ハーラズミー大学
今回は、イラン最古の教育大学、ハーラズミー大学をご紹介することにいたしましょう。
これ以前にお話したように、イランの現代的な大学の構想は初め、1852年のダーロルフォヌーンの創設によって実現しました。ダーロルフォヌーンの創設後、新たな学校が現代的な様式で建てられ、広まっていました。このため、これらの学校で教える教師、とくに新しい教育方法を知る教師を養成する必要性が出てきました。
イランの立憲革命後に創設されたイランの国民評議会は、最初の正式な措置として、1911年、教師養成に関する法案を可決しました。この法律により、初めて30人を外国に留学させました。この年、テヘランにいる教師の知識を向上させるために、ダーロルフォヌーンに特別クラスが設けられ、その計画の中で、文学や科学などの学問に加えて、教師としての教育カリキュラムが加えられるようになりました。
1918年の国民評議会による師範学校の創設法の可決は、初等・中等教育の教師を養成するための新たな重要な措置であり、それにより、イラン初の師範学校、ダーロルモアレミーン・マルキャズィーがこの年に創設されました。実際この機関は、ハーラズミー大学の基盤を作りました。このため多くの人がこの大学がイラン初の大学だと考えています。
学校数の増加と教育者養成の必要性により、1928年、ダーロルモアレミーン・マルキャズィーは、ダーロルモアレミーン・アーリーと名称を変え、1933年に、ダーネシュサラーイェ・アーリーとなりました。1963年、この学校は解体され、教師養成・教育研究機関がそれにとって代わりました。1967年に科学・高等教育省の開設により、この機関は、この省庁の傘下に置かれることになりました。
1975年、ダーネシュサラーイェ・アーリーは、師範大学と名称を変更し、イラン国内の教師養成計画の拡大がその目的にすえられました。最終的に2011年、師範大学は、イランの偉大な学者、ムハンマド・イブン・ムーサー・ハーラズミーを記念して、ハーラズミー大学と名称を変更し、その後この名前で知られるようになりました。
専門学部と教育・研究活動の拡大により、1970年代、テヘラン西部のキャラジのおよそ227ヘクタールの敷地がその当時の師範大学にゆだねられ、1976年から建物の建設が開始されました。この敷地には、現在、理学部、数学・コンピュータ学部、教育学部、文学部、人文学部、体育学部、24ブロックの学生寮、住宅、施設、プールがあります。さらに、教育・研究活動の拡大、修士・博士課程の学生の誘致を目的に、2012年、大学の海外支部の創設が合意されました。
ハーラズミー大学は現在、16の学部、8つの研究所などを有し、43人の教授、85人の准教授、295人の助教授、36人の講師を含む459人の学会の会員が在籍しています。
ハーラズミー大学が活動を開始してから現在まで、この大学からは様々な政治家や学者が輩出されています。イランイスラム共和国の第2代大統領のモハンマド・アリー・ラジャーイー、数学者のゴラーム・ホセイン・モサーヘブ、現代文学者のアブドルアズィーム・ガリーブ、現代思想家でイランの地質学の父と呼ばれるアブドルキャリーム・ガリーブ、現代詩人のパルヴィーン・エエテサーミーなどがこの大学の出身者です。
ハーラズミー大学の学術的な名誉としては、2008年にドイツで行われたロボカップ世界大会における火星探査ロボットの製造での受賞を挙げることができ、世界80カ国から参加した457のチームの中で、1位を獲得しました。さらに、科学研究業績に関する情報データベース、ESIによれば、ハーラズミー大学の心理学・教育学部のハミード・レザー・ジャマーリー博士は、2002年1月から2012年12月までの246回の論文引用件数により、人文学におけるイラン初の国際的な学者となっています。
現在、ハーラズミー大学は、理学、人文学、教育、工学など様々な分野で、学士から博士課程までの学生を受け入れています。ハーラズミー大学の特徴の一つは、この大学の数学科は博士課程まで試験なしでエスカレーター式に進級できることです。
最新の統計によれば、2015年には、1万99人の学生がこの大学で学び、学生数の多い学科の順に、地理・都市計画、体育、アラビア語・アラブ文学、開発工学、英語・英文学、数学、応用数学、イスラム学・イスラム法学、臨床心理学、教育・教育技術学となっています。学生が一番多いのは、文学と人文学の学部です。
ハーラズミー大学の学術レベルと重要性により、この大学は多くの留学生を受け入れています。2015年には、およそ130人の外国人留学生が、イランの近隣諸国からこの大学に入学しています。学生数の多い学科の順に、イスラム学・イスラム法学、民法学、体育・スポーツ学、バイオメカニクスとなっています。
アフガニスタン出身のホダーダード・イスマイーリーさんは、2009年にイランにやってきました。彼はハーラズミー大学のイスラム法学部で学士を取得し、現在は修士課程で民法学を学んでいます。イスマイーリーさんは、イランの大学を選んだ理由として、アフガニスタンと文化的に近いこと、さらにペルシャ語という共通言語があることを挙げています。彼はイランの大学の学術的なレベルを中東地域で非常に高いものだとし、「イランはアフガニスタンの人々にとって非常に魅力的であり、多くのアフガニスタンの政府関係者がイランで学んできた」と述べています。イスマイーリーさんは、ハーラズミー大学の責任者との良好な関係や高い学術レベルをこの大学を選択したもうひとつの理由だとし、この大学の関係者の学生への対応は非常に好ましいものだとしています。様々な団体や協会の結成、責任者の良好な協力、こういったことが、130人の留学生がこの大学で学ぶ原因になっています。