7月 13, 2017 16:54 Asia/Tokyo
  • イスラムと健康
    イスラムと健康

今回も引き続き、健康の維持に関するイスラムの教えについてお話することにいたしましょう。

イスラムは、清潔さや衛生を、信仰に欠かせない一部として挙げています。実際に、イスラムの特徴の1つは、生活の様々な側面において衛生を守ることを奨励していることです。イスラムは、イスラム教徒の宗教的行為に清潔さを保つことを据え、信者に保健衛生や清潔さの維持に必要な動機付けを与えています。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。

“できる限り、清潔さを心がけなさい。なぜなら、神はイスラムを清潔さの上に打ち立てており、清らかな人でなければ、天国には入れないからである”

この言葉が示している通り、イスラムにおいて、清潔さや衛生は独自の体系を有しています。即ち、イスラム教徒は、清潔さや衛生を宗教的な問題と見なし、どのような状態にあっても、それを常に守るのです。

イスラム教徒の礼拝行為に衛生の問題が含まれて入ることは、実際、さまざまな指示の実践を保証するものとなっています。これについて、コーラン第96章、アルアラグ章、「凝血」第14節には、次のようにあります。

“ 彼は、神が彼の全ての行動を見ておられることを知らないのか” 

これこそはまさに、実践を保証するものであり、宗教の戒律においてイスラム教徒の考えや行動を律し、イスラム教徒の罪を妨げています。つまり、衛生面での原則の遵守が宗教的に義務とされるとき、イスラム教徒はその原則を必ず守ろうとするのです。

さらに、イスラム教徒は、心の安らぎや健康の維持につながる全ての事柄が、神の満足を得られるものであることを知っていれば、環境の美化や公衆衛生の維持への支援を、善良な行いとして受け入れるでしょう。

 

イスラムは、神の啓示をより所とし、イスラム教徒に最も優れた保健衛生面での教えを提示しています。例えば、コーラン第2章、アル・バガラ章、「雌牛」第168節には、「人びとよ、地上にあるもののうち、清らかで合法的なものを食するがよい」とあり、また第80章、アバス章「眉をひそめて」、第24節には、「人類は、自分の食物について考える必要がある」とあります。これらの節は、人間に自分が口にする食べ物についてよく調べ、それらが自分の体のニーズに合っているのか、神から合法とされているか、正当な食べ物であるかなどについてよく考えるようにとしています。

また、コーラン第7章、アル・アアラーフ章、「高壁」第31節は、食物の過剰な摂取を戒め、次のように述べています。

“食べたり飲んだりしなさい。だが節度を越えてはならない。誠に、神は浪費する者を愛されない”

コーランのこの節の内容は、イスラムの衛生面で最も重要な指示を示しています。科学者による研究からも、多くの病気の原因は食べ過ぎにあり、心臓やその他の消化器官に負担がかかり、体調不良を招くことが分かっています。このため、多くの病気の治療に向けた第1歩は、イスラムによるこうした勧告を守り、健全で清らかな心と体を持つよう心がけることだと言えます。

さらに、預言者ムハンマドやその一門から伝わる伝承では、個人や社会の保健衛生、病気や健康、一部の野菜や果物の特質、その他、医学に関する問題などの指示が数多く見られます。預言者ムハンマドは、全ての病気の源は胃であり、節制こそが最良の薬であると述べています。

医学では、全ての慢性病の病気の根は、消化器官の混乱にあり、それは食べすぎやふさわしくない食物の摂取により起こることが証明されています。

 

ここからは、精神的な健康を手に入れるためのイスラムの教えについてみていきましょう。

 

前回のこの時間には、心の健康は、物質的な要素とは異なる優れた力への信頼によって生まれる、安心感や心の落ち着き、平穏であるとお話しました。精神面での健康に恵まれている人は、より多くの喜びを感じており、そうでない人に比べて平均寿命も長くなっています。ここからは、心の健康についてもう少し詳しくお話することにいたしましょう。

今日、身体的な健康の分野で目覚しい進歩が見られるにもかかわらず、精神面での健康はそれほど注目されていません。健康に関する一部の議論では、心の健康は忘れられた要素とされています。

中には、精神面での健康に全く注目しない人も存在します。彼らは、健康と病気という概念は、人間の肉体面のみにあてはまると考えています。その一方で、精神的な問題の存在を認めてはいるものの、それを完全に独立下問題として見なしている人もいます。こうした人々は、人間の精神のメカニズムは肉体からは完全に独立しており、自然に機能すれば健康であり、自然に機能しなければ、精神のバランスを崩し、病気の兆候と見なされる、と考えられています。即ち、精神的な問題にも身体的な問題と同じように独自の形があり、何らかの要因でこれが失われた場合、人間の精神も乱れ、病気に陥るとされています。

しかし、これまでに述べてきたグループとはさらに異なる考え方の人々も存在します。彼らは、そもそも健康という概念をあらゆる事柄に当てはめており、健康とは本来あるべき道を進み、独自の機能をきちんと果たすことだと考えています。このため、体の全ての器官が正常に機能している体が健康であり、考える上で何の問題もない知性が健康であり、人間を気高い目標へと導く精神が、健康な精神だと言えます。総合的に見て、身体と精神の全ての側面が、喜びや幸福、成長へと向かっている人間のことを、健康な人間だと呼べるのです。

 

イスラムでは、精神的な健康は心の健康により得られると考えられています。このことから、イスラムの聖典コーランが身体の健康よりも精神面での健康に注目していることが分かります。コーランでも、心は人間的に最高の特質の源であるとともに、卑劣さや堕落の元凶とも見なされています。健全な心は、美徳や好ましい性質の源であり、反対に、好ましくない行動や悪の全ては、不健全な心から発生します。

このため、精神面での健康は、人間の生活の全ての側面を含むといえます。敬虔な人は、自分の進む道や行動を選ぶ際に、常に神のことを考え、神により許されているか禁じられているか、神が喜ぶか喜ばないかを考えた上で行動するのです。

このような神を中心とした考え方は、神と直接語り合う礼拝によって具現されることもあれば、間接的な方法で神との関係を見出す、さまざまな行動において表れることもあります。精神的な健康に恵まれている人は、全ての人々を愛しますが、それは最も愛する神という存在のためです。彼らは、神が全ての僕を愛していることを認識しているがゆえに、神の僕を愛します。また、何事をするにも、神をより所とします。こうした心からの満足や神の恩恵への感謝の気持ちが、その人に精神的な健康をもたらしてくれるのです。

 

 

 

 

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