イラン工科大学
今回の番組ではテヘランにあるイラン工科大学についてお話しすることにいたしましょう。
イラン工科大学は、国立大学で、一部ではイランで初めての高等教育機関であると見なされており、その中核は1929年に形成されました。イラン工科大学のメインのキャンパスは、テヘランにありますが、他の都市にも分校があります。イラン工科大学の名前は、知識と生産の結びつきを想起させます。
開発工学や物質学、機械工学などの分野での最新の実験所と作業施設の存在が、イラン工科大学の評価を高めており、卒業生たちが産業界に引き付けられる要因となっています。工科大学はイランの工学系大学の上位3つの大学の一つとみなされています。この大学には中東で唯一の鉄道工学部、イランで唯一の自動車工学部があります。さらにイラン工科大学には、経済の開発や企画を専門とする学部があります。
イラン工科大学の歴史は87年にのぼります。大学の中核は1929年に形成され、イランで工学の高等教育のための必要な下地を整える目的で、国立の工学系の学校としてドイツとイランの教授陣によって開校し、高等工芸学校と名称を改めました。その当時、イランには工学系の高等教育施設がありませんでした。
1932年、イランで最初の機械工学部の学生が、1935年には化学工学部の学生が高等工芸学校を卒業しました。1957年、この学校は名称を変更し、高等技術工芸学校と名称を変更し、工学系の修士課程まで学生を受け入れました。1962年からこの施設は、テヘラン東部に活動の場を移しました。現在の場所に移設された後、新たな学部を創設することで、この学校の発展のために必要な下地を整え、工学系の学生を受け入れていました。
1972年、高等技術工芸学校は、イラン工科単科大学となりました。教育プログラムにおける質と量を変更、拡大し、大学に昇格させるための必要な条件が整えられ、1978年の初め、当時の科学技術省は、この単科大学をイラン工科大学に昇格させることを認めました。イラン工科大学の成長は1979年のイスラム革命後加速し、修士・博士課程における学生の受け入れを開始しました。
イラン工科大学は現在15の工学系学部や数多くの研究所を有しています。この大学は工学や基礎科学の分野で学士・修士・博士の全課程で学生を受け入れています。工科大学のメインキャンパスはテヘラン北東部の42万平方メートルの敷地の中にあります。
イラン工科大学は、ここ数年、ランキングの上位につくなど、学術的に高く評価されています。また、イラン工科大学は多くの発明品の特許を取っています。
2015年から2016年には、この大学で1万4千人の学生が学んでいました。学生の多い順に、機械工学、化学工学、産業工学、コンピューター工学、開発工学となっています。
イラン工科大学では、留学生も受け入れています。2015年には60人の外国人留学生が学んでおり、出身国はレバノン、シリア、パレスチナ、イラク、トルコ、アフガニスタン、パキスタン、タジキスタン、ロシア、インドとなっています。電気、開発、建築、コンピュータ、情報技術、機械などの工学部が人気が高い学部となっており、技術系の学部に留学生が多く在籍しています。
ザハラー・サファヴィーさんは、インド・カシミール地方の出身で、イラン工科大学で学んでいる留学生です。2年半前にイランにやってきて、建築の学士課程で学んでいます。イランを選んだ主な理由として、イスラム革命と、イランの治安の安定を挙げています。彼女にとってイランの文明と文化は非常に興味深いもので、イランに差別がないこともまたイランの魅力だとしています。サファヴィーさんは常に国際情勢を追っており、イランに関する報道が真実かどうかを知りたいと思っていました。そしてこれらの報道が間違っており、イランが報道されているよりも良好な状態にあることを知りました。サファヴィーさんはイラン工科大学の学術レベルを非常に高いものだとし、建築学部も高いレベルにあるとしています。また寮といった大学の施設や教授陣にも満足しているとし、外国人の学生にイランで勉強することを勧めています。