ケルマーンシャーのラーズィ大学
今回は、イラン西部のケルマーンシャーにあるラーズィ大学をご紹介してまいりましょう。
イラン西部の歴史ある州、ケルマーンシャーは、その山裾の平原に、壮大な遺跡を有しています。ある時代に居住地とされてきた地域とは異なり、この州は絶えず、様々な時代を通じて人々が居住してきました。考古学的資料によれば、この地域は古代の人間が暮らした地と見なされ、ザグロス山脈中部における人口集中地域でした。
ケルマーンシャー州は、歴史、文化、自然の魅力を多く有しています。ケルマーンシャー・ジャーメモスク、ドウラトシャーモスク、およそ4万年前の洞窟、アケメネス朝時代のダーリユーシュ王の絵、サファヴィー朝時代のマーヒーダシュト隊商宿、ケルマーンシャーから45キロ離れたところにある湿原などがこの州の文化、歴史、自然の見所と見なされています。
ラーズィ大学は、ケルマーンシャー市にあります。この大学は1973年、ケルマーンシャー州の最初の高等教育機関として創設され、最初の年度は、物理、化学、生物学、数学の4つの学部で、200人の学生を受け入れて始まりました。1975年、大学の名称をラーズィ大学に変更し、ケルマーンシャーの理学部、サナンダジの教育学部、イーラームの畜産学部の3つの分校により活動を開始しました。
1979年のイスラム革命の勝利後、イランで高等教育が広まると、1991年、サナンダジの教育学部がラーズィ大学から分離し、コルデスターン大学という名で運営を続けることになりました。1992年、イーラームの畜産学部もこの大学から独立し、イーラーム大学に昇格しました。地域のニーズや質量の拡大に注目し、ラーズィ大学の学部は発展に向けて前進しました。
現在、ラーズィ大学は、2つの分校と複数の学部によって運営されており、ターゲボスターン校には、理学部、文学部、人文学部、工学部、体育学部、社会学部、化学部があります。またケシャーヴァルズィ校には、農学部、畜産学部、農業工学部があります。
さらに、ラーズィ大学の傘下にある学部は、2011年に西イスラマバード工学部、2012年にジャヴァーンルード経営・簿記学部、2013年にソンゴル農学部が創設されました。2013年には自治大学も創設され、現在、学士・修士・博士課程で学生を受け入れています。
ラーズィ大学には現在、1万500人の学生が在籍しています。学士はおよそ7000人、修士課程は2500人、博士課程は700人となっています。この大学には、学士では68、修士は120、博士は60と、合わせて248の専門分野があります。さらに、学生の多くは理学系、人文学系の学問を学んでおり、化学系を学ぶ学生が最も多くなっています。
ラーズィ大学には、406人の教育者がおり、教授は21人、准教授が67人、助教授が285人、講師が29人となっています。現在、この大学は環境、経済・社会発展、ナノテクノロジー、伝統工芸・伝統芸術の4つの総合研究所、また薬草、地球物理学、化学工学最新研究の3つの研究所を保有しています。
ラーズィ大学では、化学を専門とする優れた教授陣が教鞭をとっています。彼らはイスラム世界で知られた研究者です。この大学は、イランの総合大学のランキングで11位となっています。この大学はイランで、化学やナノテクノロジーの分野で知られています。
ラーズィ大学では、200人の外国人も学んでいます。これらの学生は主に、イランの近隣国の出身です。コンピュータ学部が外国人の学生の間で人気があります。この大学で学ぶ、アッバース・アリーハサンさんは、コンピュータサイエンスを専攻しています。イラク出身の彼は35歳、2年前にイランにやってきて、この大学のコンピュータ学部の修士課程に在籍しています。彼はイランを選んだ理由として、イスラム教国であること、イラクから近いことを挙げています。イランの前に、ロシアの大学にも応募していた彼ですが、距離が遠いことから断念しました。アリーハサンさんは、ケルマーンシャーのラーズィ大学、そして一般にイランの大学は高いレベルにあると評価しています。