コーラン、第11章フード章(2)
今回も前回に引き続き、コーラン第11章フード章フードについてお話ししましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
まずは、第7節をお聞きください。
「彼こそは、天と地を6日で創造した方である。彼の玉座は水の上にあった。それはあなた方のうち、誰がより善を行う者であるかを試すためである。[預言者よ、]死後によみがえらされると言うのなら、不信心者たちは言うであろう。『これは明らかな魔術以外のものではない』」
聖典コーランの奇跡の一つについて語ったこの節は、一つの重要な科学的事実に触れ、創造世界の基盤は、水、あるいは水のような液体であったこと、神がその上に、創造世界を打ち立てたことを物語っています。コーラン解釈者によれば、創造の初め、世界は液体のような密度の高いガスでした。その後、それらが集まって大きな爆発が起こり、その表面の一部が次々に外側に放り出されます。その結果、この大きな塊は互いに離れていき、惑星や銀河系ができあがります。創造世界は、そのような大きな液体のような物質の上にありました。コーラン第21章アル・アンビヤー章預言者、第30節にも、そのことが述べられています。
「神を否定する人々は、その目でこの事実を見なかったのか。天と地は最初、くっついていたが、その後我々がそれらを分かち、全ての生き物を水から創造した」
とはいえ、この創造は、一瞬のうちに起こったのではなく、6つの長い期間を経たものでした。
この節が触れているもう一つの点は、世界が創造された目的です。その目的は、大部分が人間に関するものです。「この創造は、あなた方のうち、誰がより善い行いをするかを試すためのものである」 コーランによれば、世界と人類の創造の目的は、人間の成長にあります。人間は、教育を受け、成長の道を歩み、徐々に神へと近づく必要があります。それが唯一、実現されるのは、試練を克服したときです。神の秩序において、誰でも善い行いをした人は、より優れた地位を得ます。とはいえ、神の試練は、人々の精神的な状態を探るためのものではなく、人間を教育するためのものです。興味深いのは、この節が、人間の価値は、その人の行動の多さではなく、その質にかかっているとしていることです。それはイスラムが、行動の量や数よりも、その質を重視していることを示しています。
前回の番組では、預言者ヌーフの使命と、その民が経験した出来事についてお話ししました。この章はその後で、預言者フードとその民の運命について述べています。
紀元前700年ごろ、アードという名の民が、現在のイエメンにあるアフカーフという土地に暮らしていました。彼らは屈強な体格を持っていたため、戦いではいつも勝利していました。彼らはまた、進歩した文明を有し、繁栄した都市と緑豊かな大地、みずみずしい果樹園を持っていました。この民はしばらくの間、豊かな恩恵に恵まれて暮らしていましたが、多くの裕福な人間の例に漏れず、利己的で高慢になり、圧制や腐敗に陥りました。彼らは高慢で理不尽な人間を指導者に選び、偶像を崇拝していました。こうして神は、彼らを導くために、預言者フードを遣わしたのです。
フード章の第50節には次のようにあります。
「我々はアード[の民]に兄弟のフードを遣わした。彼は[彼らに]言った。『私の民よ、神を崇拝しなさい。彼の他に神はいない。あなた方はただ、中傷を浴びせるだけである』」
しかし、預言者フードは、人々には真理に従うつもりがないことを悟りました。そこで、彼らが罪に穢れたり、神の慈悲の扉を閉じられたりしないよう、彼らに罪を悔い改めるよう勧めました。預言者フードは、果樹園や草原、小川や泉など、神から与えられた豊かな恩恵を彼らに想い起こさせ、正しい道に導こうとしました。フード章の第52節には次のようにあります。
「私の民よ! あなた方の主に赦しを請いなさい。それから、彼のもとに帰るがよい。天[の雨]が次々に降り注ぎ、あなた方の力が増やされ、神に背を向けたり罪を犯したりすることがないように」
