神の英知
神はコーランの数々の節で、自らの知識について触れ、それを無限のものだとしています。コーラン第6章アルアンアーム章、家畜、第59節にはこのようにあります。
「目に見えない世界の鍵は、唯一彼のもとにあり、彼以外それを知る人はいない。彼は陸と海にあるものを知っている。彼が知らずに、(木から)葉は一枚も落ちない。地中の暗闇の中にあるどんな種も、湿っているのか乾いているのか、その知識は書物の中で明らかである」
陸と海にあるものに対する神の知識は、神が世界に精通していることを意味します。つまり神は海底に暮らす大小の生き物の数十億の動き、森林や渓谷、山々の木々の葉の震え、花のつぼみの開花、細胞の複雑な構造、原子の中の電子の動き、広大な宇宙における惑星の動きについて、すべて知っているのです。この節によれば、神がそれを知らずに木から葉は落ちない、つまり木の葉が枝から離れる瞬間、それが空中を舞って、地面に落ちる瞬間は、すべて神にとって明らかである、という意味です。さらに、どんな種もその特徴を神が知らないものはありません。
この節は、木の葉の落下と地中の種の存在に触れることで、特別な表現を用いて死と生を指摘しています。木の葉の落下はそれらの死を、地中の種の存在は生を意味します。神はこうした生と死のシステムを知っており、種が開花するための最も詳細な段階は神にとって明らかなものです。この節は、神の知識は全般的な事柄に限られており、詳細については知らないという考え方を否定しており、神は生命のすべての事柄を完全に知っていると述べています。
コーラン第31章ログマーン章ルクマーン、第27節には、神の無限の知識について書かれています。
「地上にある木が筆であり、海が(インクになり、)その後7つの海が(神の言葉を書くために)助けたとしても、神の言葉は尽きることがない。確かに神は無敵で英知あるお方であられる」
このコーランの節の興味深い解釈によれば、地球上のすべての木々がもし筆になったとしても、神の知識を書き尽くすことはできない、ということです。それはときに太い木の枝や茎が数千、ときに数百万、筆になったとしてもです。森林やその他の地域での地上の無数の木々、それから生み出された筆の数を考慮し、さらに地球の4分の3を占めている海のすべてがインクになったとしても、神の知識の豊富さを書き尽くすことはできないのです。さらにこれらすべては尽きますが、神の知識は尽きることはありません。神はこうした解釈により、自らの豊かな知識とその無限さを人間に伝えています。神の無限の知識についての説明は、興味深いものには見えないでしょうか。この明らかな説明に注目すると、人間は神の無限の知識に対して自分が知っていることは、ゼロに近いということを悟るのです。
コーランで述べられているこの他の神の性質は、神の能力です。神は唯一の存在であり、力は神の性質です。神の力は神のほかの性質と同じように無限です。神は全能であり、どんなことでもできます。能力は神の名前の一つで、神はコーランの中で何度となく自らをこの名前で賞賛しています。神は全能であり、無条件にあらゆる事柄を熟知しているという考え方は、神は思ったことをすぐに実行でき、何の間違いもなくそれを実行することができるということを意味します。
コーランは様々な節の中で、神の無限の力について指摘しています。「神は何よりも有能である」という表現は、コーランで何度も出てきます。創造のシステムとそれを占める秩序は、創造主が全能であることの明らかな理由です。生命の驚くべきシステムが、神の知識によって導かれているように、聖典コーランは、天と地の創造について語っているところで、その創造は人間を神の力と知に導いている、としています。コーラン第65章タラーグ章、離婚、第12節にはこのようにあります。
「神は7つの天を創造し、それと同じように陸地を創造された、神の命は(常に)それらの間から下され、それは神が全能で、神の知識はすべての事柄を網羅することをあなた方に知らせるためである」
山や谷、海、そしてその中で生きるすべての生き物を伴うこの広大な地球を、決まった起動で規則正しく太陽の周りを回らせ、それを墜落や衝突から守っているのが、まさに神なのです。この全能の神は、地球の130万倍もの大きさの太陽を柱のない空間に保っています。神の尽きることのない力は、すべての世界の存在物の中で明らかであり、この宇宙で見られる多くの驚異は、神の力を明らかに証明するものです。実際すべての存在物は、「神は何よりも全能であられる」というコーランの言葉に一致しています。
神の能力について、注目に値する点は、神は実現可能なことを行おうとしたときに実行することができるということです。このため、非合理的な、実現不可能な事柄はこれには当てはまりません。例えば、2かける2は4です。神はこの掛け算の答えを3、あるいは5にすることができるでしょうか。答えは明らかです。4以外の数はこの掛け算の答えにはなりません。なぜならこれは論理に反するからであり、神は論理に反する事柄を実行することはありません。これは神の能力に制限があるためではなく、神の力は無限ですが、それは合理的なことに限るということです。
ある人が、シーア派初代イマーム、アリーに尋ねました。「あなたの神は世界を卵の中に入れることができるか?世界や卵の大きさを変えることなく」。イマームは答えました。「本当に神は無能ではない。それどころかあなたが私に尋ねたことは無意味で、価値がない」
イマームアリーの回答から、その質問事項が実現不可能なことであることが分かり、このことは神に能力がないことを示すものではないのです。
神はすべての事柄、私たちにとって想像できることであれ、全く想像のつかないことであれ、合理的に可能であることはすべて行うことができます。一方で、私たち人間は何かを行うためにまずはじめに、それらの重さを量り、それができるかどうかを考えます。しかし、無限の力を持つ神は本質的に不可能なこと以外、何でもできます。そうです、神は無制限の存在であり、不可能という文字は神にはありません。なぜならできないことがあるということは、有限を意味するからです。しかし生命の世界において、神には不可能なことはありません。コーラン第35章ファーテル章、創造者、第44節では次のようにあります。
「天と地において、何物も神を無能にすることはできない。(そして神の力の範囲を超えることはできない)神は本当に全知全能であられる」