イランとアメリカ
視点;1953年8月のクーデター
1953年8月に発生した、当時のイラン・モサッデグ政権打倒を目的とする英米によるクーデターは、イラン現代史の局面の1つを思い出させます。
勃発後数十年も経過してから公開された、このクーデターに関する資料は、アメリカとイギリスがいずれもイランを直接支配するためにあらかじめ計画を立て、このクーデターに関与していたことを裏付けるものです。
1953年8月19日、CIA米中央情報局の要員らがイギリスの情報機関MI6の直接の協力を得て、カーミット・キム・ルーズベルト地域統括局長の指令により、多くの死傷者を出したクーデターを引き起こしました。当時のモサッデグ政権は打倒され、モハンマドレザー・パフラヴィー国王が再びイランの最高権力の座に復帰したのです。
このクーデターの前触れは、ある種の石油制裁により始まり、イランは石油収入を奪われます。このクーデターの手段は、政治、軍事、文化、宗教の各界の要人らの間に亀裂を招くこと、悪漢や邪悪な人々に金銭を渡して、国内に騒乱を起こさせることなどが挙げられます。
2017年に公開された米国家安全保障局の資料は、当時の米政府、すなわちアイゼンハワー大統領から、米国務省やCIAの下級因子にいたるまで、彼らがどのようにしてモサッデグ政権を打倒したかを鮮明に物語っています。
公開された資料は、イランの政情変化への米国の大きな関与ぶりを裏付けるものです。これらの資料はまた、米政府関係者が1952年の危機発生、そして1953年2月のパフラヴィー国王とモサッデグ首相の対決にかかわっていたことを示しています。
あのクーデターから69年が経過した現在、アメリカは政治的な圧力や経済制裁により、今を過去の状況に引き戻そうとしています。
現代のイランの状況は果たして、69年前のそれと同じものであるといえるでしょうか?そして、イラン国民の団結は、米国にこのようなふるまいを再び許すのでしょうか?