視点
イラン国内の暴動への米の関与を強調したイラン最高指導者
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イラン・イスラム革命最高指導者のハーメネイー師
イラン・イスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、「世界の覇権主義との闘いの日」を翌日に控えた2日水曜、数百人の学生らと面会し、この記念日にあたるイラン暦アーバーン月13日(西暦11月3日)を、アメリカの悪の具現であるとともに、アメリカの脆弱性と敗北の可能性の具現および証明でもあると述べました。
イラン暦アーバーン月13日(西暦11月4日)はイラン史上の重要な出来事が3つ起きた日です。1964年(イラン暦1343年)のこの日には、後のイラン・イスラム革命初代最高指導者のホメイニー師がトルコに追放されました。1978年には時のパフラヴィー王政による児童殺害、1979年にはアメリカ大使館占拠事件が起こりました。
この3つの出来事はいずれも、イラン・イスラム革命が一大運動として掲載される上で特別な役割を果たし、その本質は世界的な覇権主義者との闘いとなっています。それゆえ、この日は「世界の覇権主義との闘いの日」と呼ばれています。
イラン最高指導者のハーメネイー師は、このアーバーン月13日を歴史的で教訓的な日とし、上記3つの事件について触れ、「アメリカとアメリカ的潮流は、この重要な日とその団結をもたらす集会に憤慨している。それは、この日がアメリカの悪の具現であるとともに、アメリカの脆弱性と敗北の可能性の具現および証明でもあるからだ」と述べました。
ホメイニー師の国外追放を見れば、この追放は、ホメイニー師がアメリカの治外法権に抗議したことが原因で起きたことが分かります。実際に、この抗議は覇権主義・植民地主義との闘いの出発点になりました。また、王政への抗議活動のためテヘラン大学に向かっていた児童らが殺害された事件や、アメリカのスパイの巣窟(=在テヘラン・アメリカ大使館)が占拠されたことは、ホメイニー師の見方によれば第二の革命であり、覇権主義に対する人々の革命的行為の継続でした。
アメリカ大使館は、そこから機密情報がアメリカ本国に渡っていた場所でした。占拠後に見つかった書類からは、アメリカが当初からイランに対する陰謀を計画し、イスラム革命の勝利に反対していたことが分かっています。当時のカーター米大統領は占拠後の1979年11月8日、イランがアメリカの国家安全保障を脅かしているという口実のもと、米国内のあらゆるイラン資産を凍結しました。このようなアメリカの姿勢は、革命当初から今日まで、政治、経済、時には軍事的手段まで使って続いています。

ハーメネイー師はこの日の演説で、ここ数週間イラン国内で続く暴動にアメリカが明らかに関与していることについて、「イラン情報省と革命防衛隊情報部が暴動についてまとめた共通情報には、重要な内容が含まれており、敵がテヘランやその他のイラン各都市において陰謀を企み計画を立てていたことを示している」と語りました。
ハーメネイー師が語ったように、各種証拠から、CIA・米中央情報局がスパイ組織や反動勢力と共謀して、イランに対して騒乱や外国勢力による圧力激化のための下地を整えるため、計画を立案していたことが分かっています。CIAはこの計画立案のため、シオニスト政権イスラエルの情報機関モサド、イギリス、サウジアラビア、その他複数国の情報機関と緊密に協力しています。
各種証拠や歴史上の経験から、アメリカ政府は過去数十年、少なくともここ数年において、イラン国内の街頭での治安悪化や騒乱への主たる支持者であったことは明らかです。ここ数週間のイラン国内での暴動でも、アメリカや一部の欧州諸国は、人権や女性の権利といった問題を、イラン社会に騒乱や対立・分断をもたらす機会としてみなし、それ以前からも計画を立てていました。アメリカおよび、これに同盟する西側・地域諸国が行ってきたイランにおける騒乱扇動のための工作には、「複合戦争指導者の養成」講座の開催や、偽のグループ組織による教師、労働者、大学生といった様々な階層への影響力行使、そしてこうした階層の悪用のための指導者育成などが挙げられます。
ハーメネイー師は、アメリカがイラン国民に心を寄せているなどとする明白で恥知らずな嘘について、「ここ数週間の複合戦争において米国、シオニスト政権イスラエル、そして悪質なヨーロッパの大国の一部、および複数の勢力が、イラン国民に打撃を与えようとあらゆる手段を現場に持ち込んだが、わが国民は悪意のある者たちを黙らせ、彼らを失敗に追い込んだ」と強調しました。