アールイムラーン章イムラーン家(2)
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聖典コーラン
今回も、コーラン第3章アールイムラーン章イムラーン家をご紹介することにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
コーランの第3章にあたるアールイムラーン章イムラーン家は、コーランの章の中でも最も長いものであり、様々なメッセージを含んでいます。今夜は、この章の一部の節をご紹介しましょう。イムラーンの妻、マリヤムの妊娠、そして預言者イーサーとヤヒヤーの誕生は、この章で述べられている興味深い物語です。
「イムラーンの妻は言った。『主よ、私はこの胎内に授かったものを、[あなたに仕えるために]解放します。それを受け入れてください。あなたは全てを聞き、知っているお方です』」
アールイムラーン章の一部の節は、イムラーンの妻、そして娘のマリヤムについて触れ、この偉大な女性がどのように生まれたか、あるいはその人生において起こった重要な出来事が述べらています。イムラーンの妻は、妊娠したとき、その子は男の子だと考えていました。そのため、その子が生まれたら礼拝所に奉仕させようと考えていました。しかし、生まれた子は女の子でした。女の子では、礼拝所に奉仕させることはできません。しかし、神はその子、マリヤムを受け入れ、ふさわしい形でその子を成長させました。預言者ザカリヤをマリヤムの保護者としたのです。マリヤムは少しずつ成長し、偉大さのしるしを示すようになりました。コーランはマリヤムについて、次のように語っています。「ザカリヤがマリヤムのところに行くたびに、マリヤムのもとには食事があった。ザカリヤは驚いて、この食事はどこから届くのか」と尋ねると、マリヤムは言った」
「これは神からのものです。神は誰でもお望みの者に、日々の糧を無限に与えて下さいます」
ここから先のアールイムラーン章の節は、預言者ザカリヤの人生と、彼がどのように子を授かったかについて述べられています。その後、再びマリヤムの物語が述べられ、マリヤムの最盛期、この清らかな女性の気高い地位について語られています。ここで神は、マリヤムを称賛し、第42節で次のように語っています。「天使たちは言った。『マリヤムよ、神はあなたを選び、清らかにし、世界の女性たちよりも優れたものとした』」
マリヤムの地位の高さと敬虔さにより、神はイーサーのような立派な子供をマリヤムに授けました。コーランはイーサーを偉大な預言者として紹介しています。イーサーは泥から鳥を作り、神の赦しによってそれに生命を与えていました。また、生まれつき目の見えなかった人間の目を治したり、神の命によって死人を蘇らせたりしていました。第51章によれば、イーサーは常に、自分の周囲の人々に次のように語っていました。エ「神は、私とあなた方の主である。神を崇拝しなさい。これこそが正しい道である」
コーランはイスラム教徒に対し、イスラムに敵対し、イスラム教徒と暴力的な態度で接する人々と友好的になってはならないとし、イスラムの信者たちの栄誉、独立、誇りを求めています。アールイムラーン章イムラーン家、第72節は、ユダヤ人がイスラム教徒に対して企てていた陰謀を明らかにしています。12人のユダヤ人が、イスラム教徒の信仰を揺るがすためにある陰謀を企てました。彼らは手を組み、まずは預言者の許に行き、信仰を寄せたふりをしながら、最後には不信心者となることにしました。そして、なぜそのようなことをした、と聞かれたら、「自分たちはムハンマドの性質や態度を実際に見たが、自分たちの聖典と照らし合わせ、ムハンマドの性質はその中に書かれた事柄にそぐわない、だから彼の宗教を捨てて元の信仰に戻る」と嘘をつくことにしたのです。彼らは、このような嘘をつけば、イスラム教徒の信仰を揺るがすことができると考えました。しかしそのとき、コーランの節が預言者に下され、ユダヤ人の陰謀が明らかにされたのです。
アールイムラーン家第61節には、次のようにあります。
「汝に[イーサーについての]知識が下されるたびに、汝に対抗する者がいる。彼らに言え、『私たちは自分の子孫をいざなう。あなた方も自分の子孫を。私たちは自分の妻をいざなう。あなた方も自分の妻を。私たちは自分の内面をいざなう。あなた方も自分の内面を。そのとき神に祈る。嘘つきに神の呪いがありますように』」
キリスト教徒の長老の一部は、預言者の許を訪れました。預言者と彼らは、イーサーに関して議論を交わしました。預言者は、彼らがイーサーには神の性質が備わっていると考えていることを悟りました。そのため、キリスト教徒も預言者も、嘘をついている者に神の呪いがあるよう、祈りを捧げることにしました。そしてそれは、翌日に行われることになりました。彼らは、「もし預言者が教友たちと一緒にやってくれば、彼の主張が正しくないことが明らかになる。でももし家族や大切な人間と一緒にやってくれば、彼が自分の主張と祈りを確信していると判断すべきだ。もし確信していなければ、家族や大切な人を神の呪いの危険にさらすはずはないからだ。もし預言者が家族を連れてきたら、のろいのために祈りを捧げあうのはやめよう」
朝、祈りを捧げあう儀式のために彼らが約束の場所にやってくると、そこには、預言者、シーア派初代イマーム、アリー、預言者の娘ファーティマ、その息子であるハサンとホサインがいました。そのため、キリスト教徒は祈り合いを断念し、こうして決着がつきました。
アールイムラーン章の特徴の一つは、バドルやウフドの戦いなど、一部の出来事について触れている点です。第139節と140節には次のようにあります。
「それで気力を失ったり、悲しんだりしてはならない。あなた方が信仰心を持っていれば、あなた方の勝ちである。」
「もしあなた方が[ウフドの戦いで]怪我を負ったら、相手側もそれと同じ怪我を負っている。我々はこの日々を交互に人々に授ける。神は圧制者を好まれない」
この2つの節は、イスラム教徒のバドルの戦いでの勝利と、ウフドの戦いでの敗北について触れています。バドルの戦いに参加したイスラム教徒の数は313人でした。移住者の側の旗手はイマームアリーが務め、相手側の旗手は、サアド・イブン・ウバーダが務めました。イスラム教徒はほとんど武器を持っていませんでした。これに対し、敵の軍勢は、1000人を超える戦士と十分な数の武器を持っていたにも拘わらず、イスラム教徒は彼らに完全に勝利し、メディナに戻りました。
しかし、ウフドの戦いでは、イスラム教徒は勝利を目前にしていたところで、一部の兵士が敵の戦術への注目を怠り、戦利品を集めるために戦場を離れてしまいました。敵もその機会を利用し、イスラムの軍勢に奇襲攻撃を仕掛けました。この攻撃により、イスラム教徒は大きな被害を被り、戦いに敗れました。
コーランは、この勝利と敗北に触れ、神の道における戦い・ジハードと防衛に関する教訓を与えています。例えば、敬虔な人々には神の助けがあること、勝利に希望を持ち、失望してはならないこと、戦場では抵抗を続け、意志を揺るがせてはならないこと、敵を恐れないこと、戦争で被る被害、神が課す試練、戦場で最も苦しいときには神に頼ること、などです。

この他、アールイムラーン章で注目されているのは、イスラム教徒の間の統一、分裂の回避です。第103節には次のようにあります。「誰もが神を頼りにし、分裂してはならない」
イスラムの偉大なる預言者ムハンマドは次のように語っています。「アル・バガラ章とアールイムラーン章を学びなさい。なぜならそれらは、最後の審判の翌日に輝く2つの星であるからだ。それらは2人の天使として降り立ち、読むものを天国に入れるようにする」
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