イラン大統領選挙、立候補者全6人の顔ぶれ
(last modified Mon, 10 Jun 2024 12:50:04 GMT )
6月 10, 2024 21:50 Asia/Tokyo
  • イラン大統領選挙、立候補者全6人の顔ぶれ
    イラン大統領選挙、立候補者全6人の顔ぶれ

イラン大統領選挙の立候補者の資格審査を担う監督者評議会は9日、審査を通過した6人の最終候補者の一覧を発表しました。

審査を通過したのは、モスタファー・プールモハンマディーサイード・ジャリーリーモハンマドバーゲル・ガーリーバーフアリーレザー・ザーカーニーアミールホセイン・ガーズィーザーデ・ハーシェミーマスウード・ペゼシュキヤーンの各氏です。この記事では、その顔ぶれを1人ずつ紹介していきます。

 

マスウード・ペゼシュキヤーン(心臓外科医/元保健相)

候補者登録受付に訪れたペゼシュキヤーン氏と娘

1954年9月29日、西アーザルバーイジャーン州マハーバード生まれ。高校卒業後、19歳で兵役に入り、南東部スィースターン・バルーチェスターン州ザーボルに派遣されます。ほぼ同時期に医療に関心を抱き、兵役終了後の1975年、理系の高校卒業資格を取得。翌年、北西部タブリーズの医科大学に合格しました。

イラン・イラク戦争従軍中のペゼシュキヤーン氏

2001年から2005年にかけて当時のハータミー政権で保健・医療教育相、2008年からは4期連続で国会議員を務め、今年3月の選挙でも5期目の当選を決めたばかりです。

国会議員在任中の2016年から2020年にかけては、副議長も務めました。

ペゼシュキヤーン氏は前回2021年の大統領選挙でも候補者登録を行いましたが、資格審査は通過しませんでした。

 

モスタファー・プールモハンマディー(イラン公文書館館長/イスラム法学者)

モスタファー・プールモハンマディー

1960年3月9日、中部ゴム生まれ。ゴムや北東部マシュハド、テヘランの神学校でイスラム法学、法源学、哲学などを大学博士課程に相当する第4課程まで修了。20歳で検察入りし、1987年まで南部フーゼスターン州、ホルモズガーン州、西部ケルマーンシャー州、ホラーサーン州などの地方検察に赴任しました。

イラン・イラク戦争従軍中のプールモハンマディー氏

また、1997年から1999年まで情報省副大臣、2005年から2008年まで内務相、2008年から2013年まで行政監督庁長官を歴任しました。

2013年に発足したロウハーニー政権では司法相を務め、現在は国立公文書館館長、また中道・原則派のイスラム法学者で組織する「闘うウラマー協会」事務局長に就いています。

 

サイード・ジャリーリー(外交戦略評議会メンバー/元国家安全保障最高評議会書記局長)

サイード・ジャリーリー

1965年9月6日、マシュハド生まれ。高校から大学時代にかけて、当時続いていたイラン・イラク戦争の前線に何度も赴き、1987年には作戦従事中に負傷し、右足を切断しました。

1990年に外務省監督局長に就任。その後、アメリカ担当局長も務めます。

イラン・イラク戦争従軍中のジャリーリー氏

2007年から2013年まで国家安全保障最高評議会の書記局長として西側諸国と核問題をめぐる交渉にあたりました。2013年の大統領選挙では400万票以上を獲得し、全候補者中3位でした。また、同年から公益判別会議のメンバーも務めています。

2017年の大統領選挙では、先月ヘリ事故で殉教したライースィー大統領の支持に回り、応援演説などに駆け付けました。(ライースィー氏はこの時次点)

ジャリーリー氏は前回2021年の大統領選挙にも出馬しましたが、ライースィー氏への票が割れるのを防ぐため、投票日の2日前に撤退を表明しました。

 

アリーレザー・ザーカーニー(テヘラン市長/放射線医)

アリーレザー・ザーカーニー

1966年3月3日、テヘラン生まれ。1997年にテヘラン医科大学医学部を卒業した後、2004年には放射線専門医の課程を修了しました。

その後、テヘラン医科大学、イマーム・ホメイニー病院、シャリーアティー病院、イラン放射線医学会の各理事を歴任します。

イラン・イラク戦争従軍中のザーカーニー氏

2004年にテヘランから国会議員に初当選し、2016年まで3期務めた後、2020年の選挙ではゴムに選挙区を変えて出馬・当選しました。国会議員時代には国会研究センター所長を務めたほか、テヘラン医科大学イスラム学生会中央委員会メンバー、同大・学生バスィージ責任者、テヘラン州学生バスィージ責任者、イラン赤新月社最高評議会メンバーなど様々なポストを歴任しました。

2021年にはテヘラン市長に選出され現在まで在任しているほか、昨年には大統領顧問に任命されました。

 

セイエド・アミールホセイン・ガーズィーザーデ・ハーシェミー(現副大統領/殉教者財団所長/耳鼻科医)

セイエド・アミールホセイン・ガーズィーザーデ・ハーシェミー

1971年4月14日、東部ファリーマーン生まれ。2008年から2021年までマシュハド選出の国会議員、そのうち最後の1年は第一副議長を務めました。2021年に発足したライースィー政権で副大統領の1人に任命され、国会議員を退任。

イラン・イラク戦争従軍中のガーズィーザーデ・ハーシェミー氏(右)

ガーズィーザーデ・ハーシェミー氏は耳鼻科医の資格を持ち、国会議員になる前はセムナーン医科大学の学長を務めていました。

2021年からは殉教者遺族への支援などを行う殉教者財団の所長に就任。同年に行われた大統領選挙にも出馬し、全候補者中4位の得票数でした。

 

モハンマドバーゲル・ガーリーバーフ(国会議長/元テヘラン市長)

ガーリーバーフ氏と妻

1961年8月23日、北東部タルガベ生まれ。1979年のイスラム革命直後に起きたイラン・イラク戦争に18歳で志願。優れた仕事ぶりで21歳の時には部隊を率いるまでになります。

イラン・イラク戦争従軍中のガーリーバーフ氏(左)

1994年にはハータモル・アンビヤー建設公社の総裁に就任し、中央アジア諸国からイランを経てトルコに至る鉄道網の建設、地方5州への都市ガス整備、ペルシャ湾大規模建設プロジェクト、ダム建設などを手掛けました。

1997年、ハーメネイー最高指導者の任命により革命防衛隊航空部隊司令官に就任。1999年には警察トップである治安維持軍司令官に任命され、警察装備や市民サービスの拡充を指揮します。

2005年にはテヘラン市議会から市長として選出され、2017年までの12年間にわたって務めます。2020年には国会議員選挙に出馬し、テヘラン選挙区でトップ当選を果たしました。

ガーリーバーフ氏は、これまでに2005年、2013年、2017年の大統領選挙に出馬した経歴があり、最初の2回はそれぞれ4位と2位、2017年の時はライースィー候補を支援するため途中で選挙戦から撤退しました。

 

この記事はメフル通信社の記事を抜粋したものとなります。

 


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