サウジアラビアと高まるイスラム世界の緊張(画像)
イスラム教徒の団結における犠牲祭の地位とともに、イスラム世界の緊張に関するサウジアラビアの破壊的な政策について検討します。
イスラム暦ゼルハッジャ月10日は、イスラム教徒の最大の祝祭のひとつです。
犠牲祭の日は、神の御前では全てが無であり、自分と全てを神にささげ、純粋な服従を示す日です。犠牲祭の日、預言者イブラーヒームは神の命により、息子のイスマーイールを生贄台に連れて行きました。イブラーヒームはこの大きな神の試練を乗り越え、神の命により、息子の変わりに羊を生贄にしました。このときから、ハッジ・メッカ巡礼を行う者は、巡礼儀式の終わりに羊を生贄としてささげるようになったのです。
羊を生贄とすることは、サウジアラビアのメナーの地の巡礼者でも、巡礼者でない人も、預言者のイブラーヒームとイスマーイールの伝説を尊重することにあたります。犠牲祭は、最も愛すべき存在である神の前で、愛するものをささげる日なのです。自分の満足を神の満足のためにささげられることのできる人は、神の道の中で自分の心の欲望を控え、所有欲を克服します。
世界の、特にイランの多くのイスラム教徒にとって、メッカ巡礼の儀式や犠牲祭は、つらい思い出を想起させています。昨年のメッカ巡礼の儀式は、サウジアラビア当局のおろかさや秩序のなさにより、血の色で染まりました。数千人の巡礼者が、巡礼儀式を行う道において、聖地の保護者を主張するサウジアラビアのおろかさによって、将棋倒しとなり、死亡しました。サウジ政府はこの惨事による負傷者の救助作業においても無能であり、この惨事に巻き込まれた数千人の人々を助ける用意もできていませんでした。大変多くの巡礼者が、サウジ政府の安易な考え方により、命を落としたのです。このメナーの惨事で最も多くの死者を出したのはイラン人巡礼者で、464人がこの惨事によって死亡しました。
この昨年発生したメナーの惨事で、注目に値する点とは、この惨事に対するサウジアラビアの反応でしょう。サウジ政府はこの惨事の責任を認めず、このメナーの惨事の責任者に罰則を与える代わりに、すぐにこの惨事を政治化して、その責任を一部の巡礼者、特にイラン人の巡礼者に転嫁しました。こうした中、イラン人の巡礼者は、世界各地からメッカ巡礼儀式を行うためにサウジアラビアを訪問している巡礼者の中で、もっとも規則正しい計画を有し、またもっとも完璧な医療チームを有していました。
およそ900人の世界各国の巡礼者は、この惨事に巻き込まれたものの、イランの巡礼団の責任者や医療チームにより、命を救われました。しかし、サウジアラビアはこの惨事の責任を転嫁し、これを、イランを攻撃し、批判するための政治的道具に利用しています。
サウジアラビアの支配者は数年前から、西側政府とシオニスト政権イスラエルの政策に同調し、イランとの緊張を拡大し、イスラム諸国に危機を作り出す政策を推進してきました。
サウジ政府は、数十年の戦争と、ワッハーブ派に抵抗したという罪状で数千人のイスラム教徒を殺害した後での、サウジアラビアの樹立当初から、西側諸国の利益を守るための存在に成り果てました。はじめは、西側の最大の植民地主義国として、サウジ政府の戦略的同盟者となったのはイギリスでした。その後、イギリスの代わりに、アメリカがサウジの同盟者となりました。
しかし、サウード政権は、アメリカに加え、ほかの西側諸国にとっても、石油の点から魅力的な存在でした。このため、サウジアラビアは西側諸国との大きな関係を有しています。西側諸国も、サウジの石油収入をさらに利用し、商品、特にサウジアラビアに兵器を売却するため、熾烈な競争を、過去、現在にわたり行っています。
