試練の土台を整えるためである。つまり、誰が最後の審判を信じており、悪魔のささやきの影響を受けないか、誰が疑いを抱き、ささいな誘惑によって罪に走ってしまうかを見極めるためである。当然のことながら、意志や信仰の弱い人間は、すぐに外的な刺激や心の欲望に惑わされ、それらに抵抗する力を失ってしまう」
神が僕たちの行いをすべて知っていることに疑いの余地はありません。しかし、神はその知識に基づいて事前に懲罰や報奨を与えるのではありません。人間がある行動を起こすまで、その人の懲罰、あるいは報奨は意味を持ちません。それはちょうど、頭がよくて勉強のできる生徒が誰であるかを教師が知っていたとしても、試験をしてその回答用紙を採点するまで、その生徒には合格点が与えられないのと同じです。明らかに、教師の知識だけでは、生徒に報奨を与える上で十分ではありません。生徒がその力を発揮しなければならないのです。
第20節と21節の教え
- 人間が悪魔につけいれられてしまうきっかけのひとつは、神の恩恵への感謝を忘れることです。サバアの民は、神の恩恵への感謝を忘れたために、悪魔の影響を受けました。
- 神は人間に自由な意志を与える一方で、理性と啓示により、正しい道と誤った道を人間に示しています。神の預言者やイマームたちは、人々を善へと導き、悪魔や悪魔の性質を持つ者たちは、人間を悪へといざないます。この中で、人間は自分の意志によって、自分の道を選択しなければなりません。