ペルシャ語ことわざ散歩(164)「水からバターを取る」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。
今回ご紹介するのは、「水からバターを取る」です。
ペルシャ語での読み方は、Az aab kare gereftanとなります。
この慣用句を文字通りに捉えるとどうでしょうか。皆様もご存知のとおり、バターは牛乳に含まれる脂肪から作られるもので、脂肪のない水からはどう頑張ってもバターは作れないはずです。
こうした意味から発展して、この表現は非常に吝嗇で了見が狭く、あらゆる物事において、またどのような苦しい状況にあってもしぶとく狡猾に自分の利益だけを考える、あるいは自分の利益を得ることだけに執着する、という意味を表すようになりました。
さらには、非常に苦しい危機的な状況にありながらも、またはあらゆる場合において最低限の出費や手段で最大限の利益を得ようとする人などについても、この表現が使われており、「あの人は、水からバターを取っている」などというように使います。
また、この慣用句はどちらかというと悪い意味で使われることが多く、特に金銭的に自分は豊かでありながら、その富や財産を自分だけで抱え込んで、ほかの貧しい人には一切施そうとしない吝嗇な人に対しても使われているようです。
日本語にも、非常につましい倹約生活をしていることを指す表現として「爪に火をともす」という慣用句があります。確かに、苦しい状態にあるときにまずは自分の利益を確保する、というのはある程度は理解できるとしても、あらゆる場合において自分の利益だけにこだわり、了見が狭くなって吝嗇になるというのは、結局は巡りめぐってその人が苦しむことになります。逆に、バケツなどに水を張り、外に押しやると、水はどんどんこちらに返ってきます。
少々話が飛躍しますが、2011年の東日本大震災には、トルコの緊急援助隊が来て被災地での捜索活動に当たってくれたそうです。そして、先だって発生したトルコ地震の被災地へは日本から国際緊急援助隊が派遣され人命救助に従事しているとともに、東日本大震災で被災した地域ではトルコ地震被災者のための募金活動が行われているということです。
人間は本来、返報性の原則に倣っているといわれ、何か他人からしてもらったらお返しがしたくなるのが普通です。今後ますます、多種多様な人々との共存が求められる中、「水からバターをとる」様な方法ではなく、分かち合いや共有の精神が大切になってくるのではないでしょうか。それではまた。