イラン政府報道官、「ボスニアのイスラム教徒大量虐殺に対する人権機関の沈黙は忘却されない」
バハードリージャフロミー・イラン政府報道官が、旧ユーゴスラビアの連邦の一国ボスニア・ヘルツェゴビナでのイスラム教徒大虐殺の記念日に際して、「この公然とした組織的な大量殺戮に対し人権機関がさらなる死を呼ぶような沈黙を決め込んだことは、諸国民の歴史的な記憶から消去されることはない」と語りました。
1995年6月11日、およそ1万人のイスラム教徒の民間人らが、セルビア軍の攻撃への恐れから、現ボスニア・ヘルツェゴビナの町スレブレニツァにある国連傘下のキャンプに避難しました。
この地域の防衛任務を担っていたオランダ兵は、同日この町をセルビアに明け渡しました。
セルビア軍により捕虜とされた若者や男性は、国際機関の統計では合計でおよそ8500人にものぼり、ムラジッチ司令官が率いるセルビア軍により同年7月19日までに組織的に、スレブレニツァ近郊で大量虐殺されました。
この大量虐殺は、第2次世界大戦後のヨーロッパ最大の虐殺とされており、今なお一部の犠牲者の遺体のありかが不明となっています。
国際通信イランプレスによりますと、バハードリージャフロミー政府報道官はツイッターで、「27年前のこの日、8000人以上のイスラム教徒が、安全地帯と銘打ったボスニアの“死の通り”において大量虐殺された」とし、「この公然とした組織的な大量虐殺に対し、人権機関が致命的な沈黙を決め込んだことは、諸国民の歴史的な記憶から決して忘れ去られることはないだろう」と述べました。
また、この大量虐殺による50人の犠牲者の遺体の残骸が見つかったことに触れました。
最近、第2次世界大戦後のヨーロッパ最大の虐殺でのこの50人の犠牲者はDNA鑑定で身元が判明し、11日月曜にスレブレニツァ市内の記念センター内の墓地での式典において埋葬されています。
これらの犠牲者のうち最年少者は16歳、最年長者は59歳とされています。
これにより、埋葬されたスレブレニツァ大量虐殺の犠牲者の数は6721人に増えました。