生きるための技術(20)
今回は、人間が抱くプラスの感情である、喜びについてお話することにいたしましょう。
WHO・世界保健機関は今年の世界保健デーのテーマをうつ病としており、喜びはおそらく、現在失われてしまっています。ここではその喜びについて考えていきたいと思います。
皆さんは、自分の微笑み1つが他の人に奇跡を起こし、彼らの心の乱れを抑える薬となることをご存知でしょうか?また、イスラム教徒に対して、微笑むことや良い性格を持つこと、愛想よく振舞うことが強調されていることをご存知でしょうか。
喜びは、意識や創造性を高め、人を活発にし、また、健康の維持や寿命の延長につながります。喜びに溢れた人は、健康的で、物事を肯定的に捉え、外部に向かって自分から積極的にアプローチします。このため、喜びや愛を表に出す事は、その人の精神的な健康につながるとともに、他人にもより愛されるようになります。それは、他人も愛を再びその人に返してくれるからです。
喜びは、私たちに社会的な活動への意欲を持たせてくれます。喜びによる微笑みは、人々同士の関係を作る社会的なパイプ役を果たします。一方で、喜びは安らぎをもたらす役割も果たし、私たちが不愉快な出来事に遭遇したときにも精神的な健康を維持し、悲しみなどの好ましくない感情の影響を吹き払ってくれます。
実際に、喜びは重要な心の変化です。それは、喜びによってあるレベルの満足感を得るようになり、それは結果的に心の健康につながるからです。一方、心の健康の基本は、喜びにあふれた精神を持つことです。それは、ストレスをかかえた人は健全な行動を取らないからです。このため、喜びはさらに高いレベルを目指し、人間として完成するための下地となります。
有識者によれば、喜びは遺伝的な根源を持つ可能性があるとされています。しかし、喜びの感情や満足感はむしろ1つの技術とされ、体の全ての器官の働きに影響します。複数の研究では、喜びに溢れた人は心拍数が規則正しく、血圧の変動が少ない傾向にあることが分かっています。カナダ人の研究者により、2010年に行われた研究では、喜びや情熱といったプラスの感情が、冠状動脈性心臓病にかかるリスクを22%も減らすことが判明しています。
笑顔や微笑は、喜びを表面的に示すものです。しかし、喜びは魂の深い部分でのつながりを持っています。おそらく、中には明るい音楽を少々聞いただけで楽しい気分になる人もいれば、誰かに尽くすことで喜びを感じる人もいるでしょう。しかし、もっと奥深いところに目を向けると、礼拝や祈祷、スポーツ、古くからの友人と会うこと、興味のある書籍を読むこと、大勢の友人と共にいること、両親と会った後に心が軽くなるといった事柄は、喜びを増す上での助けとなります。
イランの心理学の専門家ミーナー・トラービー氏は、次のように述べています。
「人間が喜びの感情を味わっている時、その人の脳裏に浮かんだ考えにより、その人には安らぎの感情や良いものを求める気持ち、そして仲間を愛する感情が増し、結果的にその人は博愛主義的で魅力的な人物となる。また、そういう人に対しては、他の人はその人の話を聞いてみたいと感じ、その人に何かを相談する」
トラービー氏は、喜びを生み出す要因の1つとしてプラス思考を挙げており、次のように述べています。「喜びに溢れた考え方やプラス思考を持つことは、自分の身の周りやその出来事の中に、美しいものを見出そうとし、プラスの視点からそれらを捉え、同時に他人との共通点を見出し、共感しようとしていることを意味する」
喜ぶというテーマに対するコーランの見解は、肯定的に物事を捉えることから来ており、コーランの節はこれを天国に行ける人のしるしの1つだとしています。心理学者は、喜びを作りストレスを減らす最も重要な方法として、人生において1つの明確な目標を定め、それに向かって努力し、満足感を高めることを挙げていますが、この点はコーランにおいても強調されています。
コーランは、喜びの活用方法や、人生を楽しみ、満足する方法を、理解しやすい教えの中でやさしく示しています。例えば、信仰を持つ人々やその他の人々に微笑みかけることに報奨を与え、深い喜びを与えると共に、これをいつまでも残るものにし、人間のニーズに応えているのです。一方、一時的で偽りの喜びや快楽は、真の喜びに比べて非常に小さく、わずかなものに過ぎないと見なしています。
コーランの文化では、本当に信心深い人であれば常に喜びを感じており、この技は微笑みという形で現れるとされています。よい行いや来世への確信、他人に尽くそうとする精神、恵まれない人々への支援や施し、そして本当の信仰心といった要素は、信心深い人々に心の安らぎを与え、彼らの心や精神にいつまでも残る、真の喜びの源となるものです。
コーラン第76章、アル・インサーン章、「人間」第11節において、最後の審判の日、崇高なる神が信心深い人をその日の災厄から救い、慈悲と哀れみにより天国に入れる信徒たちの喜びについて、次のように述べています。
“神は、その日の災厄から彼らを守り、彼らに笑顔と喜びに満ちた心を与えられた”
また、コーラン第16章、アン・ナフル章、「ミツバチ」第97節には、次のように述べられています。
“誰でも相応しい行いをし、真の信者ならば誰でも、我はその者に必ず清らかで幸せな生活を送らせ、彼らが行った最も優れた行動に対し、報奨を与える”
もとも、プラスの感情を表に出す際にも、節度を越えることは、どのような見解においても非難されるべきことがらです。喜びも度が過ぎると、虚勢や傲慢さ、ひけらかしといった要素が入り込みます。このため、神はコーラン第28章、アル・ゲサス章、「物語り」第76節において、神は喜びが節度を越えて傲慢になった者を愛されない、と述べています。
コーランは人々に対し、プラスの事柄に対する感情や興奮を表す際にも自らを律し、理性や感情のコントロールを失わないよう求めています。
ここで留意したいことは、本当の喜びを自分の外に求めることはできず、自分の心の中にこそ喜びが宿っているということです。また、良いことや美しいものにより、私たちの心を喜びに満ちた状態にしておきたいものです。
次回もどうぞ、お楽しみに。