6月 18, 2022 16:26 Asia/Tokyo

これまで数回に渡り、イラン中部にある歴史と芸術の町、イスファハーンをご紹介してまいりました。

アバッシー邸・カーシャーンの歴史的な家

 

カーシャーン行政区は、イラン中部に位置し、北をイラン中央砂漠、南をイスファハーン、東から北東にかけてをアルデスターン、西をマハッラートとゴルパーイェガーンに囲まれています。カーシャーンは、イラン高原にある最も古い町のひとつで、平野と山岳地帯で構成されており、標高は平均およそ1000メートルです。カーシャーンは、砂漠地帯に位置することから、夏は非常に暑くなりますが、山岳部では温暖な涼しい気候となっています。この地域では、農業用水や飲料水に地下水が使われているため、井戸やカナートと呼ばれる地下水路がいたるところに見られます。

ボルヘルディハ邸・カーシャーンの歴史的な家

 

カーシャーンは、7000年の歴史を誇ることで知られています。アーリア民族の文明が、後にイランと呼ばれる地域に入ってくる前、紀元前7000年期から400年期の末まで、この地域には、シアルクという名の文明が存在していました。シアルクは、カーシャーンや中央イランの最初の都市文明の名前であり、最古の人類文明の発祥の地とされています。つまり、都市生活が営まれた最初の場所とされているのです。この輝かしい文明について残っている唯一の痕跡は、タッペ・シアルクという名の丘で、この丘は、カーシャーンの西3キロのところにあります。タッペ・シアルクは、1931年、イランの文化・歴史遺産に登録されました。

 

アメリハ邸・カーシャーンの歴史的な家

 

カーシャーンとその周辺の都市で織られる貴重なじゅうたん、壮麗な建物、そして7000年の歴史を持つこの町の重要な伝統工芸の存在により、カーシャーンの町は、昔から、多くの歴史家や旅行家から"世界文明の門"と呼ばれてきました。

カーシャーンも、イランのほかの都市と同じように、歴史の様々な時代に遭遇し、多くの出来事を経験してきました。11世紀にセルジューク朝が台頭すると、カーシャーンは日々、その名声と信用を高めていき、この時代に、政治、経済、社会、文化、芸術のあらゆる分野で、大きな発展を遂げました。この時期、カーシャーンは繁栄し、モスク、神学校、図書館、その他多くの建物が建設されました。この時代から残っている建物としては、カーシャーンのジャーメモスクを挙げることができます。このモスクは、セルジューク朝時代に修復され、レンガ造りのドームを持ち、ミナレット・尖塔には碑文が刻まれて、そこにはクーフィック書体で1073年という年号が記されています。

 

じゅうたん

 

歴史資料によれば、カーシャーンは、13世紀、モンゴル族のイルハン朝の時代に衰退に向かいました。この頃、モンゴルのチンギスハーンがイランに襲来し、カーシャーンの町も、イランの多くの都市と同じように大きな被害を受けました。しかし、16世紀末から17世紀初めまでのサファヴィー朝時代、カーシャーンは再び、大きな発展を遂げ、最高の名声を得るようになりました。

この時期にイランを訪れた旅行家たちは、誰もがカーシャーンを賛美し、その美しさ、豊かさ、華やかさにより、この町をイスファハーンに次ぐイラン第二の町であるとしています。彼らはまた、カーシャーンの多様で優れた織物を褒め称えており、それはサファヴィー朝時代、カーシャーンの織物産業、織物芸術がいかに繁栄していたかを物語っています。これについて、フランスの旅行家タヴェルニエは、こう記しています。「カーシャーンには、絹を扱う、腕の確かな職人が数多く存在する。彼らが織る錦は、イランで最高の品質を誇っている」

 

じゅうたん

 

またフランスの旅行家でイラン研究者でもあるシャルダンは、旅行記の中でこう記しています。「カーシャーンの人々の経済は、錦や絹織物などの織物産業で成り立っている。カーシャーンやその近郊の町で作られる、花模様の絹織物や錦は、イランの他の地域では決して見られないものである」

カーシャーンの陶器、じゅうたん、織物といった伝統芸術は、サファヴィー朝時代に繁栄を遂げました。その時代のカーシャーンの伝統工芸品は、世界各地の著名な博物館に展示されています。その中でも、最も高い名声を博しているのが、じゅうたん芸術です。ここからは、カーシャーンのじゅうたん産業についてご紹介しましょう。

 

じゅうたん

 

じゅうたん織りは、イラン人の最も輝かしい芸術であり、昔から、イランのじゅうたん職人の技巧と情熱、創造力を発揮した独自の作品が残されてきました。イラン製じゅうたんは、優れた芸術家の才能を示すものです。彼らはいかなるときも、芸術を生活と切り離して捉えることはなく、その努力の賜物である作品を人々に惜しみなく与えたり、あるいは世界各地の博物館に展示したりしてきました。

 

じゅうたん

 

カーシャーンでも、イランの他の町と同じように、じゅうたん織りは古くから行われてきました。カーシャーンのじゅうたんは、デザインと色の点で、イランの他の地域のじゅうたんよりも優れています。サファヴィー朝時代の16世紀から17世紀にかけて、じゅうたんのデザインを手がける人々は、独特の興味深い図案をあみだすことに成功しました。このころから、カーシャーンとその周囲の村のじゅうたんは繁栄を遂げ、隆盛を誇りました。イタリアの旅行家、マルコ・ポーロは旅行記の中で、カーシャーンのビロードと錦と共に、美しい模様のじゅうたんについても触れています。

 

じゅうたん

 

アメリカのイラン学者ポープ博士は、『イラン芸術の傑作』という本の中で、カーシャーンのじゅうたんは、絹で作られる織物の中で最高の品であるとし、カーシャーンのじゅうたんの影響について次のように記しています。「16世紀半ば、カーシャーンの工房から、絹でできた大きなじゅうたんが数枚と、数多くの小さなじゅうたんが誕生した。偉大なデザイナーの技術と努力により、これらのじゅうたんは、非常に美しい色の深みと輝きを放っている」

世界のじゅうたん専門家は、世界的に有名な古いじゅうたん200枚の中から、イラン製のじゅうたん7枚を、世界で最も優れたじゅうたんに選んでおり、そのうち4枚が、カーシャーン産のものとなっています。これらのじゅうたんの中でも、最もよく知られているのは、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館にあるアルデビル絨毯です。この絨毯は、デザインと織り目の点で、世界で最も価値が高く、よく知られたものとなっており、歴史の点でも、重要な資料とされています。それは、カーシャーンの絨毯職人によって織られたことを示す、日付と署名があるためです。現在も、カーシャーンの手織り絨毯は、イラン国内外で多くのファンを有し、海外にも輸出されています。

 


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