罪を悔い改めることは、飢饉やかんばつを遠ざけ、恵みの雨を呼び、成長と発展の土台を整える要素の一つです。この節で、コーランは、罪を悔い改め、神へと立ち返ることは、繁栄の源であるとし、精神的な問題と物質的な問題の間に、興味深い結びつきを確立しています。明らかに、戦争、裏切り、偽善、圧制、堕落に陥り、人々が様々な罪に穢れているような社会は長続きせず、慈悲や恩恵は逃げていってしまうでしょう。
アードの民は、物質的な満足や欲望にひたりきっていたため、フードの懸命な忠告も、彼らの心に影響を及ぼすことはありませんでした。彼らはフードに言いました。「私たちは自分たちの神への信仰をやめないし、あなたに信仰を寄せることもない」 そのとき、責め苦のしるしや警告が現れ、その後3年間、雨が降ることがありませんでした。その間、フードは彼らにこう言っていました。「神に赦しを求め、神へと立ち返りなさい」 しかし彼らはそれでもなお、不信心と反抗をやめなかったために、手遅れとなり、彼らの上に責め苦が下されたのでした。
フード章の第59節には次のようにあります。
「これがアードの民であった。彼らは主の節を否定し、その使徒の命に背き、神の敵である全ての圧制者の命に従った」
とうとう、恐ろしい嵐が彼らを襲い、強固な宮殿は崩れ去り、その遺体は、強風によって落ちる秋の木の葉のように、周囲に撒き散らされました。とはいえ、預言者フードと、彼と親しい敬虔な人々は、この責め苦を逃れました。フードの民の運命は、歴史の中の全ての圧制者や利己的な人間にとって、大きな教訓となっています。
フード章は続けて、サムードの民とその預言者サーレハについて語り、サーレハは、自分の民の幸福のみを目標にする、心優しい兄弟だったとしています。フード章の第61節には次のようにあります。
「また、我々はサムードの民に兄弟のサーレハを遣わした。彼は言った。『私の民よ、神を崇拝しなさい。彼の他に神はいない。彼こそは、あなた方を土から創造し、その繁栄をあなた方に委ねた方である。神に赦しを請いなさい。その後で、神へと帰るがよい。私の主は、[僕たちに]近く、[彼らの要求を]かなえてくださる方である』」
預言者サーレハも、他の全ての預言者と同じ計画を有していました。サーレハは自分の民に言いました。「唯一の神を崇拝しなさい。あなたたちを土から創造し、繁栄の手段を与えてくださった神を。そして彼と同等に他の神を据えてはならない」 しかし、サムードの民も、サーレハの導きを受け入れませんでした。彼らは様々な偶像を崇拝し、食べたり飲んだり、あるいは壮麗な建物の建設といった物質的な満足において節度を守りませんでした。彼らはサーレハの真理の言葉を受け入れなかっただけでなく、神の預言者に向かって、「戯言を言っている」と非難し、こう言いました。「彼は理性を失ってしまい、自分は神の預言者なのだと思い込んでいる」 彼らはサーレハに対し、奇跡をもたらして、自分が本当に神からの預言者であることを証明してみせてほしいと言いました。
神は、異常な形で創造したメスのラクダを彼らの許に送り、そのラクダに害を与えてはならないと命じました。ラクダに嫌がらせをしても、それを追い立ててもいけない、またそれに乗ったり、それをと殺したりしてはならないと命じました。そして神は、ラクダが水を飲む日を定め、人々はそれ以外の日に水を利用するようにとしました。そして、もしラクダに危害が及んだ場合には、責め苦が下ると警告しました。ところが人々は、神の命を無視し、ラクダを殺してしまいました。そのため、責め苦が下ることになりました。
フード章は、一部の神の預言者の物語を述べ、全ての預言者は同じ目的を追求していたことを想い起こさせています。彼らは、人類を様々なしがらみから救うのは、唯一神を信仰し、多神教信仰を回避することだと考えていました。なぜなら、多神教信仰は、人類のあらゆる災難や苦難の元凶であるからです。預言者たちが叫んでいたのは、神の道における抵抗、純粋な信仰でした。とはいえ、彼らに対する様々な民の反発は、理にかなわないものでした。言い換えれば、社会の真の改革とは、唯一神の信仰と多神教信仰の否定なくしては、不可能なものなのです。社会の統一は、唯一神信仰によって生まれます。それに対し、多神教信仰は、利己主義、分裂、対立の元凶になっているのです。
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