思想家の考えるイスラム革命(8)
(last modified Thu, 07 Feb 2019 16:30:00 GMT )
2月 08, 2019 01:30 Asia/Tokyo
  • ミシェル・フーコー
    ミシェル・フーコー

イランは現在、イスラム革命の勝利から40周年を迎えようとしています。

イスラム革命は40年が経過してもなお、未だに語られていない多くの側面が存在します。この革命は、地域や世界の関係を変えただけでなく、理論の分野でも、これまでの革命のセオリーに疑問を呈しました。それまでのセオリーでは、イスラム革命が起こった原因を予想したり、説明したりすることはできませんでした。イスラム革命に関して多くの研究を行ってきた西側の思想家の一人に、フランスのミシェル・フーコーがいます。

ミシェル・フーコーは、イスラム革命が実を結ぼうとしている頃にイランを訪問し、王制に対するイラン国民の団結を実際に目にしました。彼は1978年、イランのイスラム革命について次のように語っています。

 

「シーア派以外のいかなる宗教的な思想にも、圧制者の支配への批判を強調し、革命というひとつの理念のもとに国民を総動員させる力はない」

 

フーコーは、ホメイニー師を神話上の人々になぞらえ、次のように強調しています。

 

「世界中のメディアの支持を得たとしても、自分と国民の深い結びつきを示すことのできる政治家は世界に存在しないだろう。しかしホメイニー師は、メディアの助けを借りずに、国民との精神的、宗教的、思想的なつながりを、一言も言葉を交わすことなく、イラン国民の魂の奥深くに根付かせたことを示した」

 

イスラム革命

 

フーコーは、ホメイニー師を指導者とするイスラム革命が成功したのは、彼の政治的な力によるのではなく、この人物の精神性重視の政治によるものだとしています。

 

「イラン国民は、革命の中で、彼らの個人的、宗教的な特徴における変化を求めていた。なぜなら、国王によって押し付けられた思想や歴史によって、西側に無条件に従うことを受け入れられなかったからだ」

 

フーコーは、戦車や武器に対する国民の抵抗について驚きを示しています。

 

「イランで驚いたのは、人々の闘争が、全ての国民と、武力によって国民を脅す権力の間の闘争であり、それ以外の対立は見られないということだ。つまり、国民の意志と武力の対立である。国民がデモを行い、戦車が現れる。国民のデモが繰り返され、武器が再び火を噴く。これらは皆、ほぼ同じ形で繰り返される。とはいえ、形や中身は変わらなくても、激しさは増していく」

 

フーコーは、イラン国民が蜂起した際の王制の状況について次のように語っています。

 

「国民は、完全武装し、想像もできないほど忠実な大きな軍隊を持つ統治体制を相手にしていた。国民は、全く機能的ではなかったものの、残酷で暴力的な警察を相手にしていた。政権は直接、アメリカに依存しており、周囲の大小の国や世界全体の支えを受けていた。この政権は、あらゆる勝利のためのカード、引いては石油も有しており、政府は好きなように、石油による収入を使うことができた。それにも拘わらず、国民は立ち上がった。国民は経済的な問題に対しても立ち上がったが、この頃のイランの経済問題は、国民を数十万、数百万という単位で街頭に繰り出させ、武器に立ち向かわせるほど大きなものではなかった」

 

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