2月 15, 2018 21:04 Asia/Tokyo
  • バース・オブ・ネイション映画のポスター
    バース・オブ・ネイション映画のポスター

バース・オブ・ネイションは、1915年にアメリカで公開されたグリフィス監督の無声映画で、「国民の創生」という邦題がつけられています。この映画は、1905年のトーマスディクソンの「クランズマン」という小説を原作にしています。

バース・オブ・ネイションはおよそ3時間の作品です。ここからは、この映画のある場面の映画的、社会的なしるしについて見ていきます。さらに次回の番組では、別の2つの場面についてお話しします。

 

映画「バース・オブ・ネイション」の監督とポスター(1915)

 

バース・オブ・ネイションの物語は、ちょうどアメリカの南北戦争が起こる前から始まります。北部出身のストーンマン家のフィルとタッドという2人の若者が、級友の南部・サウスカロライナ州出身のキャメロン兄弟のもとを訪れます。フィルはキャメロンの妹のマーガレットと恋に落ち、マーガレットの兄、ベン・キャメロンもフィルの妹のエルジーの写真を見て、彼女に恋をするようになります。このストーンマン家とキャメロン家が交流を深めたころ、南北戦争がはじまります。この戦争で、ベンの2人の弟とタッド・ストーンマンが戦死します。ベン・キャメロンは負傷し、病院でエルジーの看護を受け、そこで彼女と結婚の約束を交わします。しかし、エルジーは父親を助けるためにベンのもとを去ります。1865年に南北戦争が終わり、黒人が解放されます。ストーンマン家の父親は、サウスカロライナ州に行き、解放された黒人の政治的な権利の獲得を支援します。

 

映画はその後、復興の時代に入ります。サウスカロライナ州では、政治工作を行う人や黒人が手に入れた権利を悪用し、殺害や強奪に手を染め、人々の生活を混乱させます。

 

この映画では、南部の人々、特にキャメロン家が、黒人の野蛮さや凶暴さに苦悩しているように描かれています。そして最後には、こうした混乱を収束するため、ベン・キャメロンを指導者とする南部の白人の集団が、クー・クラックス・クランを結成します。この組織はアメリカで、過去も現在も白人至上主義を訴え、自分たちの目的を果たすために、黒人の暗殺や暴力に訴えています。

 

この映画の最後は、クー・クラックス・クランが黒人を抑えてアメリカの南部に公正と平和を回復させ、白人によって社会に平穏が戻ったかのように描かれています。フィル・ストーンマンとマーガレット・キャメロンが結ばれ、映画はベン・キャメロンとエルジー・ストーンマンが結ばれる場面で終わります。

 

アメリカのクー・クラックス・クラン

 

バース・オブ・ネイションの人種差別的な内容や偏った見方により、この映画は多くの批判を呼びました。アメリカのデイビッド・コック氏は、「世界の映画界の歴史」という本の中で次のように記しています。

 

「バース・オブ・ネイションは、ホワイトハウスで特別に上映された最初の映画であり、歴史家でもあった当時のウィルソン大統領は、この映画を観た後にそれを称賛した」

 

バース・オブ・ネイションが、クー・クラックス・クランに関して提示したよいイメージにより、この映画の公開後、このテロ組織は多くのメンバーを集めました。クー・クラックス・クランの力の拡大は、バース・オブ・ネイションという映画が、ウィルソン大統領のような人物の手の中で、イデオロギー上の手段のような役割を果たしたことを示しています。

 

実際、ハリウッド映画は、クー・クラックス・クランに合法性を与え、その肯定的なイメージを提示することで、社会的、文化的な問題を作り出しました。その影響は、アメリカ各地の街頭での争いの中に見ることができます。

 

歴史家のデイビッド・コック氏だけでなく、セルゲイ・エイゼンシュテインなどの著名な映画監督も、バース・オブ・ネイションの本質について語っており、それを人種差別を拡散するものとして批判しています。人種差別は、アメリカ社会におけるアフリカ系アメリカ人に対する差別的な見方に根差しています。映画評論家のアラン・ライス氏によれば、バース・オブ・ネイションは、ステレオタイプの人種差別を広めました。その差別とは、黒人が非文明的であるように示すものです。

 

バース・オブ・ネイションの議会のワンシーン

 

南北戦争が終わり、黒人がサウス・カロライナ州の状況をコントロールするようになりました。113分からおよそ4分間のシーンでは、サウスカロライナ州議会で、黒人と白人の結婚に関する法が可決されます。

 

このシーンではまず、議会が黒人の議員で埋められます。それから黒人の混乱が映し出され、一人の黒人の議員が壇上で何かを読み上げようとしながら、黒人の議員たちに自分の話を聞くよう叫び声をあげたり、両手を動かしたりして訴えます。黒人の議員たちは、議事をまったく聞こうとしていません。

 

 
さらに黒人議員たちの落ち着かない様子、秩序のない様子が描かれます。彼らは会場を歩き回り、議会にまとまりのない姿で参加しています。

 

バース・オブ・ネイションの監督が、遠近法を巧みに使って黒人の慣例を外れた行動を示そうとしているのは、視聴者に、黒人の非文明的で非社会的な姿をよりよく吹き込むためです。例えば、黒人の議員が椅子に座り、何かを食べたり、彼の横に立つ他の黒人と話しをしたりする姿がアップで映し出されます。また、別の黒人議員が、足を机の上に載せると、チョコレートを食べる別の黒人がそれを見つめます。さらにその向こう側には、たばこを吸う黒人の姿もあります。二階席でも、黒人が踊りを踊っています。

 

バース・オブ・ネイションは、黒人の議員たちが、議長などの話を聞こうとせず、互いに敬意を払わない姿を描いています。別のシーンでは、二階席から、黒人のひどい行動を見つめ、遺憾を示す白人の姿が見られます。

 

バース・オブ・ネイションで描かれているこのような黒人の姿は、黒人は社会的な礼儀を知らず、議会に席を置いたり、社会のために決定を下す資格はないという主張を視聴者に吹き込むための下地になっています。

 

バース・オブ・ネイションは、議会での黒人の非論理的な行動を示すことで、視聴者に対し、黒人は法を守らない無秩序な人たちで、人々の生活をよくするために法を制定することはできず、そのためには白人が必要だと吹き込もうとしています。また、社会や政治の重要なポストには白人が立つべきであり、黒人は彼らに従えばいいのだと伝えようとしています。