アルジェリア紙、「テロでの戦争コントロールというイスラエルの対ヒズボッラ―戦略は失敗する」
アルジェリアの新聞・エルハバルは、イスラエルに暗殺されたヒズボッラーのナスロッラー師の指導力について、「戦争のコントロールにおいてだけでなく、ドイツの仲介で行った敵側のイスラエル政権との協議でも、全ての人が注目するほど明白なものだった」としました。
【ParsToday西アジア】エルハバル紙は「イスラエルはこれまでのテロで、抵抗組織による悪夢を終わらせたのか?」と題した記事において、「イスラエルは1992年2月、レバノン・ヒズボッラ―のアッバース・ムーサヴィー第2代事務局長を暗殺した。これは、ヒズボッラ―とレバノンの抵抗勢力に痛烈な打撃を与えたと考えられていた。なぜならヒズボッラ―は当時、1982年6月のイスラエルによるレバノン侵攻以来、ベイルートとレバノンを守る長い内戦を終わらせるべく、国内で新たな組織を立ち上げようとしていたからだ」としました。
続けて、「イスラエル政権はムーサヴィー師暗殺後、ヒズボッラ―が深刻な問題に陥り、前進できなくなると推測していた。しかしナスロッラー師は、ヒズボッラ―とレバノン抵抗勢力のトップに立ってしばらくすると、事態のコントロールで力を発揮し、それによって周りの政治家らに活動できる広い場を与えた」と説明しました。
さらに、「ヒズボッラ―は、ナスロッラー師が政治・軍事面を管理するようになってから、イスラエルおよびレバノン南部の一部を占領する同政権軍残党と続けられる対峙において、著しい成功を収めた。ナスロッラー師が率いるヒズボッラ―は、イスラエル政権軍に対し消耗戦を実施し、彼らを2000年にレバノン南部からの撤退させることに成功した。これは、ナスロッラー師とヒズボッラ―の評価を高めた最初の戦場での勝利だった」としました。
また、「2006年の戦争でヒズボッラ―がイスラエルの刑務所にいるレバノン人捕虜の解放を求めた際、ナスロッラー師の指導者としての資質は、戦争のコントロールにおいてだけでなく、ドイツの仲介で行ったイスラエルとの協議でも存分に発揮され、あらゆる人々がそれに注目した。そして、サミール・アル・クンタール氏を含むレバノン人捕虜は全員解放された。これは、抵抗勢力とナスロッラー師にとり大きな成果であり、レバノン抵抗勢力がイスラエルとの対峙の場で次々と成果を上げることにつながった」と指摘しました。
その上で、「数日のうちに選出される予定のヒズボッラ―の新たな事務局長は、ナスロッラー師の敷いた道に沿って、この組織の力の再構築、さらにイスラエル政権との対峙方法に、必要なだけの堅固さで当たるだろう」としました。
そして、「イスラエルは常に、暗殺などのテロによってレバノンやパレスチナの抵抗勢力との争いをコントロールしようとしてきた。しかし、こうしたテロでは抵抗勢力が見せる悪夢を終わらせることができなかったため、同政権は苦しんでいる。ヒズボッラ―と抵抗勢力の活動が今後も続くことは、イスラエル政権の指導者たちをさらに動揺させるだろう」と強調しました。