しかし、サウジアラビアは石油収入だけで民主主義を主張する国をひきつけていたわけではありません。一族による政治体制を持つサウジアラビアは、中東とイスラム世界における西側の政策の推進者に変わりました。サウジ政府の支配者は、石油収入に依存して、ほかのイスラム世界の中東諸国よりも優れていると主張し、サウジアラビアの政策に反対する中東のイスラム諸国を、自身の勢力範囲に干渉しているとみなし、対抗措置をとっています。これは、2011年、イスラムの目覚めの運動が始まった後からとられた、サウジアラビアの政策です。
最初にイスラムの目覚めの運動が開始されたのは、チュニジアでした。チュニジアで独裁政権に反対する人々の運動が始まった3週間後、同国のベンアリ政権が崩壊しました。ベンアリはチュニジアの人々の富を持てる限り持ち去り、家族とともにサウジアラビアに亡命しました。サウード政権の為政者は、正式な政府高官としてベンアリを歓迎し、彼をかくまいました。
次にイスラムの目覚め運動が発生したのはエジプトでした。人々が運動を起こし、若者の集会がカイロのタハリール広場で延々と続けられたあと、18日後、ムバラク政権は崩壊しました。人々の運動は、ムスリム同胞団出身のモルシ前大統領が大統領に就任する下地を整えました。
しかし、モルシ政権は誤った決定と、ムバラク時代から残る政治体制への信頼、そしてサウジアラビアと西側への信頼により、1年以上持たず、エジプト軍はサウジアラビアの資金援助と政治的支援により、モルシ大統領を罷免し、ムスリム同胞団のメンバー数百人を逮捕・収監し、多くの人々に死刑判決を宣告しました。
バーレーンにも、イスラムの目覚めが波及しました。サウジアラビアは、バーレーンでハリーファ政権を支援するために、直接的な形で、軍事的な干渉を行いました。
サウジアラビアはイスラムの目覚めの運動を逸脱させ、自身の目的を遂げるために人々の抗議を悪用しようとしています。シリアやイラクのテロ組織に対する政治、資金、軍事、輸送の各方面の支援は、アメリカやシオニスト政権の政策と同じ方向を向いている、サウジアラビアの危機を作り出す政策の一部なのです。
サウジ政府はテロ組織を全面的に支援し、シオニスト政権に対する抵抗の中枢を消滅させようとする中で、イランを標的としています。サウジ政府は、サウジアラビアの目覚め運動の前まで、自国をベイトルモガッダス・エルサレムを占領するシオニスト政権から、抑圧されたパレスチナ人を守る存在のように見せかけていました。
サウジアラビアは、パレスチナ自治政府に資金援助を行い、自治政府のアッバス議長に貸しを作っています。パレスチナ自治政府も、サウジアラビアの資金を利用するため、サウジアラビアの満足を得るのにいかなる行動も惜しむことはありません。
サウジアラビアの政策に沿った、アッバス議長の最近の行動のひとつは、フランス・パリで世界最大のテロ組織のひとつ、モナーフェギンの指導者の一人・マルヤム・ラジャヴィーと会談を行ったことです。この組織のテロ行為により、およそ1万7千人のイラン人が殉教しています。サウード政権はイランに対する敵対政策により、直接このテロ組織に資金援助や、政治支援を行っています。
サウード政権は、イスラエルと直接的な関係を持つことを拒否していません。多くの報道では、サウジアラビアの政府高官がテルアビブを訪問していることが明らかにされており、またこれも否定されていません。
一方、イスラム教徒のもっとも大きな敵はシオニストであり、60年以上もパレスチナと、最初の礼拝の方角となっていたベイトルモガッダスを占領しています。サウジ政府はイランやシオニストに対する抵抗の中枢を、イスラム教徒の人々にとっての脅威だとしました。幸いにも、世論、特にイスラム教徒の人たちは、これに関する真実を知っています。
ワッハーブ派のサウード政権は、預言者ムハンマドの純粋なイスラムから逸脱した行動をとり、過激主義や暴力、テロを拡大することで、一族による支配の基盤の強化のみを求めています。この政権はイスラム世界の代表として、そして聖地の管理者としてふさわしくありません。彼らの行動は、世界でイスラムのイメージを損なう要因となっているのです。