コーラン第28章アル・ゲサス章物語り(2)
今回もコーラン第28章アル・ゲサス章物語りを見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・ゲサス章は、イスラムの預言者ムハンマドが移住する前にメッカに下されました。
アル・ゲサス章では、預言者ムーサーの生誕、幼少期、若年期、結婚、預言者への任命、唯一神信仰へのいざな
い、フィルアウンとの闘争など、預言者ムーサーの人生について語られています。また、ガールーンの物語についても述べられています。
すでにお話ししたように、預言者ムーサーが生まれた時代には、フィルアウンの命令により、イスラエルの民の間に男の子が生まれれば、殺されていました。しかし、ムーサーの母親は、息子の命を守るため、彼を箱の中に入れて川に流します。それを川から拾ったのはフィルアウンでした。そしてムーサーの母親が彼の乳母になります。このようにして、ムーサーは敵であるフィルアウンの家で育てられました。預言者ムーサーは、肉体的な成長を遂げ、立派な若者になりました。ある日、ムーサーは、虐げられた人をかばうために、理不尽な振る舞いをしていたフィルアウンの統治の役人の一人を殺してしまいます。いつ何が起こってもおかしくないと考えていたムーサーは、不安と恐怖に駆られながら、エジプトの地を去り、マドヤンに向かいます。マドヤンで、ムーサーは、預言者シュアイブの2人の娘を助け、彼女の羊に水をやります。シュアイブはムーサーに言いました。「私は2人の娘のどちらかをあなたにやろう。ただし条件がある。8年間、私のために働くことだ」
アル・ゲサス章の第29節から35節は、ムーサーが預言者に任命される出来事について述べられています。
「ムーサーはシュアイブとの契約の期間を終え、家族と共にマドヤンからエジプトに向かった。彼はトゥールの山に炎を見た。そこで家族に言った。『少しここで待っていなさい。私は炎を見た。私は行ってくる。もしかしたら、あなたたちに何か知らせを持ってくるかもしれない。あるいは火を持ってきて、暖めることができるかもしれない』 こうしてムーサーは炎に向かって行った」
アル・ゲサス章の第30節と31節を見てみましょう。
「炎のところまでやって来た時、[突然、]その谷間の右側から、その実りの多い土地で、木の間から声が聞こえた。『ムーサーよ、まことに私は世界の創造主、アッラーである。あなたの杖を投げなさい』 [ムーサーが杖を投げた]そのとき、すばやい蛇のように動くのを見た。彼は恐れをなし、逃げ出し、後ろを見ることさえしなかった。[そこで声が聞こえた。]『ムーサーよ、前に進みなさい。恐れることはない。まことにあなたは安全である』」
ここから、イスラエルの民を導き、彼らをフィルアウンの手から救うためのムーサーの任務が始まります。彼は神から使命を授かり、奇跡を受け取った後、兄弟のハールーンと共に、フィルアウンとその側近たちのもとに向かいます。なぜなら彼らは、地上で暴虐を行っていたからです。
アル・ゲサス章の第51節から数節は、清らかで準備のできた人々の心について触れています。彼らはコーランの節を聞き、真理を得て、心からそれを受け入れましたが、この清らかな真理は、偏った考え方を持つ無知な人々の暗い闇のような心には、まったく影響を及ぼしませんでした。コーランの解釈には、これらの節は、キリスト教徒の70人の司祭について下されたものだとあります。エチオピアの王、ナジャーシーは、この70人の司祭を調査のために、エチオピアからエジプトに送りました。イスラムの預言者がコーランの節を彼らのために朗誦したとき、彼らは涙を流し、イスラムを信じるようになりました。では、アル・ゲサス章の第51節から53節を見てみましょう。
「我々は常に、彼らのために語った。[コーランの節を一つ一つ彼らに下した。]恐らく彼らは訓戒を得るだろう。以前に我々が啓典を与えた人々は、それに信仰を寄せ、[コーランが]彼らに読み上げられるとき、彼らは言う。『私たちはそれを信じます。まことにそれは、私たちの神からの真理です。私たちはこれ以前にイスラム教徒でした』」
これらの節は、雨のしずくのように、次々に彼らに下されました。様々な形で、時には忠告として、時には警告として、また理性的な論理として、あるいは先人たちの教訓の歴史として。それらは非常に影響力のある完全なものであり、真理を理解する準備のできた心を惹きつけます。
以前に啓典を持っていたユダヤ教徒やキリスト教徒は、コーランを信じます。なぜなら、それは、自分たちの啓典で目にしたしるしと調和するからです。これらの節が彼らに読み上げられるとき、彼らはこう言います。「私たちはそれに信仰を寄せました。これらは明らかに真理であり、私たちの主からのものです。今、私たちは神の節に従うだけでなく、これ以前にもすでにイスラム教徒でした。私たちはこの預言者のしるしを、自分たちの啓典の中に見ました。そしてその登場を心待ちにしていたのです。そのため、自分が失ったものを見つける最初の機会が訪れたとき、その真理の言葉を心から受け入れ、彼の教えに加わりました」
コーランは続けて、この真理を求める人々の偉大な報奨に触れ、次のように語っています。
「彼らはその忍耐のために、2度、報奨を受け取る。自分たちの天啓への信仰のために。彼らは本当にそれに忠実であった。また、イスラムの預言者に信仰を寄せたために。この預言者は、彼以前の書物でその出現が知らされていた」
この後、コーランは、彼らの特徴に触れています。
「彼らは、善い行いをし、悪を退ける人々である。悪に悪で応じるのではなく、善によってそれを退ける。我々が彼らに日々の糧として与えたものの中から施しをする。彼らは無意味な言葉に背を向け、無知な人々には威厳を持って接する」