健康の維持に関するイスラムの教え(1)
イスラムの教えは、人間の生活の全ての側面における、信頼の置ける教えとして、イスラム教徒に対し、医学や保健衛生に関する総体的な原則についても、教えを提示しています。 このため、この番組では、心と体の健康を維持するためのイスラムの教えやポイントを説明してまいります。
保健衛生とは、個人或いは社会の能力向上や健康増進のために講じられる一連の措置や活動を言います。こうした一連の活動には、個人や社会の健康の維持を助ける全ての知識や手段が含まれます。
唯一神は、神への崇拝、清らかさや良いものの追求、、穢れたものの回避という本質を人間に授けています。イスラムの聖典コーランは、一部の事柄を禁じ、別の一部の事柄を許可していますが、これらの奨励事項は明らかに独自の哲学に基づき、人間の体と精神の状況に注目した上で説明されています。コーランで禁止されている事柄は全て物理的、精神的な点から人間にとって有害であり、コーランで許されている事柄は人間の心と体にプラスの効果をもたらすものです。
このため、イスラム法は人間の本質に基づいており、禁止事項と奨励事項、あるいは義務を定めている中で、人間の利益がきちんと考慮されています。コーランは、安心できる清潔な環境で生活するために、個人や社会の保健衛生の遵守を呼びかけています。
神は、預言者ムハンマドを遣わした後、コーラン第74章、アル・ムッダスィル章、「くるまる者」第4節において、預言者ムハンマドに、 衣服を清潔に保ち、それに基づいて人々をイスラムへといざなうよう教えると共に、清らかな人々を称賛し、第2章、アル・バガラ章、「雌牛」第222節において次のように述べています。
“誠に、神は罪を悔い改める者を愛され、清潔な人間を愛される」
また、コーラン第25章、アル・フルガーン章、「識別」第48節では、清潔さを保つ上での水の役割について、次のように述べられています。
我々は、天から清浄で浄化する雨を降らせた”
実際に、イスラムが礼拝の前に体を清めることを義務、または行ったほうが好ましいとしていることは、イスラムの教えにおいて清潔さが重視されていることを示すものです。礼拝の前に身体を清める際には、体が十分にきれいになるよう、水がきちんと皮膚の表面を流れることが必要です。神は、コーラン第5章、アル・マーイダ章、「食卓」第6節において次のように述べています。
“神は、あなた方に困難を課すことを望まれず、あなた方を清め、またあなた方への恩恵を果すそうとされている。恐らく、あなた方は感謝するであろう”
前回お話したように、イスラムにおいては健康は幅広く包括的な概念を持っており、体の健康のみにとどまりません。ここからは、心の健康についてお話し、心の健康を手に入れるためのイスラムの教えについてみていくことにいたしましょう。
「心の健康」という概念には、統一された定義が存在しません。それぞれの人が、自分の世界観に基づいて心の健康を捉えています。
来世の存在を信じていない人は、来世を完全に感覚的、物質的にとらえ、心の健康をもこうした視点から解釈します。彼らの見解では、精神性は表面的な事象であり、希望や安心、喜びといった具体的な感情も含まれます。このため、精神性や心の健康を手に入れるために、音楽を聴いたり奏でたりといったことや、スポーツや芸術活動を行ったり、何かに集中することや気晴らしを奨励します。こうした人々が語る宗教や精神性は、人間の安らぎのための手段でしかありません。
一方で、宗教的な視点においては、精神性はより幅広い位置づけにあります。精神性は、人間と創造主なる神との恒常的なコミュニケーションによって得られ、信心深い人間に一神教に基づく捉え方を提示します。唯一神を信じる人は、あらゆる物事における神の力や英知を信じており、全ての物事には原因があるという秩序体系のもとで、神こそが全ての事象の真の原因であることを知っています。このような世界観を持つことから、その人は迷いから解放され、秩序だった人格を有することになります。また、人間の本当の存在は永遠の魂であり、現世での生活は来世での永遠の生活の準備段階であるという事実を視野に入れた上で、自らの最終目標を定め、体の健康よりも先に心の健康に注目します。こうした人は、神の壮大な恩恵に希望を持っており、神の御前で失望という泥沼にはまることはありません。
神を信じる人が持つ心の悩みは、人生の困難のごく小さな点に過ぎず、それも神の恩恵と見なされます。このため、イスラム学の専門家らは、心の健康の定義について次のように述べています。
「心の健康とは、人間が生きていく上で意義や目的がある状態を指し、それは信仰心、神のへの考え方、死後の永遠の生に対する考え方によって得られる。心の健康は、その人に喜びや希望、満足感、確信、安心感、現世と来世での救済につながり、自分や他人、そして自分の周りの世界と、道徳や愛情に基づいた躍動的な関係が生まれることになる」