May 23, 2016 18:14 Asia/Tokyo
  • パルティア王国時代のイラン人の服装と芸術(1)

前回の番組では、パルティア王国時代のイラン人の服装について見ていく中で、この土地の人々の芸術は、当時の人々の服装に現れているとお話しました。

当時の服装は、多くが、華やかな装飾を有しており、そうした芸術や装飾は、特に女性の衣服に顕著に見られました。これは、イラン人にとって服装が重要であったことを示しています。

 

パルティア人の石の彫刻に、女性たちが描かれていることはほとんどありません。しかし、一部の絵画から、パルティア人の女性たちの衣服の一部の特徴を明らかになっています。ひだのついたズボン、男性のチュニックよりも長いシャツ、それまでの時代とは大きくことなる王冠や帽子などを身に着けたパルティア人の女性たちが、パルティア王国時代から残る絵画に見られます。

 

パリのルーブル美術館には、紀元2世紀から4世紀に作られた、石灰岩でできた上半身の彫像が保管されています。この彫像は、パルティア王国の女性たちの服装における繊細さを明らかにしています。髪の毛を押さえるために金属のリボンのようなものが額に巻かれ、髪の上には布を巻き、肩にかかる被り物・チャードルとつながっています。左側の肩に服をとめるために、動物の頭の形をしたピンが使われています。この女性は、左手でチャードルの反対側の前を開けています。その下には、プリーツと襟のついたシャツの上の部分が見られます。

 

この彫像は、パルティア人の女性が宝石を好んでいたことを示しています。この彫像は、真珠の首飾りとイヤリングをつけており、左手には小さな指輪をしています。パルティア王国時代の彫刻の特徴は、正面を向いており、目が大きく、調和と深い安らぎを与えるものとなっています。

 

このほかにも、この時代の彫像が残っていますが、それも石灰岩でできていて、紀元2世紀のものです。この彫像は、現在のイラクの都市ハトラで発見され、バグダッドの博物館に保管されています。この女性は、装飾が施された数段の背の高い冠を被っており、それはチャードルの上に置かれ、チャードルは肩の上にかかっています。この女性は、中央とその横に宝石が使われ、四角がデザインされた布製のシャツを着ています。パルティア人の伝統に従い、そのシャツの上には袖のないチュニックを着ており、服に合わせたデザインのピンによって、両肩が合わさるようになっています。長い首飾りも服のデザインと調和が取れています。この女性は、腕輪とセットの首輪、首飾り、そしてシンプルな長い首飾りをつけています。

 

この女性の彫像の下には、この彫像が、彼女の夫によって記念に作られたものであることが記されています。この女性は18歳で亡くなってしまったため、この女性の表情や装飾品の輝きには悲哀がただよっています。

 

考古学者の調査と資料により、パルティア王国時代の女性たちは、腰に紐をまき、ひだのついた、くるぶしまで届く丈の長い服を身につけていました。また、後頭部を覆うものもありました。このような服装は、アケメネス朝からパルティア王国時代にかけて、中近東に広がっていました。

 

パルティア王国時代のイラン人女性は、頭から全身を覆うマントを被っていました。これらは、絹、羊毛、ベルベッド、金の布でできており、後にチャードルと呼ばれるようになりました。チャードルとは、サンスクリット語で、この単語はイスラム期に限られたものではなく、イラン人は昔からチャードルを身に着けていました。イスラムがイランに入る以前のアケメネス朝時代にも、チャードルが使用されていました。チャードルは、装飾と保護の2つの役割を担っており、女性たちはそれを頭に被っていました。休憩の時間にはそれをピンで留めたり、手で押さえたりしていました。

 

パルティア王国の女性たちのチャードルは、後頭部が長い円錐形の帽子につながっており、ベールがかけられていました。彼女たちは、アケメネス朝時代の女性たちよりもはるかに発達したチャードルを利用しており、ターバンのような帽子によって、髪の毛のほぼ全体を覆い隠していました。イランの研究者は、イランのさまざまな民族の衣服の歴史に関する書籍の中で、次のように記しています。「絵画や彫刻に見られるチャードルは、長方形の布を筒形にして使われていた」

 

これらのチャードルは、紫や白でした。ダマスカス国立博物館にあるパルティア王国の女性の彫像は、この時代の女性の服装を示しています。この女性は座っていて、チャードルで全身を覆っています。チグリス・ユーフラテス川のゼウス神殿の壁には、パルティア人の絵が描かれており、特別な装いをして宗教的な儀式を行っている人々が示されています。その中には、きらきらと輝く色の服を着ている女性たちがおり、そこから当時の女性の服装を知ることができます。この絵には、紫の大きなチャードルで全身を覆った女性の姿が見られます。この他、紫色のシャツの上に、白いチャードルを被り、その上にさらに紫色の布をかけた女性も描かれています。

 

パルティア王国時代の女性たちは、社会的な状況や背景により、白や明るい色の厚地の布で頭から背中を覆ったり、頭から首、肩にかけてを覆う暗い色のショールをかけていました。時には、その上から白や色のついた布を頭の後ろで縛ったり、あごの下でとめたりしていました。また、頭にスカーフのような布を巻き、あごの下で縛っている女性もいました。

 

パルティア王国時代の女性たちは、時折、腰に布を巻いていました。興味深いのは、イラン北部ギーラーンのガーセムアーバードの女性たちが、現在も、腰に布を巻いていることです。パルティア人は、星や太陽、月を崇拝していました。そのため、パルティア人の女性たちは、チャードルや帽子を装飾する際に、月や星の飾りを使用していました。