ペルシャ語ことわざ散歩(217)「扉は常に1つの枢(くるる)を軸に回転しているわけではない」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介しています。
今回は、「扉は常に1つの枢(くるる)を軸に回転しているわけではない」ということわざについてお話したいと思います。
この表現はペルシャ語では、Dar hamiishe ruuye yek paashne nemi-charkhadと読まれます。
これは、日本語で言う「万物は流転する」、「諸行無常」に相当することわざで、物事は決して常に同じ状態にとどまっていることはなく、常に変化することを表しています。
このことわざは、昔の建物に使われていた扉の構造に由来しています。現在のような金属製の蝶番がまだ普及していなかった昔、家や建物に扉をつけるために、今で言う枢戸が使用されていました。
扉と言えば開閉のしやすさが大きなポイントになりますが、当時はそのために石でできた受け皿としての枢(とぼそ)の上に木製の枢(とまら)をはめ込み、これが自由に動いて扉が開閉するしくみ、即ち枢を構成していました。しかし、長い間には木と石の間の摩擦によりすり減り、交換する必要がありました。扉を造った当初は非常に頑丈に見えていた扉も、実はこうした構造になっていることから、枢の交換はどうしても避けられないことでした。
つまり、扉は恒久的に同じ枢によって開閉するのではなく、一定期間が過ぎたら取り換えなければなりません。このことから、この表現は物事が常に不変ではなく、変化する状態を表すようになりました。
イランでは特に、この表現は「人生には色々なことが起こる」といった意味の他、逆境にある人や立て続けに不運な出来事に見舞われて苦しんでいる人に対し、「このような状況も長くは続かない」といって励ます際にも使われているようです。
実際に、ペルシャ語でも「はかない世の中」という表現が存在します。
無常観と言えば、日本人の皆様の間では仏教思想や平家物語などがすぐに思い浮かぶのではないかと思います。ですが、よく考えてみれば仏教の文化圏であれ、はたまたイスラム圏やキリスト教圏をはじめ、さらには宗教にそれほどこだわらないとされる地域であっても、人間の一生や周りの環境、ひいては世界そのものが常に変化し、色々な出来事に遭遇していることは共通ではないでしょうか。
自分の人生や身の周りに何か良くないことが起きたとしても、そのような状態や逆境、マイナスな感情もずっとは続かないことに留意し、前向きに歩んでいきたいものですね。それではまた。