イラン在留日本人女性・山村邦子さんの逝去に、大統領などイラン要人らが哀悼表明
ライースィー大統領をはじめとするイラン政府当局者ら複数名が、1980年代の対イラク戦争殉教者の日本人母に当たる在留邦人女性・山村邦子さんの逝去にあたり、個別にメッセージを発信して弔意を表明しました。
イラン在住の日本人で、1980年代のイラン・イラク戦争で息子が殉教した山村邦子さん(イラン名:サバー・バーバーイー)が、1日金曜昼過ぎ、テヘラン市内の病院で亡くなりました。84歳でした。
山村さんは、去る5月末ごろから呼吸疾患のため入院していました。
山村さんは1938年、兵庫県芦屋市で生まれました。20歳の時、イスラム教徒のイラン人男性と知り合い、そのイスラム的道徳心の影響を受け、イスラム教に改宗。聖典コーランの第34章の名にちなんで「サバー」という名前を自ら選びました。その後、この男性と結婚し、イランに移住しました。
山村さんの息子のひとり・モハンマドさんは、1980年代のイラン・イラク戦争(別名:聖なる防衛/押し付けられた戦争)で殉教しました。このことで、山村さんはイランの体制指導部や社会に広く知られ、深く尊敬されることになります。
イルナー通信によりますと、ライースィー・イラン大統領は山村さんの訃報に接してのメッセージの中で、「日出づる国からのこの移住者は、勇気ある息子モハンマド・バーバーイー氏を育て、これをイスラム教国の祖国たるイランの国土の防衛にささげるという道において、自身および自らの息子の名を、殉教および自己献身という黄金の帳簿に、永遠に刻むこととなった」と述べています。
ガーリーバーフ国会議長も1日金曜夜、山村さんの訃報に深い悲しみの意を表し、「この信心深い自己献身的な母親は、対イラク戦争という聖なる防衛戦の殉教者の唯一の日本人母として、神への敬愛と献身の具現とも言うべき存在であった。彼女は自らの情愛あふれる膝元で勇気ある子息を育て、長年にわたりその実の息子の殉教に耐え、宗教とその聖なる法の真の模範を示し、自らの名を国境を守る祖国の英雄たちの物語の中で恒久的なものにした」と語りました。
ジェベリー・IRIB総裁および、イスマーイーリー・イランイスラム文化指導大臣、ガーズィーザーデ・ハーシェミー副大統領兼殉教者財団総裁、そしてノウルーズィーIRIB国際放送局長も同日夜、それぞれ個別のメッセージを発信し、山村邦子さんの逝去に弔意を表明しました。
ジェベリー総裁はメッセージにおいて、「故バーバーイー・山村邦子氏は、イスラム革命の芽生えを体現し、かつその輝かしい先駆者の1人であったことに疑いはなく、またIRIB国際放送ラジオ日本語の創設における彼女の貢献は、その聖なる戦士としての霊魂のしるしであった」と強調しています。
そして、ノウルーズィー局長も「この女性はイスラム教国たるイランでの実りある生涯の中で、母として情愛を降り注ぐ聖なる尽力が後世にまで人々に語り継がれることを、別な形で万人に想起させ、たが、まさにその例の1つがIRIB国際放送ラジオ日本語であった。この躍動的で影響力のあるメディアは、昨日の山村邦子氏、そして今日のサバー・バーバーイー氏がその創設者の1人であり、その名は恒久的に人々の記憶に刻まれ、生き続けるだろう」と述べています。
山村さんは、イラン国営放送国際部のラジオ日本語創設にも大きな役割を果たし、同局の専門家として協力を続けました。
さらに慈善活動や日本・イラン間の文化・社会交流、テヘラン平和博物館の創設、イラン・イラク戦争でイラクによる毒ガス攻撃を受けた被害者の声を伝える活動、信仰関連のペルシア語テキストの日本語訳など、多くの活動に従事しました。
山村さんの回想録『日出づる国からの移住者』は、イランで版を重ね、その他の言語にも翻訳されています。
なお、山村さんの葬儀および埋葬式は3日日曜、実施される予定です。