イランには何年の歴史があるか?
(last modified Wed, 30 Apr 2025 07:32:42 GMT )
4月 30, 2025 16:32 Asia/Tokyo
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    イランには何年の歴史があるか?

イランは常に、世界の文明と文化の中心地となってきました。

「イラン」について話すとき、私たちには国を超えた名称が思い浮かびます。その地の起源は数千年前に遡り、初期の人類文明の形成にまで遡ります。イラン西部ケルマーンシャー州にある新石器時代の集落ギャンジ・ダッレや、同ガズヴィーン州ザーゲなどの丘陵地帯に農耕社会が根付いた約1万年前から、南東部の焼失都市遺跡シャフレ・スーフテ、南東部ケルマーン州ジーロフト、西部イーラーム、そして紀元前の壮麗なアケメネス朝といった高度な文明が興隆するまで、イランは常に革新、文化、そして権力の舞台となってきました。

イランというこの地は、初の政治体制と文字の出現の地であることに加え、歴史的な紆余曲折を経ながらも文化的アイデンティティを維持し、世界史において独自性ある位置を占めています。

パールストゥデイのこの記事では、考古学的証拠や史料の検討によりイランの歴史を深探りし、古代の土壌から今日の高層ビルに至るまで、この地が自らのアイデンティティを保ってきたプロセスを見ていきます。

先史時代の始まり(紀元前8000年頃)新石器時代(紀元前8000年頃)の考古学的遺跡からは、イランが農業の初の発祥地の一つであったことが分かっています。ケルマーンシャー州のギャンジダッレの丘やカズヴィーン平原のザーゲの丘などの遺跡は、約1万年前に遡る原始時代の農業および動物の家畜化が行われていたことを裏付けています。これらの集落こそは、イラン文化史の出発点だと言えます。

 

西部ケルマーンシャー州にあるギャンジダッレ丘

 

焼失都市遺跡・シャフレスーフテ(紀元前3200年頃)

イラン南東部スィースターンバルーチェスターン州にあるシャフレスーフテ遺跡は、ペルシャ語で「焼失した都市」を意味し、今から約5000年前(紀元前3200年頃)に建設され、紀元前1800年まで繁栄していました。この先進的な都市に下水道や工場、さらには脳手術の痕跡(最古の例)までもが残っていることは、この都市が社会・技術面で相当に高度な水準にあったことを物語っています。また、ここで発見された「義眼」(紀元前2800年頃の世界最古の義眼)やボードゲームなどの出土品は、この文明が豊かな文化を誇っていたことを裏付けています。

 

イラン南東部の焼失都市遺跡

 

エラム文明(紀元前2700年頃)イランで最初に組織された政体の一つであるエラム文明は紀元前2700年頃、現在の南西部フーゼスターン州に出現しました。特に、ユネスコ世界遺産に登録されているチョガ・ザンビールのジッグラト(階段状の神殿、聖塔)は、彼らの建築技術の証であり、紀元前1250年頃に建設されたものです。エラム王国の首都スーサには紀元前4200年から残るとされる集住の層があり、初期の文字体系を示す先エラム時代の粘土板などの遺物が残っています。

 

イラン南西部にある古代エラム王国チョガザンビール遺跡のジックラト


 

ジーロフト文明(紀元前2500年頃)現在のイラン南東部ケルマーン州にあるジーロフト文明は紀元前2500年から2200年頃に栄え、同地域の商業と文化の中心地の1つとして知られています。ヤヒヤー丘陵などでの考古学的発掘調査により、未知の文字が刻まれた石板や、彫刻が施された緑泥石でできた器など、メソポタミアやインドとの広範なつながりを示す珍しい遺物が発見されました。アジア文明と西洋文明の間の「ミッシングリンク」とも呼ばれるこの文明は、古代イランの文化的豊かさをさらに高めることとなりました。

 

ジーロフト文明


 

アケメネス朝(紀元前550~330年)キュロス大王が建国したアケメネス朝は、紀元前550年頃にイランを実質的な政体として統一しました。紀元前518年頃に建設された儀式の首都ペルセポリスは浮彫のある石碑と壮麗な宮殿を擁し、この時代を象徴しています。キュロスの墓(紀元前530年頃)を含むパサルガダエ遺跡群はこの帝国の偉大さとともに、「イラン」(古代ペルシア語で「アーリア人の土地」を意味するアーリヤーナームに由来)という名称が公式化されたことを物語っています。

 

南部ペルセポリス(タフテジャムシード)にある「万国の門」(別名;クセルクセス門)


その後の各時代パルティア帝国(紀元前247年 - 224年)やサーサーン朝(224年 - 651年)といった後の帝国もこの伝統を引き継ぎました。浮き彫りの石碑があるビーシャープール(現在のイラン南部ファールス州カーゼルーン郡、サーサーン朝、西暦3世紀)やクテシフォン(パルティア・サーサーン朝の首都、現在のイラク首都バグダッド南東)などの場所は、イランの永続的な文化・政治的影響力を物語っています。また、イスラム伝来以降の時代には、シーア派8代目イマーム・レザー廟(北東部ホラーサーンラザヴィー州、西暦9世紀以降)などの新しい史跡が出現しましたが、これらはさらに新しい部類となっています。

 

北東部マシュハドにあるシーア派8代目イマーム・レザー霊廟

 


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