3月 14, 2018 21:15 Asia/Tokyo
  • ソフトな運動
    ソフトな運動

この時間は、イランにおけるソフトな運動の形成について取り上げます。 ソフトな運動は、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、国の科学的な可能性を向上させ、発展を実現するために推奨しているモデルです。

前回の番組では、開発途上国の多くが、西洋諸国に比べて、科学面で遅れを取っていることの理由に関するハーメネイー師の見解をご紹介しました。ハーメネイー師は、西洋諸国が他国の国民を虐げ、それらの社会の学者から、科学面での独創力や勇気を奪うことにより、これらの国の科学の発展を妨げていると考えています。

 

ハーメネイー師はまた、西洋寄りの有識者が、発展途上国の若者たちの間の自信のなさや失望に大きくかかわっているとしています。イランは、1979年のイスラム革命勝利前まで、このような西洋寄りの有識者たちの影響により、国民としてのアイデンティティや力を信じ、科学的な力を手に入れることができなかった国のひとつです。しかし、イスラム革命後、このような失望は活力に変わり、自信のなさが消え去りました。そしてイラン国民は科学の力と、それに続いて政治的、経済的な力を高めていったのです。

 

この時間は、イランの科学的な政策を決定する基盤ともなっている、科学の生産活動の形成と科学的な力を実現するための具体的なモデルに関する、ハーメネイー師の見解をご紹介しましょう。

 

ハーメネイー師によれば、政治、軍事、産業、経済面での力の基盤として、科学的な力をつけるには、ソフトな運動を形成することが必要です。ハーメネイー師は、ソフトな運動の意味を説明する中で、科学の生産における独創性と革新を強調し、次のように語っています。

 

「ソフトな運動とは、パソコンのソフトを作ることではない。ソフトな運動とは、あらゆる発展の精神、心理、内面である。つまり、科学の生産と知識である。ソフトな戦争の精神とは、すなわち、知識の生産であり、国民の能力や可能性を活用することである。ある国民が自立し、アイデンティティを持っていれば、その意味が強化され、発展を遂げるだろう。それ以外の場合には、常にだれかの後をついていかなければならない」

 

 

ハーメネイー師は、知識の境界を破り、革新を遂げることを、ソフトな運動の特徴のひとつとして挙げ、次のように語っています。

 

「ソフトな運動とは、つまり、科学の生産、知識の境界の打破において、大きな運動を作り出すことである。ソフトな運動とは、つまり、科学的な知識の中に座り込み、他人がそれを利用してその実をもぎ取らせ、残った分を与えてもらうようなことではない」

 

ハーメネイー師は、ソフトな運動を実現するための様々な側面や不可欠な事柄のひとつは、西洋の科学的な独占を疑う勇気を持つことだとし、大学関係者に、西洋の科学的な基盤に果敢に立ち向かうための自負心の強化を呼び掛けています。

 

「一部の人々にとって、その西洋的なスタイルや形が天啓であり、わずかなりともそれについて疑いを抱くことができない政治的、社会的、法的な内容の多くを、我々の大学の教授や学生が大きな学術研究施設の中で分析し、それらに疑問を投げかけ、こうした独占を破るべきである。新しい道を見出し、自分たちで利用するとともに、人類に提示すべきである。現在、我々の国家はそれを必要としている。現在、国家が大学に求めているのはそのことである。大学は、あらゆる分野のソフトな運動をこの国、この国民に提供することができなければならない。労働や努力に勤しむ人々は、さまざまな提案や科学的な革新によって、イスラムの価値観と思想に基づく、公正で繁栄した社会の基盤を高めるべきである」

 

ハーメネイー師は、西側の科学に対して疑いを抱くことが、ソフトな運動の実現に必要だとし、歴史的な経験が示しているように、科学の分野における勇気が、大きな科学的革命が生まれるきっかけとなるとしています。

 

「我々は数十年前から、西洋や外国の内容を繰り返してきた。疑問を抱く力を持たなかった。科学の内容を読み、あらゆる人から知識を学ぶべきである。だが、科学はその発展の道において、科学を進める勇気を持つ、確かな精神を伴うべきである。世界の科学的な革命は、このようにして生まれてきた」

 

