イラン人女優が語る母国の現状 ananwebから
国や文化が変われば、社会における女性の立場も大きく異なるもの。そこで、3世代の女優の人生をもとにイランが抱える“闇”に迫る注目作『ある女優の不在』をご紹介します。今回は、その背景について、主演を務めたこちらの方にお話をうかがってきました。
今回、劇中では本人役として出演しているジャファリさん。自殺をほのめかす女優志望の少女から“遺言動画”を受け取ったことがきっかけとなり、本作を手がけるジャファル・パナヒ監督とともに彼女を探す旅に出るところから映画は始まります。
そこで、来日を果たしたジャファリさんに、フィクションでありながらドキュメンタリーの要素も含む本作の裏側とイランの俳優たちの知られざる現状などについて、語っていただきました。
―まずは、この作品に出演することになった経緯を教えてください。
ジャファリさん オファーを受けたのは、海外旅行から帰国して空港に到着した夜のことでした。編集の方から「パナヒ監督の映画に出ませんか?」とお電話をいただいたんです。
そのときに、撮影のスケジュールを聞いたら、「明日からです」と言われて非常に驚きましたが、以前からパナヒ監督の作品に対しては尊敬の念を持っていたので、すぐに脚本を読み、次の日の朝には撮影に出ました。
―かなり急展開な始まりだったのですね。とはいえ、準備期間もなく、しかも本人役での出演に対して躊躇することはなかったのでしょうか?
ジャファリさん 実は、こういった役を演じるのは、私にとっては初めてのことではありませんでした。まずは20年以上前に、イランで発生した大地震で被害を受けた遺跡でドキュメンタリーのような映画を撮ったときのこと。そこでは、崩壊した建物のなかにあった油と人のにおいが残っていた毛布を頭にかぶせられ、「自分自身を演じなさい」と監督に言われたこともありました。
そのほかにも、女優が職業のキャラクターを演じたこともあったので、そういう意味でもいままで演じた役と今回の役はそこまでかけ離れたものだと感じることはなかったんだと思います。
―なるほど。ちなみに、セリフに関しては、ほとんどがアドリブですか?
ジャファリさん 事前にもらっていた脚本には細かいセリフは書かれておらず、それぞれのシーンとポイントになる会話が書かれているだけでした。ただ、今回はパナヒ監督自身も本人役を演じていたので、現場で話し合って即興的なやりとりを一緒にしています。とはいえ、登場する村人たちは素人なので、彼らには「こういう話をしてほしい」と伝えたうえで考えながら作っていくという流れでした。
―ただ、ジャファリさんはパナヒ監督の作品に出演したことで、イラン政府当局から呼び出されたそうですが……。
ジャファリさん 呼び出されたことは事実ですが、イランの俳優にとっては、あまり特別なことだとは感じていません。というのも、日本やほかの国とは違って、イランの俳優にはエージェントがいないので、すべて自分でやらなければいけないからです。
もちろん、それによって今回のようなさまざまな対応や経済的なこと、契約のやりとりなど、すべてを自分でしなければいけないのは大変なことではありますが、その代わりに自由があります。つまり、どんなに小さな役でも、「脚本が素晴らしいから」とか「この監督の作品には絶対に出たいから」と思えば、何でも自分で決めることができるんです。しかも、イランでは男優よりも女優のほうがギャラが高いんですよ。
―ハリウッドですら女優のギャラが男優よりも安いことがいまだに問題となっているだけに、それは驚きです。イランではなぜ逆なのですか?
ジャファリさん 私にも正確な理由やどのくらい違うのかについて、はっきりとはわかりませんが、それは女性に対する尊敬かもしれないですね。たとえば、女優は「このくらいだったら受けます」と自由に言うことができますし、同じレベルの俳優の場合、女優よりも男優のほうが安いというのが一般的です。
―とはいえ、劇中でも描かれているように、イランでは女性が女優になることに対して、偏見があるようですが、ご自身も同じような経験をされたのでしょうか?
