12月 02, 2023 19:13 Asia/Tokyo
  • キッシンジャー氏は外交官か戦争犯罪者か?
    キッシンジャー氏は外交官か戦争犯罪者か?

先日亡くなったヘンリー・キッシンジャー氏については、アメリカの戦争体制を作った張本人なのか、それとも自身が戦争体制の産物なのかという問いが、常に提起されてきました。最近も米メディアは、同氏が世界で少なくとも300万人の死に関与したと指摘しています。

激動の時代にアメリカの外交を担い、20世紀で最も重要で最も物議を醸してきたキッシンジャー氏が29日水曜、100歳で死去しました。

同氏は、リチャード・ニクソンおよびジェラルド・フォードの両大統領時代に国務長官および安全保障担当大統領補佐官を務め、1977年に政府の役職から退きましたが、その後も同氏の意見は依然として、アメリカの外交政策において重要なものと見なされていました。

キッシンジャー氏は、 1973年に「ベトナム戦争の和平交渉に貢献した」としてノーベル平和賞を受賞しましたが、これは最も物議を醸した受賞のひとつとなり、選出に関わった2人のノーベル委員会委員の辞任にもつながりました。

ベトナム戦争は実際のところ、キッシンジャー氏の安全保障政策を採用したことで長期化し、アメリカが中立国だったカンボジアに対し北ベトナム側への補給を絶つためとして秘密裏の空爆を行うに至りました。

アメリカ国防総省が1973年に発表した報告書によれば、米国国家安全保障会議はキッシンジャー氏が大統領補佐官として取り仕切っていた時代に、1969年から1970年にかけてのカンボジアへの3875回の爆撃すべてを承認したほか、これらの攻撃に関する情報を新聞に漏れないよう統制していました。

キッシンジャー氏はベトナム戦争でさらに、カンボジアだけでなくラオスの国土をも違法かつ秘密裏に戦場としました。国際的人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが2001年に発表した内容によれば、キッシンジャー時代の同戦争関連の爆撃により、約35万人のラオス人と60万人のカンボジア人が死亡したということです。

キッシンジャー氏の政策はこのほかにも、カンボジア、東ティモール、バングラデシュでの大量虐殺を後押しし、アフリカ南部で内戦を加速させ、ラテンアメリカ全域でクーデターや暗殺部隊を支援しました。

アルゼンチンでは1976年、選挙による民主政権がクーデターにより軍事政権に置き換わり、同政権は同年から1983年にかけて、キッシンジャー氏の奨励により後に「汚い戦争」として知られることとなるテロを推し進め、反政権派、学生、労働組合員らが殺害されることとなりました。英ガーディアン紙は、「汚い戦争」により逮捕され拷問の末殺害された人々は約3万人と推定されているものの、その多くは遺体すら見つかっていないとしています。

ポルトガルからの独立を宣言した東ティモールは、1975年11月に隣接するインドネシアから軍事侵攻を受け、20年以上占領されましたが、国連が少なくとも10万人の死者が出たと報告しているこの占領は、キッシンジャー氏のゴーサインのもとに実行されました。

バングラデシュは、1971年にパキスタンの攻撃を受け、数十万人のベンガル人が殺害され、数百万人が難民となりましたが、その際もキッシンジャー氏は、パキスタン勢力を徹底的に支援していました。

アメリカの著名な歴史学者であるグレッグ・グランディン氏は、キッシンジャー氏の行動によって、単純に計算しても世界で300万人から400万人の人々が殺害される結果になったと指摘しています。

また、ニューヨーク州で検事総長代理を務めたことのあるリード・ブロディ氏は、キッシンジャー氏ほど世界の様々な場所で死や破壊、人の苦しみに関わった人物はいないだろうと述べています。

キッシンジャー氏がベトナム、アルゼンチン、バングラデシュ、カンボジア、チリ、その他世界各地の数百万人の人々に遺した負の遺産は、アメリカの戦争体制から切り離すことができない`ものと言えるでしょう。

 


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