伊のエチオピア植民地支配と忘れてはならない虐殺;賠償支払いの行方は?
(last modified Sun, 19 May 2024 05:28:10 GMT )
May 19, 2024 14:28 Asia/Tokyo
  • 伊のエチオピア植民地支配と忘れてはならない虐殺;賠償支払いの行方は?
    伊のエチオピア植民地支配と忘れてはならない虐殺;賠償支払いの行方は?

イタリアがエチオピアで植民地戦争を繰り広げる中、現地のアメリカ外交官は自国政府に電報で、イタリア軍が容赦なく無残に民衆向け発砲し民家に火を放っていると報告しました。

1937年2月19日、イタリア軍はエチオピア首都アディスアベバで 3 日間におよぶ虐殺を開始し、これにより最大2万人のエチオピア人が死亡しました。しかし、イタリアの歴史の中でこの出来事が注目されることはほとんどなく、同国では依然として公の議論は植民地主義に対する同情的な見解にあふれています。

アフリカで植民地支配を展開したヨーロッパ諸国の一つ・イタリアは、ベニート・ムッソリーニの「イタリア帝国」実現主張によって、エチオピアで恐るべき犯罪と暴力を引き起こしました。これらの犯罪には、エチオピア人の抵抗の鎮圧を目的とした行われた虐殺、村落への放火、農産物の破壊などが含まれていました。イタリア軍は、組織的にレジスタンス(抵抗組織)の指導者を逮捕し、東アフリカのソマリア・ダナネなどの恐ろしい収容所に収監しました。

イタリア植民地主義の歴史の中で最も凶悪な出来事の一つは、アディスアベバで発生した、エチオピア副王でイタリア東アフリカ総督だったロドルフォ・グラツィアーニの暗殺未遂事件でした。この事件では、2人のエリトリア人愛国者がグラツィアーニ総督に数個の手榴弾を投げ付け、その結果7人が死亡し、グラツィアーニ総督を含む多数が負傷しました。そして、イタリア軍はこの事件をきかっかけに、民衆を残忍に攻撃し、民家に放火しました。

エチオピアでイタリアが犯した犯罪には、大量虐殺や恐ろしい拷問が含まれており、これらは外国人の目撃者によっても記録されました。アメリカとフランスの外交官はこれらの犯罪について衝撃的な報告を提出しました。例えば、アメリカ外交官は首都ワシントンに電報を送り、イタリア軍が容赦なく人々に発砲し、民家に火を放っていると伝えています。またフランス外交官はこの事件について、適切な埋葬なしに遺体を積み上げ、ガソリンで火をつけられていたと説明しました。

これらの犯罪は、当時だけでなく第二次世界大戦後もその大半が顧みられませんでした。エチオピアはイタリアの戦犯を裁判に持ち込もうとしましたが、この試みは冷戦という当時の状況に加えた連合国のイタリア支援により失敗に終わっています。イタリアの戦犯の多くは、エチオピアでの行動により裁かれることはなく、国民的英雄とされている者さえいます。

この意図的な忘却はイタリアの大衆文化にも反映されており、植民地主義の記憶は、肯定的かつ同情的な方法で表現されています。貧しいイタリア移民によるインフラ建設と土地改良のみに焦点を当てたこの時代の物語は、植民地時代の暴力や犯罪の苦い現実に取って代わりもてはやされることとなりました。

しかし近年、米での反人種差別運動「Black Lives Matter(黒人の命は大事だ)」や、南アフリカ・ケープタウン大学キャンパス内の植民地主義者セシル・ローズ銅像の撤去を求めた運動「Rhodes Must Fall」などの社会的・政治的運動により、フランスやベルギーなどの欧州諸国では植民地時代の負の遺産とその後の責任についての議論が始まるようになりました。これらの運動は、植民地の歴史に対する国民の認識の向上をある程度まで高めることができ、また、植民地時代の過去の批判とその賠償に対する再検討の呼びかけにつながりました。

一方、イタリアでも変化が始まっており、2022年10月には同国ローマ市議会が植民地時代の地域名の改訂を決定しました。この決定は、イタリアの植民地主義とその負の遺産に関する周知を促進し、批判的な議論を刺激することを目的とした、2月19日ネットワークの取り組みを受けて行われたものです。

このうようにイタリア人は、2月19日の自身の苦い歴史とそれが現代に与えている影響を徐々に思い出していく可能性があります。この想起は、植民地主義の影響を受けた国々への植民地主義者による賠償金支払いに向けた重要な一歩となりうると言えます。

 


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