ジャファリさん 私が子どものころに「女優になりたい」と言ったとき、母はすごく怒っていましたが、いまはそういうことも少なくなってきていて、逆に親が子どもを俳優にさせたいと思って私に演技を教えてほしいと頼んでくることもあるほどです。
それは、そのほうが子どもが幸せになれると思っている人や、本当は自分が俳優になりたかったけどなれなかったから子どもにその夢を託した人が増えてきているからだと思います。
―ということは、この映画で描かれているような状況は少なくなってきていると。
ジャファリさん 私はそう感じてはいますが、もうひとつの理由は、映像が身近なものになったからかもしれません。いまはデジタルの世界になったことで、人々は簡単に自分の映像を撮ったり、見て楽しんだりできるようになりましたよね? それによって、昔のように映像に出ている人たちと自分たちとのギャップが狭くなっているんだと思います。
ただ、こういう人たちが増えていくと、「私たちのように俳優として長年やってきた人間たちはどうなってしまうんだろう」という不安も感じているところです。そういう意味では疑問もたくさんありますし、この状況がいいのかどうかも、いまはわかりません。実際、本作に出てくるマルズィエは、「女優になりたい」というよりも、「有名になりたい」ほうのタイプだと私は思っています。
―つまり、デジタル化が進んだことによって、「役者になりたい」ではなく、「有名になりたい」と思っている若者が増えているように感じているということですか?
ジャファリさん そうですね。なので、私は演技を教えている生徒には、「自分が映画のポスターに載ったりすることは、忘れてください」と必ず伝えています。こういったことは、いまの若者の性格なのか、それとも自信のなさからきているものなのか、私にもわかりませんが、彼らは自分の映像を見ることに満足し、自分自身を示す場所を探しているのかもしれません。
たとえば、「俳優としてもっとうまくなりたい」とか「もっと高いハードルを超えて俳優として世界に出ていきたい」という思いがあれば別ですが、「有名になるために俳優になりたい」と俳優を軽く見ている人がいるのなら、それは違うと思っています。
―村の人々が芸術を軽視するようなシーンは劇中でも見られましたが、映画には作品を通じて現状を訴えたり、変えたりする力があると思っています。ご自身が女優として伝えていきたいと考えていることは?
ジャファリさん 私が女優である意味のひとつは、自国の文化を紹介すること。それは、映画の内容としてだけではなく、私の生き方や仕草、服装などでも見せることができると思っています。私は海外の映画祭に自分の作品が出ることを目指しているところもありますが、それは国外の人たちにイランの文化や考え方を知ってほしいからです。
そうやってほかの国の女優や女性たちとコミュニケーションを取れることはうれしいことですし、私もイランの女性としての在り方について話せることが喜びであり、願いでもあります。なので、私は単なる“お飾り女優”にはなりたくないですし、ただきれいなドレスを着て映画祭のレッドカーペットを歩きたいとは思いません。
それよりも、いろいろな国の女優が集まったときには、それぞれの文化や考え方について話し合い、これから自分たちの国の映画界をどうするべきか、といった会話をすることのほうが私は好きなんです。ただ、ほかの国から学んだことを自国の女性たちに伝えたいと思っても、私ひとりの力では難しいので、それには政府の力が必要だと考えています。
―素晴らしいお考えだと思います。では、最後にananwebの女性読者へ向けてもメッセージをお願いします。
ジャファリさん 1980年代に起きたイラン・イラク戦争のときには、『おしん』が何度も放送されていたので、私にとって日本人女性というと、いまだにおしんのイメージしかないんですよね(笑)。なので、いまの日本の女性たちについてはあまりわからないですし、女性と男性をわけて話したくないというのもあるので、全体に向けてお話することになりますが、日本は文化が豊かな国で、とても品の高い国民性だと感じています。
そして、ひとつのことをきちんと対応してから次のことへ向かう姿勢は、いろいろなことを一度にしようとしてしまう私にとっては、尊敬しているところでもありますね。なぜなら、水でも同じところに一滴一滴落とし続ければ、石にも穴を開けることができますから。日本人にはそういった素晴らしい精神があるので、私が何かをアドバイスできる立場ではないと感じています。
ただ、テクノロジーがどんどん進化するなかで、それに食われてしまっている部分もあると思うので、そこに関しては抵抗したほうがいいかもしれませんね。自分たちの豊かな文化があることは忘れてはいけないですし、そこから学ぶこともたくさんあるので、テクノロジーに頼るのではなく、できるだけ自分なりの生き方を選んでいったほうがいいとは思っています。
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