6月 03, 2018 20:31 Asia/Tokyo
  • コーラン第48章アルファトフ章勝利
    コーラン第48章アルファトフ章勝利

今回は、コーラン第48章アルファトフ章を見ていきましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アルファトフ章はメディナで下され、全部で29節あります。この章は、その名前から明らかなように、勝利の吉報をもたらしています。敵に対する勝利、圧倒的な勝利など。この章にあるのは、勝利の吉報、ホダイビーエの和平に関する出来事、預言者の地位とその気高い目的、偽善者の役割と妨害、誤った要求、神の道における戦い・ジハードへの参加を免れた人々、メッカ入りと巡礼に関する預言者の夢の実現の強調、預言者の信奉者たちの特徴といった問題です。

 

 

ファトフ章が下された経緯については次のようにあります。イスラム暦6年、西暦627年、イスラムの預言者ムハンマドは、巡礼儀式を行うためにメッカに向かい、イスラム教徒にもこの旅に同行するよう勧めました。預言者はイスラム教徒に対し、夢の中で教友たちとともにカアバ神殿・マスジェドルハラームに入り、儀式を行ったことを伝えました。メッカからメディナに移住した人々、メディナにもともと住む預言者の教友たち、アラブの遊牧民族など、イスラム教徒が、預言者とともにメッカに赴きました。彼らはおよそ1400人にのぼりました。預言者は彼らに巡礼衣をまとわせ、いけにえにするラクダ以外、武器を持たせず、預言者に対抗していたクライシュ族に、この旅の目的が巡礼であることを確信させようとしました。

 

預言者ムハンマドはホダイビーエに入りました。ホダイビーエは、メッカ近くの村でした。そこでクライシュ族が預言者の行く手をふさぎ、メッカ入りを阻止しました。預言者はメッカに代表者を送り、双方の間で何度も話し合いが行われました。こうしてとうとう、預言者とメッカの多神教徒の間で和平協定が結ばれたのです。このホダイビーエの和平協定は、実際、イスラム教徒と多神教徒の戦いを一時的に停止する取り決めでした。

 

和平協定の内容について、預言者と多神教徒の間には見解の対立がありましたが、双方の合意によってそれが作成されました。ホダイビーエの和平に関する内容のひとつは、ムハンマドが今年は戻り、メッカに入らないが、来年はイスラム教徒がメッカにやって来ることができるというものです。ただし、イスラム教徒は3日間だけとどまり、巡礼儀式を終えてメッカを出て行くという条件がついていました。

 

この協定では、メディナからメッカに入るイスラム教徒の命や財産の安全が保証されていました。また、10年間、イスラム教徒と多神教徒が休戦することも定められました。メッカでイスラム教徒が自由に宗教義務を行えることも、その内容のひとつでした。

 

 

ホダイビーエの和平協定の締結後、イスラムの預言者ムハンマドは、イスラム教徒に、そこでラクダを生贄にするよう命じました。また、頭髪をそり、巡礼衣を脱ぐよう指示しました。この指示は、一部のイスラム教徒にとって不快なものでした。巡礼儀式を終えていないのに、巡礼衣を脱ぐことは彼らにとって容認できないことでした。しかし、預言者ムハンマドは自ら率先してそれを脱ぎました。そのため、他のイスラム教徒もそれに倣って行動し、巡礼衣を脱ぎました。それからメディナに向かいました。預言者がメディナに向かっていたとき、突然、その表情が明るく喜びに溢れました。「今、ファトフ章の節が私に下された」

「まことに我々は、汝のために明らかな勝利をもたらした」

 

コーラン第48章アルファトフ章勝利、第一節

 

アルファトフ章の第1節は、預言者に大きな吉報が与えられています。その吉報は、一部の伝承によれば、預言者にとって、何よりも好ましいものでした。「我々は、汝のために明らかな勝利をもたらした」  明らかな勝利の結果は短期的にも、長期的にも、イスラム教徒の生活とイスラムの発展に現れます。それはイスラムの歴史においても類まれなる勝利でした。

コーラン第48章アルファトフ章勝利、第一節

 

ホダイビーエの和平の後、アラビア半島におけるイスラムの拡大が促され、イスラムと預言者を誤って理解していた民は、預言者の平和追求のメッセージによって考え方を見直しました。

多神教徒はより簡単にイスラム教徒と関係を築いていました。一部の人々がイスラムに入信し、少しずつイスラム教徒の数が増えました。実際、ホダイビーエの和平は、次の勝利への道を促し、イスラム教徒にとって大きな勝利になったのです。

 

 

アルファトフ章の第2節と3節では、明らかな勝利の結果が説明されています。

 

「神は汝の過去と未来の罪を赦してくださり、汝への恩恵を完全に尽くし、正しい道へと導いてくださる。そして汝を大きな助けで援助される」

 

