6月 06, 2017 16:07 Asia/Tokyo
  • イルハン朝とティムール朝のイラン人の服飾

今回は、イルハン朝とその後のティムール朝のイラン人の服飾についてお話ししましょう。

ティムール朝末期の服飾を物語る際には、キャマーロッディーン・ベフザードといった優れた画家の役割を見過ごすことはできません。彼は、財政をつかさどっていた、ミールアリー・シールナヴァーイーの尽力により、書家や金箔工芸家、文学者で構成される協会のメンバーとなりました。これにより、再びヘラート派の画家が脚光を浴びるようになり、それはサファヴィー朝まで続きました。

 

ベフザードは、15世紀のネザーミーやサアディの名著『果樹園』の写本の挿絵において、当時の多くの衣服を描きました。彼は、人々の生活や労働、建物の労働者や雇い主、宮廷の関係者や召使といった人物を描くことで、当時のさまざまな社会階層の人々の衣服を私たちに示しています。また、絵画の中で人々の動く姿を描くことにより、人々の全身や衣服の様子を明らかにしています。

 

多くの研究者は、ベフザードの芸術活動の最も重要な変化は、彼の絵画における人物への注目にあるとしています。ベフザードは、単独の肖像画を描いたイラン人の最初の画家でした。彼はその作品の中で、文字を記すスペースは設けておらず、文字の筆記とは独立した絵画をもたらしました。

 

ベフザードは現実主義的な画家で、その特徴は、宮廷の人々だけでなく、庶民の生活の様子も示していたことにあります。草原での馬の授乳の様子、食事を運ぶ召使いたち、畑での農民たちの様子など、これらの絵画から、それぞれの職業の人々の衣服を理解することができます。

 

イルハン朝とその後のティムール朝時代、イラン人の衣服は、中国の宋や元といった時代の芸術や絵画の影響を受けて変化しました。モンゴル族の一部の衣服は、当初、王族や宮廷の関係者のためだけにデザインされていましたが、人々の間にも広まるようになりました。中国の縫製師(仕立物師)が、少しずつ、人々の体型にあった衣服の縫製をイランで広めました。とはいえ、14世紀にイルハン朝の政治家ラシードウッディーンにより執筆された歴史書によれば、さまざまな衣服や武器はモンゴル様式であるものの、さらに注意深く見ると、イランの民族の衣服や装飾が、そのデザインに用いられていることが分かる、ということです。

 

イルハン朝やティムール朝の時代、男性は丈の長いシャツ、下着と上着、丈の長いマントを着ていました。こうした衣服の様々な例が絵画に見られ、その色も見分けることができます。例えば、白または色のついた襟が、シャツや男性用の長い前あきの服の下に見られ、一部の絵画では、上から下まで、何本かの紐が巻かれている前開きの上着も見られます。この時代、それまでに流行していた腕に巻く布は見られなくなりました。

 

モロッコの旅行家、イブン・バトゥータは、旅行記の中で次のように記しています。

 

「衣服の中でも、修行僧のものとされていた、ゆったりとした白い上着がよく知られていた。私はそれを見たとき、そのような服を着る資格が自分にはあると考えた。私の家に来た老翁は、召使の一人にそれを持ってくるよう言いつけた。召使がそれを持ってきて、私に着せた」

 

前開きの丈の長い上着は、イルハン朝とティムール朝の時代、外出する際に身につけられていました。それは、丈も袖も非常に長いものでした。イランの社会的な歴史書では、当時、流行に敏感であった一部の人々は、地面にひきずるほどの非常に丈の長い上着を身につけていたとしています。また、一般の人々はそうした上着を身につけていませんでした。政府の職員は、別の種類の丈の長い上着を着ており、裕福な人もまた、動物の毛皮でできた上着を着ていました。

 

ティムール朝時代には、鏡を持つ、という職業が繁栄していました。そのため、富裕な階層の人々から一般庶民にまで至る全ての人が、自分の姿を見ることに興味を示し、費用を支払って、鏡に自分の姿を映して見ていました。スペインの旅行家ゴンザレス・デ・クラヴィホは、ティムールに初めて会ったとき、縁取りのないシンプルな絹のマントを着ていたと語っています。

 

絵画や資料によれば、この時代、ズボンは膝下から幅が狭くなるものが使用されていました。絵画には、丈の長いブーツや短い靴の中に、ズボンのすそを入れている様子が見られます。

 

ベルト、ショール、手袋も、この時代の男女の装飾品となっていました。この時代から残っている絵画には、召使が華やかな衣服を見につけ、腰に絹のハンカチを縛り、任務のために列に並んでいる様子が見られます。

 

ティムール朝時代の被り物は非常に多様でした。世界のさまざまな博物館にあるこの時代の作品が、そのことを物語っています。この時代から残る絵画には、帽子の周りにターバンが巻かれているのが見られます。ティムール朝の末期に近づくにつれて、それらはさまざまな形で頭に巻かれ、刺繍が施されたものも見られます。

 

冠もまた、この時代の重要な被り物のひとつで、非常に華やかな装飾が施されていました。パリ国立図書館にある書道の写本では、イルハン朝時代の多くの衣服の例を見ることができます。