6月 05, 2018 20:13 Asia/Tokyo
  • コーラン第61章サフ章戦列
    コーラン第61章サフ章戦列

今夜は、コーラン第61章サフ章戦列を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

サフ章はメディナで下され、全部で14節あります。この章は主に、イスラムが他の啓示宗教よりも優れていること、神からその永遠性が保障されていること、神の道における努力が必要であることについて述べています。

 

サフ章で述べられている内容は、神への賞賛、言動の一致、固い決意と連帯による神の道における努力、イスラエルの民の約束違反と、イスラムの預言者の出現に関する預言者イーサーの吉報、全ての宗教に対するイスラムの勝利、神の道において戦った人々への現世と来世の報奨、預言者イーサーの12人の使徒からのインスピレーション、この章の名前の由来などとなっています。

 

 

サフ章は、神への賞賛で始まっています。

 

「天にあり、地にあるものは、神を賞賛する。神は英明で失敗を知らない方である」

 

サフ章の第2節は、道徳的な問題に触れ、自分の言ったことを実行しない人を非難し、次のように語っています。

 

「信仰を寄せた人々よ、なぜ、実行しないことを口にするのか?」

 

この節は、神の道において戦うことを望みながら、その命令が下ったとき、それを好ましく思わずに言い訳を口にし始めた人々のことを言っています。この節は彼らを非難しています。コーランの解釈者によれば、この節は、約束や契約を破る人々も含まれるとしています。この節の続きを見てみましょう。

 

「決して実行しないようなことを口にすることは、神の怒りを招く」

 

この節から結論付けられるのは、真の敬虔な人間は、言葉と行動が一致しているということです。彼らは実行しないようなことを口にしたりはしません。

 

サフ章の第4節では、宗教を守る上で重要な、神の道における戦いについて述べられています。

 

「まことに神は、列を成して神の道の中で戦う人々を愛される。彼らはまるで強固な土台のようである」

 

この節によれば、敵との戦いにおいて重要なのは、神の道におけるものであること、完全な連帯を伴っていることです。敵に勝利するための最も重要な要素は、神を求める人々の列の統一と連帯です。コーランの中で、敵たちは破壊的な洪水になぞらえられており、鋼のような強固な障壁のみが、それを抑えることができます。この大きな障壁では、それぞれの部分が役割を担っていますが、その役割が効果的なものになるのは、それらの間にいかなる距離も亀裂も存在せず、一体感があり、まるでひとつのものであるかのように見えるときなのです。

 

サフ章の第6節は、預言者イーサーの使命と、イスラエルの民によるイーサーへの妨害や否定に触れ、次のように述べています。

 

「マルヤムの息子イーサーが言ったとき。『イスラエルの民よ、神から私はあなた方に遣わされた使徒である。私以前にあったユダヤ教の聖典の内容を認め、私の後に表れる預言者の吉報を知らせる。彼の名前は[アフマド、あるいは]ムハンマドである』 そこで、彼が明らかな証拠を彼らのために持ってきたとき、彼らは言った。『これは明らかな魔術である』」

 

預言者イーサーは、ムーサーの使命を認め、神の最後の預言者であるムハンマドの出現を知らせました。そのため、彼はムーサーの共同体と彼の啓典を、イスラムの預言者である未来の預言者の共同体と彼の啓典に結びつける存在です。この節とコーランの別の節によれば、預言者イーサーは神の使命以外のことを主張しなかった、あるいは自分の本質や自分は神の子であると語った、などとする主張は皆、偽りです。

 

この節で、預言者イーサーは、イスラムの預言者ムハンマドの出現の吉報を与えています。これは実際、イスラムの教えが、それまでの教えに比べていかに完成されているかを述べています。なぜなら、通常、よりよく完成されたものの登場が知らされるからです。さらに、コーランの節を研究し、その信条、規定、道徳的、社会的な問題に関するイスラムの崇高な教えを、ユダヤ教やキリスト教の聖典と比べてみても、イスラムの教えが優れていることが分かるでしょう。

 

明らかに、今日、ユダヤ教徒やキリスト教徒の聖典は、神の偉大な預言者たち、つまり、ムーサーとイーサーによって下されたものと全く同じではなく、彼らの教友や、その後に表れた人々によってまとめられた書物を集めたものです。そのため、これらの書物にある事柄は、この2人の偉大な預言者の教えと、他人の思想を融合させたものです。こうした中、すでにある書物の中でも、偉大な人物の出現を伝え、そのしるしをイスラムの預言者ムハンマドに合致させた表現が見られます。

 

イスラエルの民の集団は、イスラムの預言者ムハンマドに信仰を寄せましたが、別の一団は、彼に激しく抵抗し、彼の明らかな奇跡さえも否定しました。神はこのような人々について次のように語っています。

 

「イスラムにいざなわれていながら、神が偽りを言っているという人ほどの圧制者がいるだろうか?」

 

神の預言者の導きを偽りとし、その奇跡を魔術と呼び、その教えを否定する人は、最もひどい圧制者です。そのような人物は、人々が真理を見出し、導きと救済の道を歩むのを妨げるからです。

 

次回も、引き続き、サフ章を見ていくことにいたしましょう。