ペルシャ語ことわざ散歩(170)「烏が鷓鴣(シャコ)に歩き方を習おうとして、自分の歩き方を忘れた」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。
今回ご紹介するのは、「烏が鷓鴣(シャコ)に歩き方を習おうとして、自分の歩き方を忘れた」です。
ペルシャ語での読み方は、Kalaagh khaast raah raftan-e kabk raa biyaamuuzad,raah raftan-e khod raa faraamuush kardとなります。
このことわざに出てくるシャコとは、コジュケイに似たキジ科の鳥類の総称で、ずんぐりした体をもち、キジよりも小さく,大変素早く走ったり,体をかわしたりすることができます。
おそらく皆様も、文字通りの意味から何となく本来の意味をご想像いただけたかもしれません。
このことわざは、盲目的に他者を真似ること、またそれにより自分のすべき正当な事柄を忘れてしまうことを意味しています。
また、もっと大きな視点から見て、神は1人1人の人間にそれぞれ違う能力や才能を与えていることおから、それに見合ったものを習得し正しく生かすべきであり、それを忘れて自分と他人の能力を比較し、劣等感を感じて他人を盲目的に模倣すべきでない、という戒めの意味も表しています。
日本語のことわざにある「鵜の真似をする烏(うのまねをするからす)」とほぼ同じ表現と考えてよいかと思います。
このことわざは、インドのサンスクリット説話集で「パンチャタントラ」と呼ばれる『5巻の物語』の流れを汲む、動物を主人公とする倫理的物語集「カリラとディムナ」が元になっています。
なお、「カリラ」と「ディムナ」はいずれも、この物語に出てくる2匹のジャッカルの名前です。
この物語では、烏がシャコの歩き方を見て非常に気に入り、その颯爽とした姿に烏は憧れを持つようになり、その歩き方を習おうと決心します。そして烏は、しばらくの間一生懸命にシャコの後をつけてみましたが、結局シャコの歩き方を習得できず、自分本来の歩き方を忘れてしまい、元に戻れなくなった、とされています。
特にこれからの時代は、単純な人まねや他人の言うことに盲目的に従うような他人軸での生き方ではなく、他人にはない自分独自の個性を生かす生き方が益々重要になってくる、と言われています。
シャコの歩き方をまねして自分の歩き方を忘れるのではなく、シャコはシャコらしく、烏は烏らしく、他人と比較せずに「人は人、自分は自分」という、よい意味での自分軸に沿って人生を歩みたいものですね。
それでは最後に、今は亡きアメリカのミュージシャン、カート・ドナルド・コバーンの残した名言をご紹介し、今回の締めくくりといたします。
「他の誰かになりたがることは、自分らしさの無駄遣いである」