ハーメネイー師は、学術研究機関、特に大学や神学校における学術的な討論会の実施を、この重要な事柄を実現するための最も重要な方法のひとつとして挙げています。ハーメネイー師は、学術機関における討論会の実施を要請した研究者らの書簡に対し、この考え方を歓迎するとともに、大学や神学校の関係者に対して次のように求めています。

 

「問題のすべての側面を守ることにより、大学や神学校のすべての領域において学術的な討論会が実施されることを歓迎すべきだ」

 

ハーメネイー師は、科学的な革新は、ソフトな運動の実現に不可欠な条件だとし、科学の力と科学的な勇気の2つの要素を、科学の革新に必要なものとして挙げています。

 

「科学的な革新には2つの要素が欠かせない。一つは科学的な力であり、もう一つは科学的な勇気である。もちろん、科学的な力は重要な要素である。豊富な知識、必要な科学的な蓄積、習得のための努力は、科学的な力を手にするために不可欠な要素である。だが、十分ではない。科学的な力を持ちながら、科学的な蓄積が活用されず、前進することがなく、一国民を科学的な点から向上させることができないケースが多々ある。そのため、科学的な勇気も不可欠である」

 

ハーメネイー師は、科学的な勇気を、分析や無意味な主張と切り離し、科学的な勇気に必要なのは、その知識への精通だとし、学者たちに無意味な主張を回避するよう呼び掛けています。

 

「私は、科学的な分析や無意味な主張を誰にも勧めない。あらゆる分野において、知識を持たない人々は、革新を起こそうとするとき、無意味な主張に走る。我々は、一部の学術分野、特に人文学や宗教学において、十分な知識を持たない人々が、科学的な蓄積もなく革新を起こそうとしているのを目にしている。しかしそれは実際、革新ではなく、無意味な主張である。私はそれを勧めない」

 

イランにおける知識生産活動

 

ハーメネイー師は、ソフトな運動を実現するための側面の一つは、知識の限界に達し、それを克服し、それまでの遅れを取り戻すための中期的な方法を見つける努力であるとし、次のように語っています。

 

「我々が新たな知識を加えるためには必ず、西洋の知識を通過しなければならないというわではない。知識の木とは、下から上まで、すべての場所に新しい枝や葉をつける可能性がある。人類の知識に革新をもたらそうとするとき、必ず、すべての段階を経なければならず、その上で、最後に何かを加えるべきだ、ということはない。我々は高い能力を有している。独創の精神は、常に、中期的な道を示す。そこで、中期的な道を追求すべきである」

 

ハーメネイー師は、いまだに解明されていない自然界の神秘の解明に向けた努力を、中期的な道の支えのひとつとして挙げ、次のように語っています。

 

「いまだに多くの中期的な道が存在する。偉大な学者たちは、我々はまだ、自然界の多くの神秘を解明できていないと言っている。まだ多くの事柄が解明されていない。誰が解明できるだろうか?考えることができ、学者となり、新たな学問を利用することのできる人である」

 

ハーメネイー師は、ソフトな運動の完全な実現と、知識や科学の頂点を極めることは長いプロセスであるとし、50年の展望の中で、この重要な事柄が実現されるよう期待感を表明するとともに、そのためには、若者や学者、関係者の間に強い決意が存在すべきだとしています。

 

「我々が期待するのは、10年、15年とは言わないが、50年後に、世界レベルで科学の第一人者となることである。つまり、科学の境界を我々が決定することだ。その地点に到達するためには、それが可能であることを信じる必要がある。それを信じなければ、達成されることはないだろう」

 

ハーメネイー師は、科学の交流に肯定的な関係を作り出す上でのバランスの維持は、この頂点を極めるための一歩であるとし、次のように語っています。

 

「科学の分野の各国の関係は、輸出と輸入の関係でなければならない。つまり、その中にバランスがなくてはいけない。社会や経済問題において、輸入が輸出を上回れば、収支のバランスが崩れ、不満を抱くことになる。科学の分野でも、同じ状態でなければならない。科学を輸入すればよい。問題はない。しかし、少なくとも、輸入するのと同じ分だけ、あるいはそれ以上に、輸出すべきである。流れは双方向でなければならない。そうでなければ、あなた方は常に、他者の科学のこぼれた部分を受けるだけである。これは発展ではない」