ペルシャ語ことわざ散歩(120)「手のひらには毛がない」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。
今回ご紹介するのは、「手のひらには毛がない」です。
ペルシャ語での読み方は、Kaf-e dast muu nadaaradとなります。
この表現は、誰かに脅迫されたりした場合、相手側に強硬な答えを示してこちらを無力な存在と思わせないために使われ、「こちらを甘く見るな」といった意味に近いと思われます。
この表現は、紀元前1世紀のローマ共和制末期の政治家クラッススと、当時イランやメソポタミア地域、シリアの一部を支配していたアルサケス朝パルティアの戦いが元になっています。
当時、クラッススは現在のシリアにあたる地域を支配しており、さらにはイランやインドを支配しようとして、東方遠征を行い、その際にパルティア王朝と対立することになります。パルティアの王オロデス2世は、ローマによって征服された村々を取り返すため、冬の期間を利用して戦いの準備に励む一方で、ローマの支配者クラッススの下に使者を派遣し、「ローマ軍は我々の土地に侵入してきたが、我々はあなた方の軍勢に、我々の領内から退却する許可を与える」と告げます。
その際、傲慢なクラッススは皮肉交じりに「メソポタミアの町セレウキアでお前たちに対し、私の善意を示してやろう」と返します。これに対し、オロデス2世の使者はにやりと冷笑しながら手のひらを見せ、「私の手のひらに毛が見えたなら、あなたはセレウキアを見るだろう」と切り返したということです。
つまりここでオロデス2世の使者が言おうとしていることは、「我々を甘く見てはならない。セレウキアの町はあなたのものにならない」ということです。実際に、クラッススは東方遠征した際、パルティアとの戦いで紀元前53年に戦死しています。
今回も、イランの歴史に由来する慣用句をご紹介しました。次回もどうぞ、お楽しみに。