この勝利のおかげで、大きな恩恵が預言者に与えられました。ホダイビーエの和平により、預言者の教えは、敵が考えていたこととは異なり、神に従い、前進を促す教えであること、コーランの節は人間に開花と成長をもたらし、圧制、戦争、流血を終わらせるものであることが明らかになりました。さらに、預言者が論理を大切にし、約束や契約を守ること、敵が戦争を強要しない限り、平和と安らぎを求めていることが証明されました。こうして、イスラムの教えの偉大さがそれまで以上に明らかになり、神の恩恵が完成されました。そしてそれが、より大きな勝利へのきっかけとなりました。

 

とはいえ、それから2年後の西暦629年、多神教徒が約束を破った後、イスラム教徒は1万人の兵士とともにメッカに向かい、彼らの約束違反に応じようとしました。それに続き、イスラムの軍勢は、わずかな軍事的衝突も起こさず、多神教徒の最大の拠点であったメッカの町を征服しました。これらは、ホダイビーエの和平協定の影響を示しています。

 

 

ホダイビーエの和平に関する出来事のひとつが、レズヴァーンの誓いです。預言者はメッカの多神教徒のもとに使いを送り、イスラム教徒は戦争のためにメッカにやって来たのではないと伝えようとしましたが、クライシュ族がこの使いの身柄を拘束したため、イスラム教徒の間で彼が殺されてしまったのではないかといううわさが広まりました。預言者は、木の下に行き、再び人々と忠誠を確認しあいました。そして多神教徒との戦いで手を抜くことのないよう求めました。この誓いは、神の満足のための誓いを意味する、「レズヴァーンの誓い」と呼ばれています。その目的は、戦士の士気を高め、彼らの献身の度合いをはかることにありました。そしてクライシュ族の長老たちは、この誓いのいきさつを知り、恐れをなして拘束していた人物を解放しました。

 

アルファトフ章の第18節では、「まことに神は、敬虔な人々が木の下で汝と誓いを立てたことに満足し、神は彼らの心にあった事柄を知っていた。そこで、彼らに安らぎを下し、近い勝利という報奨を与えた」

 

アルファトフ章の第27節は、預言者の夢、つまり、イスラム教徒がマスジェドルハラームに入るという約束の実現に触れ、次のように語っています。

 

「明らかに、神は預言者の夢を実現された。あなた方は神の意志によってマスジェドルハラームに入り、安全の中にいる。頭髪をそり、髪を短く刈って、何も恐れることはない。神はあなた方が知らないことを知っておられ、それ以前に、近い勝利を据えられた」

 

この節は、預言者がメディナに戻る途中で下されました。この節は、預言者の夢の実現を強調するとともに、イスラム教徒が戦争や流血なしに、安全な状態でメッカに入り、巡礼儀式を行うことを明らかにしました。

 

ホダイビーエの和平からちょうど1年後の西暦629年ゼルカアダ月、預言者は教友たちとともに巡礼儀式のためにメッカに向かいました。彼らは巡礼衣をまとい、剣をさやに収め、メッカに入りました。メッカの長老たちは、イスラム教徒がメッカに入るのを目にしたくなかったため、町から出て行きました。しかし、残りの人々はメッカにとどまり、イスラム教徒や彼らの巡礼儀式を見届けました。預言者がメッカに入りました。預言者は、メッカの人々に礼儀正しく愛情にあふれた態度で接し、イスラム教徒に、カアバ神殿の周りを回るとき、すばやく動くよう命じました。この巡礼儀式は、礼拝行為であると同時に、力を示すものでもありました。その翌年の西暦630年に起こったメッカの征服の下地は、このときに整えられ、メッカの人々のイスラムに対する完全な屈服のきっかけとなりました。イスラム教徒は、メッカ巡礼の儀式を安心して行い、3日後にこの町を去りました。

 

コーラン第48章アルファトフ章勝利、第29節

 

アルファトフ章の最後の節は、信仰を持つ預言者の教友のしるしや、イスラムがどのように成長したかについて述べています。

 

「預言者ムハンマドは神の使徒であり、彼といる人々は、不信心者に対しては厳しく、自分たちの仲間には優しい。汝は彼らが常に、ルクーとサジダのひれ伏した礼拝の姿勢でいるのを見るであろう。彼らは常に神の満足と恩恵を求める。そのしるしは、ひれ伏した姿勢による彼らの顔に明らかである。この彼らの状態の説明はユダヤ教の聖典にも、またキリスト教の聖典にもある。それは芽を出し、その後にそれが分厚く大きくなり、立派になるまで成長させる畑のようなものであり、その畑を育てた人々を驚かせる。そして不信心者を憤らせるであろう。神は、彼らのうち、信仰を寄せ、ふさわしい行いをした人々に、恩赦と大きな報奨を約束される」