イラン最高指導者;「いかなる個人による、いかなる立場からの分裂扇動も敵の利益に」
-
イランイスラム革命最高指導者のモジュタバー・ハーメネイー師
イランイスラム革命最高指導者モジュタバー師がメッセージにおいて「いかなる立場にある者であれ、また故意であろうとなかろうと、イスラム教徒の仲を裂く者はイスラムの敵の目的を達成したことになる」と語りました。
【ParsTodayイラン】イスラム革命最高指導者事務所の情報サイトによりますと、モジュタバー師は30日日曜、(イスラム教徒間の)団結週間ならびに、イスラムの預言者ムハンマド及び、シーア派6代目イマーム・サーデグの生誕日に祝意を表し、以下のようなメッセージを発しています;
慈悲深く慈愛あまねき神の御名において
イスラムの預言者ムハンマドは神の使徒であり、彼と共にいる者は不信仰者に対しては断固として立ち向かい、仲間同士の間では慈悲深い。
偉大なる光、創造の光、光の中の光、神に選ばれし者、知識の都、世界の慈悲、イスラムの尊き使徒、そして彼の清らかで純粋な息子、完全なる神の証であるシーア派6代目イマーム・ジャアファル・サーデグの生誕日に際し、崇高なるイラン国民と偉大なるイスラム共同体に祝意を申し述べる。
最後の預言者ムハンマドの存在という太陽が聖地メッカに昇って以来、全能の神への完全な奉仕と服従の誓いである人類の幸福という展望が新たな輝きを増し、預言者、天使、聖者の魂は喜びに満ち溢れ、人間とジン(幽精)の悪魔は怒り、後悔、悲しみに溢れかえった。なぜなら、無数の創造世界の中で最も優れた神の創造物が地上の舞台に降り立ち、間もなく預言者としての最終性を帯び、偉大なるイスラムの聖典コーラン、および人類を包括的に導く使命を携えて、人類の大隊を率いて神への服従、そして神の方向への進化・完全の極致へと向かったからである。
かの気高きお方とその無謬の後継者らの生涯は、まさに導きと奉仕、知識と愛、信仰、そして神の道における聖なる戦い、優れた個人・社会的道徳と倫理、信頼と誠実、名誉と尊厳、知識と行動、慈悲と決意、公平と正義、そして団結と同胞愛の教訓に他ならない。これらの教訓をより深く学び実践すればするほど、人類の子孫にとって幸福と繁栄の頂点への到達が容易になるだろう。我々は、慈悲に溢れた預言者の清らかな魂、そして後継者たちと清らかな巡礼者たちの清らかな魂が、常にイスラム教徒とイスラム社会の状況を見守り、導き、慈悲深い存在であると信じている。この優しく高潔な父親の子弟らが過ちを犯すたびに、彼の心は悲しみに暮れ、イスラム教徒らが彼の教えや指示に従って行動するたびに、彼の聖なる心は喜びに満ち溢れる。
イスラム教とその信徒らは困難と激動の時代を経て、数々の紆余曲折を潜り抜け、今や運命的な、そして決定的な局面を迎えている。今日、イスラム教徒は非常に影響力のある、歴史を左右する役割を果たすことが可能である。真実が虚偽に、そしてイスラム教が不信仰に最終的に勝利を収めるという展望が、これまでのどの時代よりも現実味を帯びてきたのは、まさに現代なのである。
そのための第1の条件は、イスラム教徒の言葉の統一である。世界的な不信心に対するイスラム教徒の団結はコーランの戦略であり、預言者ムハンマドの教え説く純粋なイスラムの真の教えであり、表面的、一時的な問題ではない。それを統一する目的は、すべてのイスラム社会の共通点を軸とし、原則とすることにある。もっとも、論拠に基づいて、同時に同胞愛と仲間意識のあらゆる側面を尊重しつつ、コーランの教えにあるように完全な平和と調和の中で、相違点を共通点に転じさせるための努力がなされる。
はっきりしていることは、世界的な不信心(無神論)に直面した時、イスラム社会に暮らす個々のイスラム教徒は「異教徒に対しては強く、互いには慈悲深くあれ」というコーランの原則を、自らの思考、表現、行動の中心に据えるべきだということである。そして、これこそがイスラムの統一と連帯を実現する道に他ならない。この天からのメッセージの2つの要素のうち、どちらか一方がイスラム教徒の行動の舞台から排除される時、彼らはイスラム社会において正当に獲得した名誉ある地位からも排除されることになり、これは不変の法則である。
この規則は、イスラム革命の根本的な原則および、複数のメッセージのうちの1つである。
