西側の思想家が考える預言者ムハンマド(21)
(last modified Thu, 10 Nov 2016 07:07:07 GMT )
11月 10, 2016 16:07 Asia/Tokyo
  • 西側の思想家が考える預言者ムハンマド(21)

多くの思想家が、イスラム文明をさまざまな角度から検証しています。

この中で、ほとんど注目されていないのは、イスラムの預言者ムハンマドが、偉大なイスラム文明の基盤づくりにおいて根本的な役割を果たした点です。この力強い木の苗は、預言者の力強い手によって植えられ、その基礎は、この偉人のメディナへの移住によって強化されました。

アメリカの歴史家で哲学者のウィル・デュラントは、文明の歴史という本の中で、イスラムの預言者の人格について次のように記しています。

「ムハンマドは、高貴な家の生まれで、父親からわずかな富を相続していた。ムハンマドとは、非常に賞賛されたという意味である。この言葉と聖典の一部の表現の間には、精神的な結びつきが存在し、それを聖典によるムハンマド出現の吉報と考えることができる。誰も、彼に読み書きを教えようとはしなかったようだが、彼自身、知識を持った人よりも、物事をよく理解していた。当時、アラブ人の間では、読み書きができることは重要ではなかった。そのため、クライシュ族の間で読み書きができるのは、わずか17人だった。こうした中、アラビア語の最も優れた書物の内容が預言者の口から語られた。彼は人々の生活上の問題を非常によく理解しており、その点で誰も彼に及ぶ者はいなかった。彼の書物であるコーランにおいては、法と道徳が一致している。コーランの中では、宗教的な行動には、世俗的な行動も含まれている。その内容はすべて、神から預言者ムハンマドに啓示されたものである。コーランの中には、礼儀、健康、結婚と離婚、子供や奴隷、動物との接し方、取引、政治、金貸し、契約や相続、財政問題、罰金や懲罰、戦争と平和などについて、さまざまな規則が存在する」

ウィル・デュラントは、続けて、次のように語っています。

「ムハンマドは威厳があった。彼は敵が罪を悔い改めれば、許していた。統治の問題に多くの時間を割いていた。なぜなら彼は、宗教法や法律の問題、取引、宗教、戦争の問題に完全に取り組んでいたからだ。彼は暦にも注目し、それによって信者たちに秩序を与えていた。ムハンマドは法の制定において、その地位に即し、啓示に基づいた行動を取っていた。生活上の問題について、啓示を通して必要な指示を出していた」

イスラムの預言者ムハンマドの大きな特長のひとつは、恵まれない人々や孤児たちのことを気にかけていたことです。預言者は、彼らのニーズを満たすために力を尽くしていました。ウィル・デュラントは、この預言者の特徴に注目し、次のように記しています。

「ムハンマドほど、貧しい人々のためになるように、豊かな人々に税金を課していた改革者は、歴史の中に存在しないだろう。ムハンマドは人々に、財産の一部を貧しい人や恵まれない人に施すよう呼びかけていた」

預言者ムハンマドは、貧しい人々のところに足しげく通っていました。ウィル・デュラントは、最後に次のような事実を認めています。

「預言者ムハンマドは、イスラムへと人々をいざなうことで、何百万という人類の生活に新たな精神的革命を起こした。彼らもムハンマドの声を聞き、彼を心から受け入れた」