初の団結週間の実施は、抑圧的な旧パフラヴィー政権との闘争の最中にあった1977年2月~3月に遡る。かの偉大な最高指導者・殉教者でもあるハーメネイー師がイラン南東部イーラーンシャフルに追放されていた時期にこの構想を提唱した際、イスラムの2大宗派たるシーア派とスンニー派の両方がこれを歓迎した。1979年のイスラム革命の勝利後まもなく、現イランイスラム共和国の創始者である故ホメイニー師の発案により、「団結週間」が正式に制定された。同師の恩寵により、イスラム民族の団結という概念はイラン民族の間で成功例となり、敵の陰謀はそれを歪めるほどの大きな影響を及ぼさなかったのである。
しかし、確かに、この偉大な恩恵の陰には、常に悪意を持った輩が潜んでいる。彼らに希望を与えるのは、相違点の強調である。思想的、宗教的な相違はイスラムの敵の思惑の重要な側面であり、彼らはそれを利用することに熱を上げているが、それだけでは満足せず、人種、文化、社会、経済、政治、地理といったあらゆる種類の相違を口実にして、イランや他のイスラム諸国のイスラム教徒間に不和対立を生み出そうとしている。つまり彼らは、イスラム共同体の分裂と勢力の衰退を観察し、適切な時期にイスラム教徒に対する支配権を行使できると思い込んでいるのである。
イスラムの聖典コーランはこのような場合について、「争うなかれ。あなた方は失敗し、あなた方の息は止むだろう」という聖句で命じている。したがって、いかなる立場にある者でも、また故意であれ不慮であれ、意図的であろうとなかろうと、イスラム教徒の間に離間の策をしき分裂を引き起こし、イスラム共同体に紛争を生み出すような行為に訴える者は、イスラムの敵の目的を達成したことになる。そして、犯罪国家アメリカに率いられた世界の暴君どもが、植民地主義的な目標と覇権主義的な計画という醜い素顔から欺瞞的な仮面や覆いを取り払い、欺瞞的なビロードの手袋を脱ぎ捨て、血塗られたカギづめを全世界に見せつけた今、このような行為の責任を無知や怠慢に転嫁できるはずはないのである。
今こそ、イスラム教徒が自らを振り返り、出来事をより深く見つめ直すべき時である。もしイスラム教徒が固く握りしめた一つの手であったなら、パレスチナ民族は占領者によるこのような無力な抑圧と犯罪に晒されていただろうか?そして、ペルシャ湾岸に暮らす諸民族がイスラムの旗印の下に団結していたなら、顔の見えない腐敗した輩は、果たして大胆にも数千キロも離れた場所から彼らの土地や資産を貪り食おうとしただろうか?
イスラム諸国、特に西アジア地域とペルシャ湾岸諸国の指導者らに対し、私が強く繰り返し助言したいことは、真の敵を認識し、その計画を理解し、立ち向かうことである。イスラム共同体の問題解決は、善の道における言葉の統一、友情、そして協力に他ならない。この統一と友情の宿敵となるのが、犯罪的なアメリカの支配者どもと偽りのシオニスト政権イスラエルである。彼らはイラン国民やイランイスラム共和国、そして偉大なるイスラム抵抗戦線にとっての敵であるのみならず、西アジア・北アフリカ諸国を含むイスラム共同体全体の敵でもある。この点において、その多くが彼らの協力者と見なされているそれらの国の指導者らも、決して例外ではない。覇権主義的な指導者らがイスラム諸国の指導者に対し公然と無礼な態度を取り、醜い言葉を使ったことは、諸君と我々の記憶に新しいはずである。
団結、そして争わないという重要な教訓は、敵・味方への対応のあり方に関するイスラム思想の第1の教訓である。しかし、第2の教訓は不信心から互いを守ることであり、第3の教訓は富、安全、知識、進歩といったイスラム教徒の物質的・精神的生活の様々な問題において、あらゆる協力と相乗効果を発揮することであり、この道筋は最終的に新たなイスラム文明の構築につながる。したがって、イスラム教徒間の団結は、優勢かつ愛しきイスラム文明を実現するための主要な礎石となる。イスラム世界に対する我々の願いが込められたこの概念的・知的な発案は、愛しきイランにおいてそれなりに、認められる程度にまで実現されている。そして、小生というこの神の一下僕からイラン国民へ助言したいことは、いかなる状況下でも、国民同士の間にいかなる不和対立を引き起こしてはならないということである。
最後に、聖なる預言者とその清らかな子孫たちの執り成しによって、神の祈りと平安が彼らすべてにあらんことを、そして神の慈悲深く祝福された恵みの影がイスラム社会に降り注ぎ、彼らが神の命令に従った行動の下で、日々進歩と栄光の階段を登っていくことを切願する次第である。
諸君に神の慈悲と祝福、平和があらんことを願ってやまない。
セイイェド・モジュタバー・ホセイニ―・ハーメネイー
2026年8月30日
ラジオ日本語のソーシャルメディアもご覧ください。